【インタビュー】BAD SiX BABiES奇跡の復活、「ロック・バンドをやるってこういうことかな」

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去る2月12日に発売されたBAD SiX BABiESの『PERFECT EMOTION』が、オリコンのアルバム・チャートでもトップ40入りを果たすなど、好調な動きをみせている。同作は彼らにとって初のフル・アルバムだが、このバンドが結成されたのは2000年8月のこと。THE SLUT BANKSがかつてTUSK(Vo)の離脱を経て活動停止を余儀なくされていた時期に、同バンドの首謀者である戸城憲夫(B)が高木フトシ(Vo)と合流する形で始まっている。しかし2002年初頭にはその高木の脱退により解散。そのごく短期間のあいだにはコンスタントにシングルなどのリリースを重ねていたが、アルバムは一度も制作することがないままに終わってしまった。

その後、さまざまな紆余曲折を経ながらTHE SLUT BANKSは蘇生し、このBAD SiX BABiESも幾度か一時的なライヴ活動を重ねてきた。そして近年の戸城は、THE SLUT BANKSとThe DUST’N’BONEZという二足の草鞋を履いてきたわけだが、まさかこの局面でBAD SiX BABiESのアルバムが、しかもメジャーから発売されることになるとは、当事者であるメンバーたち自身も想定していなかったに違いない。

なお、現在のこのバンドには戸城と高木に加え、やはり始動時からのメンバーである石井ヒトシ(G)も参加。そしてオリジナル・ドラマーである新美俊宏は2023年6月に逝去しているため、カネタクこと金川卓矢(Dr)が名を連ねている。戸城自身の動きや彼の人脈について詳しい人たちにとっては納得の顔ぶれであるに違いない。今回は、メンバー全員が同席のもとで話を聞いた。今、何故このバンドがふたたび動き始め、こんなにも刺激的で新鮮なアルバムを作り得たのか? その真相や真意とともに、4人の中に渦巻くバンド感が伝われば幸いだ。


『PERFECT EMOTION』

──まず何よりも訊いておきたいのは「何故、今、このバンドがこの形で動き始めることになったのか」ということです。

戸城憲夫:あれは去年の夏だったっけ? 俺の誕生日ライヴがあった時にフトシを誘って「歌ってよ」って言ったら歌ってくれて。で、それぐらいの頃から「ああ。あの頃の俺、我ながらいい曲作ってたよなあ」とか思い出して(笑)、当時の曲をまとめて出せたらいいな、みたいなことを考えるようになった。というのも、このバンドだけきちんとアルバムを出せてなかったからさ。ZIGGYのデビューを皮切りにいろいろやってきたけど、自分が中心になってやってきたバンドのうちBAD SiX BABiESではアルバムを出せてなかった。そこでキングレコードの担当ディレクターに相談してみたら、案外すんなりとOKが出て。なんかいいレコード会社だなあと思ったよ(笑)。だって普通はあり得ないじゃん、このご時世にこんなこと。だから俺も「こんなこと言うのは図々しいかなあ」と思いながら、ちょっと控えめな言い方をしたんだけどね(笑)。

──いつか機会が巡ってくれば当時の曲たちを録りなおして出したい、という気持ちは前々からあったわけですね?

戸城憲夫:そうそう。出したいなあっていう気持ちはあった。だから苦節24年、いや25年近くになるのかな?

──ええ。このバンドの初ライヴが行なわれたのは2000年10月だったはずです。

戸城憲夫:自分でも時期とかはよく憶えてないんだけど、2000年か2001年だろうとは思ってた。何故かって言うと、俺が今、ライヴで使ってるピックに“BAD SiX BABiES 2001”って書いてあるからなんだけど。

石井ヒトシ:まだそれが残ってるんだ? 一体何枚作ったんだっていう話だけど(笑)。

戸城憲夫:あれ以来いろんなバンドでやってきたけど、その都度新しいのを作ったりしないからさ。実際、「新しいのを作れば?」って勧められたりもするんだけど、作るとなると百枚単位じゃん? 俺、そんなにピックをひょいひょい投げたりしないからそんなにたくさん必要ないし(笑)、余っても勿体ないしさ。

