【インタビュー】逹瑯(MUCC)、ソロ第二章となるアルバム二作に迷いなし「自由に歩きたい方向に進んでいく」

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■アルバム収録曲が変わるとなったとき
■結果的にばっちりハマった


──足立さんに曲のベーシックをオーダーするときは、サウンド面から入るんですか?

逹瑯:空気感とか、温度感とか、具体的に「このアーティストのこういう感じがいい」みたいに伝えることもあります。曲が増えてきたら、「今度はこういうテンポ感の曲がほしい」とか「メロディの感じがほしいから、ちょっと作ってみてくれないかな」っていう感じですね。メロディも最初にある程度イメージを伝えておいて、気になるところをちょっと変えたり。

──オーダーして、それに対するやり取りを経て生み出すような共同作業ですね。

逹瑯:例えば「COLORS」という曲には最初、サビにもちゃんとしたメロディが付いていたんですよ。だけど、シンガロングがいいなと思って、コーラスから入るように変えました。逆に、「お前だよ」は足立がつけてきたメロディそのままなんだけど、サビ終わりをシンガロングにしちゃおうとか。で、激しい曲とはちょっと違う曲もほしいなと思ったので、どうせなら「LASTICA (type RE:)」を入れちまうか、と思って入れたんですよ。本来入れる予定はなかったんですけど、ツアーでガンガンやっていくだろうし。それでバランスが良くなったと思います。

──そのバランス感覚が的確です。“こういう曲がほしい”という発想は、ご自身の感覚で出てくるんですか?

逹瑯:思いつきですかね。それに対して、「こういうことですよね?」っていう足立からの再現度が高いので、「そういうことです!」って。

──全部を自分で決定していくのがソロの面白さであり、大変さでもありますよね。1stアルバムの時は「そこがなかなか大変」とおっしゃっていましたが、楽しめるようになってきましたか?

逹瑯:面倒くさいことは面倒くさいですよ(笑)。誰かが決めてくれることがほぼなくて、みんなお伺いを立ててくれるので。だいたい「いいよー。大丈夫でーす」って言うだけなんですけど。


▲<MUCC THE END OF 25th COUNT DOWN FAMILY PARTY -逝く年 狂年 Lightの宴->

──どういう歌詞を書いて、どのように歌うかも自分で決めるわけですよね?

逹瑯:そうですね。歌詞は、ある程度土台ができた曲を聴きながら、“脳みそのどこが刺激されるかな?”ってイメージを膨らませて書いていって。歌録りに対しては迷うこともありますね。歌い終わってその時はOKだと思っても、後から冷静になってラフミックスを聴いたら“違うな”と思って歌い直したり。「お前だよ」のAメロは二回ぐらい歌い直してます。

──「お前だよ」は、優しいメロディに対して、“♪お前が嫌いなだけ”と突き放した歌詞になっているのが面白いですね。

逹瑯:曲を作ってるとき、俺としては“結構ノレる曲”っていう認識でいたんだけど、足立は「この曲、まったりしてますよね」と言ってて。“その感覚の違いを埋めるのは、歌詞の内容と歌の感じだな”と思ったんですよね。この曲のイメージ通りの言葉を乗せてしまうと、ゆったりした大きい曲になっちゃうから、インパクトのあるちょっとシニカルな詞を乗せたほうがいいぞっていうことで書いていきました。

──最初に作ったという「COLORS」や「OVERKILL」は、ヘヴィなロックナンバーで、歌や歌詞も攻撃的なテイストになっています。

逹瑯:「COLORS」は、曲がバーッと突き進んでいく中で、「COLORS」というタイトルだからこそ、鮮やかなものに囲まれている絶望感を書きたいと思って。新しい色で染められない、選択肢が極端にない状態の息苦しさ、みたいなものを上手くカモフラージュしながら書いていきましたね。

──一方の「OVERKILL」は、いわゆるSNSや世間に対しての苛立ちや毒が伝わってきました。

逹瑯:こういう曲調だったから、トゲトゲした歌詞を書きたいなと思って。基本的に、俺はずっと平和に生きていきたいタイプなので、トゲトゲした感情が剥き出しになっているものには触れたくないんですけど、そういうものってSNSとかインターネット上にすごくたくさん流れてるじゃないですか。こういう感じの世の中はあんまり好きじゃないので、好きじゃないなあという気持ちを書いた歌詞です(笑)。

