――エレクトロニック・ミュージックに興味をもったきっかけは?
Aril Brikha:
小さい頃からオルガンを弾いていて、7歳くらいの時に父親がキーボードを買ってくれて、それからいろんな音楽を演奏するようになって興味を持つようになったんだ。父親が好きだったフランク・シナトラとかもね(笑)。13歳くらいの時はディペッシュ・モードとかを好きになって、フロント242、ジーン・ミシェル・ジャンとかニッツァー・エヴとかを聴いていた。15歳くらいの時にアタリ(ティーン・エイジ・ライオット)を買って、それから音楽をシークエンスするようになった。最初にキーボードを弾くことを覚えて、10歳くらいの時にエレクトロニック・ミュージックに興味を持つようになった。エレクトロニックじゃないもので興味を持ったのはマイケル・ジャクソンくらいだよ(笑)。でも僕は(セカンド)サマー・オブ・ラヴやアシッド・ムーヴメントについては全然知らなかった。
――デトロイト・テクノを意識して曲を作っていたわけではなかったのですね。
Aril Brikha:
よく友達がストックホルムでレコードを買ってきて、「これは君が作っている曲に良く似ているね」なんて言ってくれたりしたよ。それで「これはデトロイト・テクノ」って言うんだよって教えてくれた(笑)。でも、ベーシックチャンネルを初めて聴いたときは、さすがに口を開けたまま、しばらく呆然としてしまったよ。"一体これは何なんだー!"ってね(笑)
――それからデリック・メイにデモを送ったんですよね。最初の反応は?
Aril Brikha:
スウェーデンでも自分の曲をリリースしたくていろんなレーベルにデモを送ったりしてたんだけれど、反応がなくて。でも3曲くらい小さなレーベル(ドゥンクラ/リパブリカ・スウェーデン)から’97年くらいにリリースしたんだ。でも別に何も特別なことは起きなかった。それで、他のレーベル、430WestとTransmatにデモを送ってみたら、両方から連絡があった。特にTransmatがすぐにでもリリースしたいと言ってくれたから決めたんだ。デリック・メイと話したのは契約が終わってからだったけどね。「Icon」のことや彼がゴッド・ファーザーだってことは、ずっと後に知ったことだ。でもより多くの人に自分の曲を聴いてもらえたし、Transmatからリリースできたことはすごく名誉なことだと思っている。
――あなたの代表曲「GROOVE LA CHORD」はクラブを意識した曲なのですか?
Aril Brikha:
いや、「GROOVE LA CHORD」はすごくパーソナルなことを表現した。この曲を作ったときにすごく機嫌がよかったってことは間違いないけどね(笑)。なぜなら、ちょうど彼女ができて最初のデートで僕の家に夕食を食べに来た時に、いつもみたいに午前3時じゃなくて、午後6時くらいに音楽を作り始めてできた曲なんだ(笑)。でも、この曲を録音したのは本当に幸運な偶然だったとしか言いようがない。僕がよくやっていたようなスタイルの曲ではなかったから、普段なら録音して保管しておくようなものではなかった。僕は全てを直感的に作曲するから、2度と同じような曲を作らないから。だから、当時のガールフレンドには感謝しているよ(笑)。実際「GROOVE LA CHORD」で使ったコードには彼女の名前をつけたんだ。この曲の成功については、彼女も喜んでくれたよ。
――あなたの音楽はすごくメランコリックで叙情的だと思います。デリック・メイは以前「世の中が糞だから、みんなが俺の音楽に惹かれるんだ」と発言していたのですが、あなたの音楽からも同じようなものを感じました。
Aril Brikha:
その通りだと思う。他の人に同じことを言われたことがあるよ。言葉で表現するのが苦手な自分にとって、音楽は自分の内面にあるものを表現する手段だと考えている。僕はスウェーデン人ではなくて、3歳のときにイランからスウェーデンに移住してきたんだけれど、僕が住んでいた町ではイラン人の家族しかいなかった時期があった。だから、マイノリティとして生活していく中ではいろんなことを経験したよ。そういう体験が反映されて音楽にメランコリックな要素が入っているとしても、それは自然に起きることで、別に意識しているわけではない。
――では、あなたは何故音楽をやっているのですか?
Aril Brikha:
もともと僕は誰のためでもなく自分自身のために音楽を作っている。音楽を作り始めたのは、自分の好きな音楽が存在していなかったから。もし存在していたとしてもスウェーデンみたいな辺鄙な所に住んでいたからそれを知る由もなかったし(笑)。でも、人の感想を聞くのが好きだから新しい曲ができたときに友達や家族に聴いてもらうのはすごく好きだよ。僕には特定の目標なんてないし、別に主張を込めているわけでもなく、純粋な意味で音を楽しむために音楽を作っていて、それで僕が人を喜ばせることができたらいいと思う。それは音楽を作り始めた子供の頃と変わらないんだ。