──ひょいひょい投げてくださいよ、ステージから(笑)。それはともかく誕生日ライヴへのフトシさんの参加が復活劇への発端になったわけですね? ただ、ライヴにゲストで出演することとアルバムを制作することとでは、話の重さがかなり違うようにも思います。

高木フトシ:いや、そうでもないかな。新曲を作ろうって話でもなかったし。今の俺としてはむしろライヴをたくさんやることのほうがキツいし。誕生日ライヴの時は4曲ぐらいしかやらなかったし、その後、戸城さんから「あの頃の俺、すげえ冴えてたと思わない? だから改めてアルバム作ろうと思うんだけど」っていうメールが届いた時も「ああ、レコーディングならいいですよ」って答えて。作ること自体には何の抵抗もなかったというか、むしろ俺自身も作りたい、歌いたいと思ったしね。

──当時を振り返ってみた時に、何かやり残したことがあるような感覚があったんでしょうか?

高木フトシ:それはなかったかな。だけど戸城さんからそう言われた時に「それだったら作って、残しておきたいかな」という気持ちになった。他の人から同じようなことを言われたとしても「ん?」と思っただろうけど。

戸城憲夫:やりたいと思ってもらえたのは、俺としても嬉しかったけどね。

石井ヒトシ:やり残した、というのはちょっと違うんだけど、なにしろ20何年ぶりにやることになったわけじゃないですか。時代が何周も回っちゃってる。そんな中で「昔の自分はこんな感じだったけど、それから経験とかも重ねてきた今の自分はスキルもちょっとは上がってる」というのが表出するようなものを作れたらいいな、ということはまず思いましたね。当時は当時で「もうちょっとこんなふうにできたら良かったのにな」というのがあったし。まあ今回もそんな大それたことをやってるわけじゃないんだけど、今の自分なりの表現ができたのは良かったなと思っていて。だってこの先、自分が何枚アルバムを録れるかなんてわかんないし。そういう意味ではすごくいい機会に恵まれたな、と。

──なるほど。戸城さん、どうして笑ってるんです?

戸城憲夫:いや、石井ちゃんも立派なことを言うようになったなあと感心しちゃって(笑)。で、こうしてまたやろうって話になった時、みんながそれぞれ活動を続けてたからこそそれが可能になったわけだけど…新美さんが一昨年、亡くなっちゃったじゃん?「ちゃんと作っておきたい」っていう気持ちになったのは、当然そのことも大きかったと思う。



──そして今回、ドラマーにはカネタクさんが起用されていますが、戸城さんの人脈的にはごく自然な選択であるようにも思えます。

戸城憲夫:まあ自分の知り合いの範囲内ではいちばん上手だし、スタイル的にちょっと新美さんっぽいところもあるしね。ただ、そこでサポートとかゲストとかじゃなくメンバーになってもらったのは、いちいちギャラとか請求されるのが嫌だから(笑)。だから「おまえ、メンバーになれ」ってメールを送って。

金川卓矢:俺、これまでだって特に請求してないと思うんですけど(笑)。実際そんな気はなかったし、ふたつ返事で引き受けました。戸城さんからのお話なんで、反論の余地はないというか。

戸城憲夫:そこは先輩圧力で押し切らせてもらった(笑)。

金川卓矢:いや、こうして時を経た今は反論ぐらいはできるようになってるし、生意気なことも言えるんだけど(笑)、実際、BAD SiX BABiESについては曲も好きだったし、カッケーなと思ってたんで、自分にとっても嬉しい話ではあったわけです。フトシさんの歌もカッコいいし、そういう曲を俺のドラムで再録できるというのは楽しそうだなと思ったし。ただ、新美さんの壁はやっぱり高かったですけどね。
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