【インタビュー】kein、メジャーデビューEPリリース「22年の月日が必要だった」

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ロックバンド・keinが、メジャーデビューEP『PARADOXON DOLORIS』をリリースした。

◆撮り下ろし写真

keinは1997年に名古屋で結成、2000年に解散。2022年に突如再結成し、今回2024年にメジャーデビューするという異色の経歴を持つ。

結成当時からのダークな雰囲気はそのままに、今回のメジャーデビューEPでは“善の中の悪”あるいは“悪の中の善”という、人間のパラドキシカルな側面がニュアンスとして込められているという。

本インタビューではこれまでの軌跡を振り返りつつ、彼らの作る世界観に迫ってみた。

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◼︎よりオープンで自由なかたちの音楽活動を

──このたび、keinはEP『PARADOXON DOLORIS』をもってメジャーデビューすることとなりました。そして、この情報がもたらされた際にはSNS上などでもおおいに話題となっていた印象があるのですけれど、当のご本人たちは今回の件についてどのように受け止めていらっしゃるのか?ということを、まずはおうかがいしてみたいです。

玲央(G):このkeinというバンドがシーンの中でもちょっと特殊な立ち位置にいる、という意識は僕の中にもあるんですよ。しかも、我々は2000年に解散して22年後の2022年に復活したバンドでもあるわけなので、そのkeinが今ここでメジャーデビューすることになったのは非常にレアなケースであると同時に、凄く夢のあることだと思っています。


──確かに、まさかこの時代にkeinがメジャーデビューを?という感慨深さを感じている方は、きっとこの記事を読んでくださっている方々の中にも多いと思われます。

玲央:時代という点でいけば、僕らと同世代のミュージシャンの中には年齢を理由に音楽をやめてしまった方たちが少なからずいらっしゃるのも事実ですしね。あとはやはり、音楽性の部分でもメジャーでやるからには「こうあるべきだ」という固定概念を持たれている方も中にはいらっしゃると思うんです。でも、そういう方たちに対して「そうじゃないんだよ」という提示が出来たら良いなと思っているところもありますね。よりオープンで自由なかたちの音楽活動をkeinがメジャーの世界でここからやっていくことは、そういう面でも非常に意味のあることだと僕は捉えているんです。ですから、この素晴らしい機会をくださったキングレコードさんに対しては本当に感謝しかありません。

──なお、もともとkeinが始動したのは1997年のことでした。今さらではありますが、当時このバンドを始めた動機や原点がどのようなところにあり、keinとしてどのようなことを発信したいと考えていらしたのか、ということも教えていただけますでしょうか。

眞呼(Vo):歌詞に関して言えば、描きたかったのは不条理についてです。音的な面ではもちろん自分たちが憧れていたミュージシャンや音楽からの影響を受けていますので、主にそれをバックボーンとしていきたいな、という気持ちは漠然とですがなんとなくあったと思います。とりあえず、方向性としてはみんなで元気に頑張りましょう!みたいな雰囲気ではなかったですね(笑)。大きく区分するなら、暗かったり、狂ってるところがあったり。始動した当初から、keinはそういう空気感を音や詞で表現していたんじゃないか、と個人的には感じています。


──おそらく、keinに対するパブリックイメージの中にもまさに暗さや狂気の要素は多分に含まれていると思います。ちなみに、そんなkeinの歴史をたどりますとオリジナルメンバーである眞呼さん、玲央さん、攸紀さんにくわえ、aieさんは2000年1月に後から加入されることになりました。これまた今さらではあるのですが、そのあたりの経緯についても少し振り返っていただくことは出来ますか。

