パリでJim Morrisonを偲ぶイベント

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Jim Morrisonは7月3日(火)、パリで2人の旧友から敬意を表される。Doorsのキーボーディスト、Ray ManzarekとバンドマネージャーのDanny Sugermanは“Break On Through”や“Ghost Song”のビデオといっしょに『Feast And Friends, Hwy, Critique』、長編の『A Tribute To Jim Morrison』といったDoorsのレアビデオを上映する予定。

さらに2人は参加してくれる人のために、レコードやCD、SugermanによるMorrisonの自伝『No One Here Gets Out Alive』にサインを用意している。

これは200名限定の招待イベントで、現地時間の午後6時からLes Bouffes Du Nordで開かれる。入場パスはシャンゼリゼ通りのVirgin Megastoreで入手可能。

Doorsのサイト(thedoors.com)には「警察は集会を許可しないだろう」と書かれ、市内のPere Lachaise霊園にあるMorrisonの墓のように会場の前に集まらないようファンに警告している。

今から30年前の'71年7月3日、Morrisonはバリにあるアパートの浴槽の中で死んでいるのを発見された。地元の検死官は27歳だったDoorsのフロントマンの死因を「呼吸器系の問題によって誘発された心臓発作」と公式に発表した。彼は同年7月9日にパリのPere Lachaise霊園に葬られた。

死亡してから数年経つと、Morrisonの伝説は若くして命を落とした才能あるアーティストというより、神話的人物となるまで拡大していった。Manzarekは真の遺産を犠牲にして、旧友をセンセーショナルに表現することに嫌気がさしているとLAUNCHに語る。
「確かに、僕たちはJim Morrisonの芸術性(art)や彼の詩(poetry)について語ろうとはしないだろう……ね?」

しかしManzarekは、Morrisonと彼のバンド仲間は彼が死に急いでいたことを知っていたと語っている。麻薬とアルコール中毒、それにDoorsのドラマー、John DensmoreとギタリストのRobby Kriegerが繰り返し言っているような感情が原因だという。

Densmoreはこう語る。
「Jimの酒の量が多くなるにつれ、質が落ちていった」

Kriegerは次のように付け加える。
「僕たち3人、JohnとRayとRobbyは友達だった。Jimには飲み友達がいた。それで何となく別々になっていたんだ。集まって曲を作るときはいつでも、みんな友達だった。けど、そうじゃないときは彼と交流することができなかったんだ。すごく苦痛でね。分かる?」

疎遠になっていったにもかかわらず、KriegerはDoorsには楽しい思い出があるとLAUNCHに語る。
「ホント、完璧なグループだったよ。チームワークもスタッフも良かった」「エゴの問題もなかったし、嫉妬とか、そういったものもなかった。多くのバンドがそういう問題を抱えているけど、僕たちにはなかったんだ」

Bruce Simon and Sue Falco, New York LAUNCH.com
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