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"ソフト・ロック" と呼ばれる日本独自のジャンルが頻繁に使われるようになったきっかけは、80年代後半に始まったA&M音源のCD化によるものだ。その中でも特に印象的で、一般的なソフト・ロックの定義を決定付けた再発が Roger Nichols and the Small Circle of Friends と The Parade であった。 The Parade のサウンドの魅力は中心メンバーであるJerry Riopelle も後にインタヴューで言ってるように、The Beach Boys のピュアなカリフォルニア・サウンドと、Simon & Garfunkel の知的なフォーク・ロック・サウンドの合体という、まさに60年後半の空気感が真空パックされたような瑞々しさである。代表曲「Sunshine Girl」を聴く度に、あの時代の日差しを浴びるような高揚感に浸ることができる。 Jerry Riopelle は'41年5月5日、ミシガン州デトロイト生まれ。17歳でドラムを父親に買ってもらい、アマチュア・バンドを結成。カリフォルニアに移住しいくつかのバンドを経てから、'60年頃には Gary Paxton が結成した Hollywood Argyles にドラマーとして参加する。その後サーフィン系のセッションに参加する傍ら、作曲家としてのキャリアもスタートさせる。音楽出版社スクリーン・ジェムスのカリフォルニア支社で働いていたある日、Jerry が書いた Phil Spector 風の曲が Spector 本人の耳に留まる。Spector のレーベル "Philles" 初の外部プロデューサーになった Jerry は、ヒット作りのノウハウを吸収する。その時期のプロデュース作品を代表する1曲が Bonnie & The Treasures の「Home of the Brave 」である。 しかし中々良い仕事をくれない Spector に不満を募らせていた Jerry は Philles を辞め、自分のサウンドを追及することを決心する。Philles に売り込みに来ていた俳優兼シンガーソングライターの Murray MacLeod やSmokey Roberts と意気投合しデモを作り始め、出来あがったのが「Sunshine Girl」という曲である。早速A&Mのスタッフに聴かせたところ、即決でレコーディング用の予算が出ることとなる。 The Parade のデビュー・シングル「Sunshine Girl」は'67年3月にリリースされ、全米20位のヒットとなった。アルバムを作る予算を獲得した彼らは、Hal Blaine 、Larry Knechtel 、Leon Russell 、Nick DeCaro など、LAでも最良のスタジオ・ミュージシャンを選びレコーディングに入る。が、レーベル側は「Sunshine Girl」以上のシングル・ヒットが出ないのを理由にアルバムの発売を見送ってしまう。結局6枚のシングルを出しただけで解散。1年あまりの活動期間だった。 Jerry Riopelle はその後、ソロ・アーティストとして'71年にキャピトルからデビュー。その後ABCを経て、自己のレーベルを設立、アリゾナ州フェニックスとハワイを拠点に音楽活動を続けている。Murray MacLeod は、Loggins & Messina のアルバムにヴォーカルで参加したり、Jerry Riopelle のアルバムで共作したりしている。現在も俳優として活動する傍ら、テレビ映画のスコアを書いたりしているらしい。ちなみに Murray MacLeod はThe Parade と同時期に活動していた Roger Nichols and the Small Circle of Friends のメンバーも兼ねていた。Smokey Roberts は既に音楽界を離れ、カイロプラクティックの仕事をしているという。 冒頭でも書いたように The Parade の幻のアルバム『The Parade』は、日本でのみ'88年にCD化されたが、'95年には未発表曲「Lovers」が収録されたお買い得盤として再度CD化されている。