aie(G):1999年のうちからレコーディングだけは参加していたんですけどね。ライヴとしては2000年1月からで、その年の8月には解散だったっていう(笑)。

玲央:いやー、あの時の展開の速さは凄かったです(笑)。

眞呼:あははははは。

aie:まるで俺が入ったのが切っ掛け、っていう風に見えてたでしょうね。当時は(笑)。


──事実上わずか7カ月の活動期間は、今思うとaieさんにとっていかなる時間であったことになりますか。

aie:とても楽しい7ヶ月でしたよ。ちょうどシングル『朦朧の実』(2000年1月発表)を出したタイミングで入って、ツアーとかもやって、ほんとにバンドとしての勢いがものすごくあった時でしたから。それをライヴをやるごとに痛感してて、集客も目に見えてわかるくらいに増えていってたし、それこそ当時はまだメジャーデビューっていうものに対しての憧れを持っていたりもしましたから、ちょっとその可能性もあるかなぐらいに思ってたんですよ。なかなか楽しい時代を経験させてもらえましたね。で、結局そこからの解散っていうのは若さゆえの破滅じゃなくて破裂だったのかなと。

──なにしろ、約四半世紀前のことですものね。

aie:そう、あれは若さゆえの凄く前向きな解散だったんです。俺たちはこのあとどんなことがあってもやっていける!っていう自信がそれぞれの中にあったうえで、5人がバラバラになったわけだから。

──攸紀さんからすると、1997年から2000年にかけての日々はどのような意味を持つものだったと感じていらっしゃいますか。

攸紀(B):始めたのが10代で、解散したのも20歳とか21歳くらいでしたからね。あまり深く考えずにやっていた分、当時はそれがあたりまえのようになっていたところがあった気がします。ただ、いざ解散してみるとあの3年間は自分の中でも凄く大きなものになっていましたし、自分にとってはその後も音楽をやっていくうえでの芯になった大切な時間だったと思うんですよ。ある種、そこが自分の原点になっているのは間違いないです。


──いっぽう、Sallyさんはkeinが2022年5月に奇跡の復活を果たした際に加入されたメンバーとなります。その経緯についてもぜひ教えてください。

Sally(Dr):それまで自分もいろいろとバンドはやって来ていて、aieさんとはかなり前から対バンをする機会があったり、一緒にコピーバンドをやったことなんかもあった中で、そのつながりから声をかけていただいたという流れだったんですよ。攸紀さんとは、以前に軽く挨拶をしたことがありましたが、眞呼さんと玲央さんには全くお会いしたことがない状態でした。

aie:2022年に復活するってなった時に、玲央さんと「新しいドラマーが必要だ」っていう話になって、真っ先にkeinの音と相性が良さそうな人として思い浮かんだのがSallyちゃんだったんです。また、ちょうどタイミング良くその話になった数週間後にSallyちゃんと同じ現場で会うことになったから、メンバーには「どういう話になるかはわからないけど、Sallyちゃんに「今やってる101Aとは別にkeinでも叩くことは出来ますか?」って訊いてみるね」って言ったんです。

──ということは、Sallyさんがそのお申し出を承諾してくださったのですね。

aie:そうなんですよ。「いいよ」って言ってくれたんで、そのあとはこの5人で初めて集まることにしました。サウンド的に合うのはわかってましたから、あとは話をしてみてどうかっていうところだけだろうなって思ってたんです。


──加入前、Sallyさんはkeinに対してどのようなご印象をお持ちだったのでしょう?

Sally:実は僕、keinのことってよく知らなかったんです。aieさんからお話をいただいたあとに調べて「へー、aieさんってこういうバンドをやってたんだ」となりまして(笑)。音源をもらって聴いたりもしたんですが、他とは明らかに違う音楽性を持ってるバンドだなと感じたところから、凄く興味を持つことになりました。

──Sallyさんが“他とは明らかに違う”と感じられたのが、具体的にどのような点だったのかも気になります。

Sally:なんというか、いわゆるヴィジュアル系のわかりやすいカタチってあるじゃないですか。激しいところがあるわりに、歌はめちゃくちゃポップで歌謡曲っぽいみたいな。でも、keinって全然そういうんじゃないんですよ。音的にはどこか洋楽っぽさもあったりするし、多くの人がヴィジュアル系という言葉からイメージする音楽とは違う雰囲気だったり、不思議な感覚を持った曲が多くて、聴いていると「これはどうやって作ってんの?」って感じるものが多いところが面白いなって思いましたね。昔の映像とかも観たりして「これを昔、aieさんがやってたのか……」って、個人的にはちょっと意外に感じたところもありました。

aie:当時のライヴ映像を観て、俺を探すのに戸惑ったって言ってたよね?

