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70~'80年代のアメリカで、最も成功したヒットメーカーの1つに数えられるChicagoだが、バンドがスタートした当時は、ホーンを中心とするジャズロックを聴かせるヒッピーバンドだった。その後、そうした個性は後退し、しっとりとしたバラードを聴かせるバンドに変身。バンドの持つどちらかといえば没個性的なイメージ(これはアルバムタイトルにローマ数字を付けるような、理解に苦しむ習慣を続けているからかもしれない)や、主要なメンバーの相次ぐ交替にもかかわらず、彼らがヒットチャートの常連でいられたのは、ラジオにおあつらえ向きのシングルを次々に生み出す的確な仕事ぶりのおかげだろう。

Chicago(当初はChicago Transit Authorityと名乗った)が結成されたのは'67年。彼らのマネージメントとプロデュースを引き受けていたJames William Guercioは、彼が在籍したBuckinghams時代に、ホーンを中心に据えたポップミュージックをすでに完成していた。グループの1stアルバムは発売後すぐにヒット。この成功はTerry Kathの見事なギターさばきと、Robert Lammによる的確な作詞能力によるところが大きかったといえよう。彼らが続いて発表した作品は、どれも1stアルバムで成功したパターンを踏襲している。つまり、Lammの書く政治的な詞とKathのギターワーク、ベーシストのPeter Ceteraがときどき歌う洒落たポップソング、そしてLee Loughnane、James Pankow、Walter Parazaiderによるホーンセクションをフィーチャーしたジャズロックサウンド、というわけだ。

'78年、Kathが銃の暴発によって命を落としてからは、Ceteraが以前にも増してヴォーカルを引き受けることが多くなった。そして'80年代の初めになると、 Chicagoの(徐々にお家芸となってきた)ヒット曲は、すべて彼がリードヴォーカルを担当した。Ceteraは、'85年にソロ活動のためバンドを離れるが、Chicagoは彼なしでも前進し続け、新たに加入したベーシストJason Scheffの力もあって、次々と発表されたアダルトコンテンポラリーナンバーは、さまざまな層で高い評価を得た。

'90年代に入ると、Chicagoのチャートパワーはほとんど失われたが、コンサートは依然高い人気を誇っている。あらゆる意味で決して革新的とはいえなかったChicagoだが、彼らが生み出したヒット曲の驚くべき数を考えると、ロックの殿堂入りする資格は十分にあるといえるだろう。

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