フロアで体感、“Music Speaks Itself” 

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フロアで体感、“Music Speaks Itself” 

87年~’92年にかけてのレイヴ・カルチャー全盛期、英ニュース番組“BBC”をもじった“IBC(Illegal Broadcasting Corporation)”という名前を持つ海賊ラジオで活動していた、アンディ・マドックスを中心とする英マンチェスターのDJ集団が、作り貯めてきた音源、もしくは大量のデモ・テープを発表する場として立ち上げたのが、レーベル:スカムだ。

であるからして、当然のようにそのレーベル運営には海賊ラジオで得た彼らの哲学が活かされており、それこそがスカムの個性となった。一切のプロモーション活動を行なわず、リリース量は限定。ジャケットは殆どが無味乾燥なデザインに点字ステッカーのみ。それは次から次へとハイプが生まれては消えていく英・音楽シーンに対し、“音楽のことは音楽を聴いて判断して欲しい”という彼らの願いでもあった。

“アンダーグランド”と“ポップ”、その2つを奇跡的に取り戻す

【SKAMライヴ映像】
@新宿LIQUIDROOM 2002/05/25



【収録内容】
BOLA(ライヴ)/GESCOM(DJ)/Riow Arai(DJ)

初めて日本で行なわれたSKAMイヴェントの
様子を 映像でお届けします!

しかし、レイヴ・カルチャーを襲った巨大産業化の波を、ひっそりとやり過ごそうとしていたスカムは、無名でいるにはあまりにも素晴らし過ぎた音楽性であったため、“発見”され、日の当たる場所に引っ張り出されることになってしまう。今やスカムを知らないエレクトロニック・ミュージック・リスナーはいない。それどころか、全世界で10万枚以上売り上げた、あのボーズ・オブ・カナダのアルバム『Music Has The Right To Children』をリリースしたレーベルと言えば、ロック・リスナーも知っている、と頷くだろう。

しかし、もちろんのことスカムの哲学が揺らぐことはない。 寡作なボーラにゆっくりとしたペースで作品をつくる環境を与え、プッシュ・ボタン・オブジェクツやチーム・ドヨービ、ウェーヴィー・ストンダーといった新しいアーティストの発掘も、彼等は熱心に行なう。相変わらずジャケットはシンプルだが、それはその中に入っている音楽の素晴らしさからくる自信の表われでもあるのだ、ということも今や常識となった。

そして2002年5月25日、スカムは日本で初めてのレーベル・パーティーを行なった。事前に出演者は一切公表されず…頑なである。飾りっ気のない会場となった新宿LIQUIDROOMの内装もスカムにぴったりだ。彼等も気に入ったことだろう。

まず日本側のゲスト:リョウ・アライが2時間という長いセットを終えると、ゲスコムのDJが始まった。ゲスコムはオウテカも出入りするセッション・ユニットだが、同時にスカムのスタッフによるDJユニットでもある。この日はアンディ・マドックスとロブ・ホールがゲスコムとして来日した。変則的なビートのエレクトロニカを使ったプレイが終わると、ボーラがステージに登場。彼の傑作と呼び声の高い2ndアルバム『Fyuti』のジャケットも担当したインギーによるVJと、ボーラのラップトップ+シンセによるライヴは、意外にもいい意味で大衆的な感動が後に残るものだった。ハリウッド映画のようなざっくりとしたメランコリーではあるのだけれど、その明解さが逆にエレクトロニカの中では新鮮だったかもしれない。

その余韻に浸っていると、再びゲスコムのDJがスタート。今度はバッキバキのエレクトロだ…と思うとビートが複雑になっていったり……、そしてまたダンサブルになったりと、その緩急のつけ方が絶妙。さすが年期の入ったDJ。フロアはそれから3時間以上、揺れっぱなしだった。ボーラのライヴにしても、ゲスコムのDJにしても、彼らへの間違ったイメージ、つまりヘッド・ミュージックもしくはベッド・ルーム・ミュージックとしてのエレクトロニカを代表するレーベルだという、日本でのスカムに対するイメージを見事に修正してくれるものだったと思う。

まさに「Music Speaks Itself」。

スカムは“アンダーグラウンド”にこだわっているからと言って、多くの人に聴かれること、つまり“ポップ”を拒否しているわけではない。彼らはそのふたつを奇跡的に両立させた初期のレイヴ・カルチャーが持っていた可能性を、もう一度取り戻そうとしているのだとさえ言えるだろう。それは5月22日のLIQUIDROOMにおいては、見事に成功していた。

文●磯部 涼

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