Sally:見た目的にはそうでしたね(笑)。

aie:あの頃はミニスカート履いてたからね(笑)。「この中にほんとにaieさんいましたっけ?」って言われましたもん。

眞呼:あぁ、そういうことか。

Sally:それに、玲央さんも玲央さんで今とは全然違ったんですよ。

aie:攸紀くんもツインテールだったもんな。

攸紀:そうでしたね(笑)。

玲央:確かに、今あれを見たら誰が誰だかわかんなくてもしょうがない(笑)。


──そうした微笑ましいエピソードもありつつ、keinは2022年5月に現体制での復活を遂げました。また、2023年8月にはファーストフルアルバム『破戒と想像』を結成から26年越しでリリースされることになりましたけれど、そもそも解散から20年が経過していたバンドであり、それぞれにメンバーは現役でさまざまなバンドやプロジェクトでの活動をしている中にあって…敢えてこう表現させていただきますけれど“わざわざ”keinを再生させることになった理由、とは何だったのでしょう。

玲央:2022年から一旦lynch.の方を活動休止することにした時、僕はその期間の中で自分自身をより高めるために何が必要なのか?っていうことを考えたんですよ。そうしたら、先ほど攸紀くんも言っていたとおりで、やはり自分にとっての原点をもう一度見つめ直すべきだなと感じたんです。そこまでずっとlynch.というバンドを続けてくることで僕の中で出来上がっていた、悪い意味でのフォーマットを崩すためにもそれは必要なことでした。

──なるほど、そういうことだったのですね。

玲央:幸いなことに、keinのメンバーのほとんどが音楽をまだ第一線で続けているというのも大きかったですね。まぁ、当時のドラマーとはちょっと縁遠くなってしまったんですけど、眞呼さん、攸紀くん、aieさんの3人には僕から最初に声をかけまして、その時点で自分の中では万が一上手く行ったらこういう運びで進めていこう、というシナリオも既に書いてありました。2022年の4月1日に「嘘」というMVをアップして、5月1日に公式ページを起ち上げて、2000年に解散した日と同じ8月21日に同じ名古屋で同じタイトル、同じ曲目でライヴをするというところまでプレゼンして、みんなからのOKをいただき、そのうえで2022年からkeinはリスタートしたわけです。

──もはや伝説と化していたkeinが、22年もの歳月を経て復活するとは予想外でした。

玲央:逆に言うと、僕にとっては22年の月日が必要だったというのもあるかもしれません。もちろん、lynch.の活動休止が切っ掛けになっているのは間違いないんですが、やっぱり個人的にはkeinの解散ってもの凄くショックが大きかったので、その傷が癒えるまでに22年かかったというか。僕にとって、keinはそれだけ意味の深い存在だったんです。

──人生という限られた時間の中において、玲央さんはkeinの過去をきっちりと回収したうえで、さらに未来へと向けてのあらたな物語も紡がれているわけですね。だとすると、今回のメジャーデビューを踏まえたEP『PARADOXON DOLORIS』の制作を始めるのにあたり、バンドとしてここに託したヴィジョンとはいかなるものだったのでしょうか。

玲央:まずは秋冬のツアーをやろうということになって、だったら東名阪2デイズにしたいし、そのタイミングで新しい音源も出したいねという話になったんです。内容や方向性に関しては、ライヴのメニューも意識したうえでエネルギッシュな作品にしたいよね、というところで意見がまとまりました。それで、曲はそれぞれ持ち寄りましょうとなったんですよ。うちのメンバーは、おのおののバンドでも曲を書いてる人間ばっかりですから。

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