【インタビュー】終活クラブ、2ndアルバムとメジャーデビューを語る「こだわりを捨てず、よりポピュラーなものを作るという挑戦」

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■青春時代の心のガタガタさを表現したくて
■わざと言葉の順番を入れ替えたんです


──先ほども言いましたが、終活クラブの楽曲はビートチェンジを多用することも特色になっています。リズムにも強いこだわりを持たれていることを感じますが?

少年あああああ:ビート自体は直観的というか。メンバー間で解釈を合わせる場面もありますが、結局のれるかどうか。それが一番大事だと思っています。ファイヤー・バード(Dr)は、僕のことが大好きなんですよ、自分で言うのもなんですが(笑)。「少年あああああが歌いづらいようなドラムは叩きたくない。自分らしさみたいなものも表現したいけど、それで歌いづらくなるくらいなら、絶対にやらない」っていつも言っています。なので、ドラムに下支えしてもらっているんですけど、“もっと盛り上がりたいよね”ってところ…それこそ「創作逆モラトリアム」のサビみたいなところではサンバビート的なパターンを入れてくれたり。

──バンドの状態がいいことを感じます。それにビートチェンジや場面転換が多くても、常にしなやかなファイヤー・バードさんのドラムはすごく魅力的です。「創作逆モラトリアム」や「残留思念パラドックス」を筆頭に『終活のてびき』には注目すべき楽曲が揃っていて。たとえば、スローチューンの「タイトル未定3」は繊細さとドラマチックな味わいを融合させた手腕が光っています。特に歌詞が秀逸で。

少年あああああ:終活クラブには「タイトル未定」という楽曲シリーズがあるんです。それは自分がタイトルをつけずに取っておいたもので、共通しているのは青春を歌っているところ。「タイトル未定3」に書いたような青春って、正直なところ1から100まで全部覚えてはいないんですよ。思い出というのは、どんどん美化されていくものじゃないですか。記憶していると思っていることでも、果たしてあったのかなかったのか分からない。でも、青春時代の情景がいきなり蘇ってくることがあるんです、僕。


──分かります。

少年あああああ:中〜高校生のときのことなんですけど、自分の影が好きな子の影に触れただけで、なにか意味を感じたり、その人の名前をノートに書いては消してみたりとか。教室のデカい窓の向こうに青空があって、ちょっと草の匂いがしてとか…、そういう情景をふと思い出すことがあって。それをそのまま歌詞にまとめているのが、「タイトル未定」シリーズなんです。

──甘酸っぱい記憶ですね。

少年あああああ:はい。「あったのかなかったのか分からない」と言いましたが、「タイトル未定3」のラストのサビでは、記憶が真実なのか思い込みなのかをゴチャゴチャにさせるための手法を歌詞上で用いていて。というのも、“♪雨粒 連れ落ちる 夏のかけら”から最後のAメロにいくまでの歌詞は、微妙に意味が通らないように書いているんです。だって“♪橙が差すなら 君の髪も 片道で140円の距離”って、普通に読んだらよく分からないですよね。それは、いわゆる青春時代の心のガタガタさみたいなものを表現したくて、わざと言葉の順番を入れ替えたんです。

──おおっ! すごいことをされますね。

少年あああああ:そういう手法が小説とかにもあって。書いた原稿をバラバラに切って、無作為に並べることで混ぜてしまうという。

──ウィリアム S バロウズで有名なカットアップやフォールドインという手法ですよね。そのほうが遙かにイマジネーションが沸いて、意味を成したりするとかで、デヴィッド・ボウイもその手法を取り入れた作品を残しています。それに、シリアスな雰囲気の「四秒までの行脚」もアルバムのいいアクセントになっています。

少年あああああ:この曲はタイトルどおりで。一番最後の“♪たかが100年の偉人伝が この一瞬を超えるもんか”という結論めいた言葉に辿り着くまでに、めちゃめちゃウロウロするという曲です。なので、神様の悪口や、内緒の薬を処方してくれと言ってみたりしている。でも、死ねないということを選んだ時点で、生きるしかないじゃないですか。“生きるためのなにか”に辿り着くまで、すごく悩み続けるんですけど、最後はすごくシンプルな結論だったという曲です。


──この「四秒までの行脚」も多くのリスナーの共感を得ると思いますが、少し不思議に感じることがありまして。たとえば「四秒までの行脚」も含めて、終活クラブは内面の苛立ちや苦しみを強い言葉で歌っている楽曲もありますが、それを少年あああああさんの歌声で聴くと、あまりヒリヒリした感じがないんですよね。

少年あああああ:それはよかったです(笑)。いわゆるアンチっぽい歌詞を書くときに僕は、語感とメロディーにすごく気を遣うんです。耳に心地よく入るようにしたいから。それに、ここぞというとき以外は、強い言葉や口調を用いない。そこまであえて、斜に構えて歌うというか。口喧嘩をするときに、“こっちは余裕だぜ”って雰囲気を出すみたいなのってあるじゃないですか、本当は余裕じゃないのに。それを曲でもやっているんです。

──たしかに、「零落」は全体として柔らかく歌いつつ、“♪人間ってなんだ”という言葉を強く歌うことで、その瞬間がより心に響きます。続いて、ダンサブルな「やさしいおばけの決まりごと」ですが、知的な味わいのイントロや、中間部のリーディングを活かした演劇的な展開が個性的ですね。この曲も歌詞が面白い。

少年あああああ:僕は、“やさしいおばけ”という神様を自分の中に作っていて。その世界のルールを勝手に決めるべく歌詞にしたのが、「やさしいおばけの決まりごと」です。だからこの曲は、“♪やさしいおばけの決まりごと”という言葉から始まっているんですね。その決まりごとのひとつめが、“♪ひ) 神様は元来からいないこと”で、それに対する注意事項として、“♪注) ただし作ったならば信じ抜くこと”だと。ふたつめは、全部書ききりなさいよという意味で、“♪ふ) 断簡零墨を残さずに書くこと”で、それに対する注意事項として、“♪注) 忘れないように歌い続けること”と。そういうかたちで、5つの決まりごとを書いてるんですけど、最終的な結果として、それが終活クラブとリンクしていく…つまり終活クラブ自身のことを表した歌詞なんです。で、やっぱりこの曲のミソは2番のリーディングパートで、イシダヒロキ(B)が喋っています(笑)。


──えっ、そうなんですか? 少年あああああさんじゃないんですね(笑)。

少年あああああ:はい。ライブでも立ち位置を入れ替わって、イシダヒロキが喋るという。曲の途中で彼が“謎のおばけに助けられた”エピソードを語って、「嘘でーす!」と言ってから、“♪こんなのは創作である”という歌詞に戻るんです(笑)。

──すごいことになっていますね(笑)。イシダヒロキさんのリーディングは、“ライブでそういうことをしたら面白いんじゃないか”というアイデアから取り入れたのでしょうか?

少年あああああ:いえ。どちらかというと曲先行ですね。“この曲をより胡散臭くするためにはどうしたらいいんだろう”と考えたときに、2番でイシダヒロキが嘘を喋ることにしたんです(笑)。

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