──いざ書こうと思うと溢れてくるものですか。

逹瑯:そうですね。イヤだな、きらいだなと思う感情って、見たくないだけで、何も感じていないわけじゃないので。それに、何も感じないものは歌にならないですから。好きなものか嫌いなもののほうが歌にしやすいですね。

──このあたりの曲からは、先ほどおっしゃっていたMUCCのDNAを感じます。

逹瑯:違う源流から流れてきて、河口で合流しそうになってるみたいな(笑)。あえて無理やり違うことをやろうと思っても不自然になるし、自然と出てきてしまったなら、これはこれでいいやって感じでしたね。でもソロだと、歌詞に合わせてメロディや譜割りをいじって改造したりとか。自分だけの責任で好き勝手に作ってるという意味では、感覚がまったく違うかもしれない。MUCCでは、他のメンバーはどうかな?とか、メンバーが書いてきた曲に対して、これでいいかな?とか考えるので。歌詞自体も、ソロのほうはMUCCよりかなりリラックスして書いてますね。


▲<MUCC THE END OF 25th COUNT DOWN FAMILY PARTY -逝く年 狂年 Lightの宴->

──そして「CATHARSIS」は、シングル曲に近いポップさがありますが、どのように生まれてきた曲だったんですか?

逹瑯:アプリゲームへの提供曲として作って、別のタイミングでリリースしようと思っていた曲なんです。アプリ側から、世界観の指定とか、“こういう感じの楽曲でお願いします”というオファーがあって。その世界観の中で、生きて考えている自分の言葉として落とし込んでいきました。だから、そのアプリゲームを作っている人たちや、その世界を楽しんでいる人たちにプレゼントする曲というイメージですね。誕生日でも記念日でも、人にプレゼントをあげる時って楽しいじゃないですか。こういうのが好きかな、喜ぶかなって相手のことを考えているうちに、自然と自分の考えも入っていく感じ。

──作品の世界に寄り添いつつ、“♪未来を今 変えに行こう”というフレーズが印象的で。“未来を変えることで、過去の傷が癒える”というメッセージは、誰しもに伝わる普遍的なものですよね。

逹瑯:そうですね。特に、アルバム収録曲が変わるとなったときに、新しく入ってくる曲としては、すごくぴったりだなと思いました。“ネガティヴなことが起きたとき、そこでくよくよしててもしょうがないから、次にいこうよ”という意味では、結果的にばっちりハマったと思います。

──逹瑯さんのそのときの気持ちにも偶然フィットしたと。

逹瑯:はい。気持ちを切り替えて、ここから頑張るかって。

──「お前だよ」と「NOBLE」からまた少し色が変わって、大人っぽいゾーンに入ります。「NOBLE」はインダストリアルなビート感で、今までになかった雰囲気ですね。

逹瑯:「ちょっとミドルテンポで重ための曲がいい」って足立に投げたら、それに対して上がってきたものがすごく好きだったので、そのままアレンジしていきました。歌詞は制作終盤のほうに書いたんだけど、今回、ラブソングがないからラブソングを書きたいなと思ったんですよね。それで、ガキの頃にD'ERLANGERとかBUCK-TICKを聴いて感じていた…官能的なんだけど、下品じゃなくて純粋さがあるようなラブソングにしようと。この歳になってきたら書けそうだなと思って書きました。リアルなんだけど、ファンタジーと官能的エロスと純粋さみたいなものが混ざるようなイメージで。

──そして、ラストはシングルの「残刻」と「ソラノカタチ」で締め括られます。

逹瑯:「残刻」のキラキラしたイントロの中にパーッと入ってくるオリエンタルな感じがエンディングっぽくていいなと。で、曲順変更後、新たに最後を任せられる曲は「ソラノカタチ」しかないと思って決めました。1曲抜けてほかの曲に入れ替わっても、ある程度かたちをちゃんと作れる強い楽曲たちがあってよかったです。

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