【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話004「メディアの役割ってなんじゃろか」

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コラムを書き始めて4回目になったけど、既存メディアとの違いに焦点が当たりがちだったので、今回は「変わらぬもの」について。

結論から言っちゃうと、メディアが担うべき最も重要なポイントは「求めていないものを提供する」ことだと思っている。あくまで私の持論だけど。この考えは今も昔もおそらくこれからも変わらない。昔のマスメディアにしろ今のウェブメディアにしろ、そこは変わるべきではないとも思っている。

先に結論を言っちゃったので誤解が生じていると思うのだけど、これは「エンターテイメント」の話。ジャーナリズムの理念に基づいて国民が求める情報を公平・中立にいち早く正しく伝えていくことが一意である報道メディアは全く別の話ですよね。

学生の頃、よく発売日に書店に行って音楽や楽器雑誌の立ち読みをした。そこにはお目当てのバンドの新譜インタビューとか、新発売の機材のレビューとか「求めていたもの」もあったけど、それは雑誌の中の1割にも満たなくて、9割は「求めていないもの」だらけだった。でも「この雑誌がこれだけページを割いているんだから、さぞかし良きものなんだろ」と、前のめりで読んだ。「求めていないもの」を提供された典型的な例だ。そこから私の知見は広がっていった。TVだってラジオだって、求めていない情報が流れてくるから意味があると思っていた。

4月のクラス替えで新たにできた友だちからの影響で、知らなかったものが自分の大事なものに変わっていくのもまさにそれだし、彼氏・彼女への共感から意外な趣味嗜好が花開いていくこともあるでしょう。それも「求めていなかったものとの出会い」だ。

「求めていないもの」とどれだけ出会えるか。そこから取捨選択を経て自らを知ることもあるだろうし、価値観を大きく揺るがされることもきっとある。「興味のなかった世界」「無縁と思っていたエリア」でも、きっかけとタイミングによって琴線をゾワゾワっと震わされることもある。多分だけど、自分が求めるものなんて、自分を形成するに必要な栄養素の半分にも満たなくて、この世界にはもっともっと面白くて美味しくて惹きつけられてしまうことがたくさん転がっているんだから、そのチャンスはたくさん拾ったほうが絶対にいい。

そんな中、インターネットは検索から始まった。求めるものを得るエポックなツールだったけど、求めていない情報には接触できない設計だった。当たり前ですよね、そんな情報はノイズなんだから。そうこうしているうちにTwitterが登場した。自分の興味あるもの/テリトリーをフォローし、ノイズが多いと思えばフォローを外し、自分の興味ある世界の情報だけが色濃く提供されるクールなツールとしてみんな狂喜した。

「求めていないもの」は徹底排除されていた。ヤベえと思った。

メディアは、そのカテゴリーの中でいかに「求めていないもの」を心地よくさりげなく提供し、接触してもらうことが命だと改めて確信した。だからBARKSでは邦楽も洋楽もごちゃまぜにして表示させた。それは今でも変わらない。ファン未満の人に情報を与え興味を持ってもらう。いつしかファンになってくれるかもしれない。それが僕らの基本的な立ち位置だ。

「求める情報」はどうするのって?それはオフィシャルがやればいい。だって求められているんだから。でもオフィシャルは、ファン以外の人にはその熱量を届けることが難しい。本質的には無理だ。手前味噌だから客観性がない。だから中立の僕らがいる。

ネット社会になって、パンデミックきっかけでリモートが増えて、世の中はより一層効率を重視するようになった気もする。効率は正義。企業にとって効率化はマスト。効率を重視する世の中においては、余計なものを享受する余裕を持つことは困難かもしれない。せいぜいリコメンドエンジンのアルゴリズムに任せるのが精一杯。でもね、趣味とかエンターテイメントに効率は無意味なのよ。生産性だって気にしない。むしろ非効率だったり元来無駄なことだったりするんだから。でもだからこそ、乾いた心の隙間にじわっと染み込んでいくものなんだけどね。コミュニケーションの余白に染み渡るのは、そういうものでしょ?そこから人生にケミストリーが生まれる。そうでしょ?そうだよね?

文◎BARKS 烏丸哲也



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