【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話003「原稿チェックという悪しき良き慣習」

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皆さんは「原稿チェック」という音楽業界に根付いた古き慣習をご存知でしょうか。例えばインタビューをして、それを原稿にまとめる。メディアに掲載する前にその原稿に目を通してもらって、言ってみればOKをもらうというもの。チェックするのはインタビューを受けた側で、それはアーティスト本人だったりマネージャーだったり。

今でもこの慣習には強い抵抗を示す人も少なくない。「原稿チェックはしない」「する必要がない」と強固な姿勢を貫くメディアもある。「なんでいちいちチェックする必要があるのよ。あんた自分の発言には責任持ってよね」というスタンスだ。それはまあそうだろう。ライターさんだって自分の書いた原稿にケチを付けられたみたいでいい気はしない。よーく分かる。そもそもメディアの著作なんだから事前チェックの義務もない。もちろんなかには「チェックなんかいいよ。任せるよ」と言ってくれるアーティストもいる。

原稿チェックなんてやめちまえ、ですか? 私はそうは思わないのです。「私はこのように解釈しあなたの発言を文章にまとめましたが、齟齬はありませんか?ニュアンスあってますか?」という確認だからだ。もちろん「事実関係に関し、勘違いや間違いはありませんか?」というファクトチェックもあるけれど。

そもそもインタビュー記事とは「アーティストの発言を正確に記すること」ではなく「アーティストが言いたかったことを咀嚼し正しく文章化すること」だと思っている。もちろん前者であれば原稿チェックなど不要。でもそれってただの文字起こしですよね。読めたもんじゃない。

「結局何が言いたかったのか」「主張のポイントはどこか」に主眼を置くと、そのニュアンスをきちんと読者へ伝えるためには、文章の編集作業が必須になる。会話なんて主語も述語も修飾語もぐっちゃぐちゃで、話なんてあちこちに飛ぶんだから、そのまま記しても何を言いたいのかちっともわからない。場合によって発言の順番が逆になることもいとわない。だって、そうすることでアーティストの主張が正しく伝わるものになるんだから。要は、口語体と文語体の適切なブレンド具合を調合するのが書き手の手腕というわけだ。

アーティストの発言や本質をきちんと理解・咀嚼することが、インタビュー原稿を書くときの基本姿勢だけど、ちなみに「インタビュー自体」と「それをまとめる作業」、どちらが大事か?と聞かれれば、私は4:6で後者だと思っている。もしかしたら3:7かもしれん。後者の比重をぐっと強めると、アーティストの発言を交えたコラム原稿のようになるわけで、極論を言えば、インタビューがおぼつかなくたっていい記事は書ける。それが筆の力というものだ。



ちなみに「音楽業界で、一番最初に原稿チェックを要求したのはX(YOSHIKI)だ」という噂がまことしやかにあるけれど、私の記憶はあやふや。そんな気もするしそうじゃない気もするし。いやいやもっと昔からあったろとも思うのだけど、ホントのところはどうなのかな。

文◎BARKS 烏丸哲也

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