【インタビュー】結成40周年のROSEROSE、3ヶ月連続で再発盤リリース「当時の僕達の熱量を感じてくれたら」

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今年2023年12月に結成40周年を迎えるROSEROSEであるが、それを記念して3カ月連続して過去作が再発される。第一弾はROSEROSEと関係が深いSICとのSPLIT作「THROBBING OF THE NEEDY」と同じくROSEROSEと関係の深いカルヴ(当時はHERESYのメンバーとして活躍)のレーベルからの「LIQUIDATION」のカップリングで、共に海外からのリリース作だった。第二弾はライブとスタジオ音源を収録したカセット作「SURROUNDED BY FOES」とデス・メタルへと接近したその名もズバリな「BRUTALIZE」のカップリング。そして最後となる第三弾はROSEROSEのデス・メタル期を語るに外せない「DEADEN THE NERVE Pt.1」と「DEADEN THE NERVE Pt.2」のシリーズ作のカップリングとなっている。その後もサウンドが変化していくROSEROSEであるが、メタルへ最接近し一番物議を醸したのがこの時期の作品達かもしれない。ROSEROSEの創設者として今も活躍するHiroに当時のことを色々と振り返ってもらった。

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■信頼関係でリリースした作品

── 今回1980年代後期から1990年初期の作品が色々と再発されますので時系列を追って質問していこうかと思います。今回のリリースの中で最初となるのはSICとのSPLIT作である「THROBBING OF THE NEEDY」でしたよね?

Hiro:そうです。フランスのJungle Hop Internationalからのリリースでした。

── そうだったんですね。イギリスのDecoyが元々のリリースだと思っていました。Jungle Hop International盤とDecoy盤とではジャケットも違いましたね。SICとは音楽性やアティテュードも近いことからこのリリースに繋がったのですか?

Hiro:SICとはよくライブをやっていたし、ロジャー(※注1)からこのリリースの話があって。その時彼が話していたのはJungle Hop Internationalでした。

── ROSEROSEは「KILL YOUR BRAIN」(1988年)から“From Hand To Mouth”と、「EMOTIONAL DISTURBANCE」(1986年)から“Brave It Out”を再録していますね。

Hiro:“Brave It Out”はロジャーが「日本レントゲン」に収録してくれていたのかな…、いや違ったかな? とにかくインスト曲を「日本レントゲン」に収録してくれたんですよ。その時に彼が歌モノを収録しなかったのが面白くて、“Brave It Out”はインスト曲のイメージが強かったから収録しようかとなって。“Brave It Out”はそのままメドレー的に“Christ”って曲に雪崩れ込んでいきます。ロジャーに関係した曲を収録しようとなってこの曲を選びました。“From Hand To Mouth”は「KILL YOUR BRAIN」に収録されているのだけど、それは海外ツアー(UK/ヨーロッパ・ツアー)から帰ってきて作ったアルバムなんです。そのツアー先の影響をガッツリと受けてメタリックなアルバムになっていたんですね。それで僕達はゴリゴリのグラインドでハードコア色強いものと考えて作ったんだけど、ロジャーには「ROSEROSEはメタルになってPOSEPOSEだ」って言われたことがあったんです。それでふざけるなと思って、「KILL YOUR BRAIN」からこの曲を選んだのを覚えています(笑)。

── ロジャーへの皮肉を込めてですか?

Hiro:皮肉と言うよりロジャーを揶揄う気持ちが強かったです。

── 今「グラインド」って言葉が出ましたが、グラインドコアの影響も当時のROSEROSEは受けていましたか?

Hiro:もうNAPALM DEATHは聴いていた。日本ではまだグラインドコアはいたか、いなかったか…。日本はSxOxBがいたけど、初期はグラインドコアってよりもスピードコアってイメージが強かった。“From Hand To Mouth”の最後のパートはスネアの音を合図にグラインドをやっているけど、それは完全にNAPALM DEATHの影響です。“Fastest Splatter”、“Revenge”、“Come From Beyond (Over Midnight)”は当時THE ACCÜSEDが大好きでスプラッター・ロックをイメージで作ったと思う。それに“Come From Beyond (Over Midnight)”はBEYOND POSSESSIONも好きだったから、バンド名に引っ掛けて「BEYOND」って単語をタイトルに入れたとも思う。“Not Remorse But”はAGNOSTIC FRONTで、NY系のハードコアをイメージしていた。オリジナル・メンバーのSadaが在籍でのスタジオ作はこの「THROBBING OF THE NEEDY」が最後です。そうそう、“Christ”も7ep「SKATEHEAD’88」(1987年)に収録していたから、このSPLITは再録が多いね。



── ROSEROSEは再録曲が多いバンドですよね。

Hiro:再録が好きなんだよね(笑)。リリースして聴き直すと「ここをこうしたかった」って思うことが多いから、それで再録しちゃう。“Come From Beyond (Over Midnight)”はROSEROSE最初の音源となった1985年リリースのソノシートに収録していた“Over Midnight”のリフをアレンジした曲でもあります。

── 続く「LIQUIDATION」からギタリストがNatsukiさんに変わりますね。彼は元々ROSEROSEのスタッフだったのですよね?他にギタリスト候補はいましたか?

Hiro:候補はいなかったというか、Sadaがある日のスタジオで辞めるって言ってきて。彼にも色々と事情があったから仕方ないんだけど、Sadaから「俺の後のギタリストはNatsukiにしてもいい?」ってもう彼の中で決めていたみたいで。それで「Natsukiで大丈夫だよ」って答えて。

── そこにNatsukiさんの意志はなかったのですね?

Hiro:僕からもSadaからも後任についてNatsukiには連絡して、有無を言わさず彼になっていたというか…(笑)。

── 「LIQUIDATION」はフル・アルバムとして4作目になるのですよね。

Hiro:「EMOTIONAL DISTURBANCE」(1986年)、「MOSH OF ASS」(1987年)、「KILL YOUR BRAIN」(1988年)に続くフル・アルバム4枚目になります。

── 「LIQUIDATION」は日本語で『清算』と言う意味で後の変化を考えると意味深だと思うのですが、この時には次の展開とかを考えていたのですか? それとも偶然だったのですか? タイトルに込めた思いとか当時の状況について語っていただけますか?

Hiro:想像通りです(笑)。当時、凄く一区切りした様な感覚だったんです。ギタリストがSadaからNatsukiに変わり、音楽性やライフスタイルも変化し始めた頃だったので『精算』ってワードにビッと来たんですよ(笑)。『重く、速くを更に突き詰めて行きたい。そして今迄とはおさらばさ』って感覚でしたね。新たに次のステージを行くんだという気持ちがありました。「LIQUIDATION」からチューニングも下げています。

── 「MOSH OF ASS」はライセンス盤としてIn Your Face Recordsからリリースされていましたが、これは最初からIn Your Face Recordsからのリリースですね。

Hiro:HERESYのカルヴがやっていたレーベルです。

▲「LIQUIDATION + THROBBING OF THE NEED」


── ROSEROSEとHERESY/カルヴは繋がりが強いイメージですが、知り合った切っ掛けは何だったのですか?

Hiro:「MOSH OF ASS」のライセンス・リリースが先だったのか、UK・ヨーロッパ・ツアーの話が先だったか、今から振り返ると不確かなんだけど、当時RECORD BOYをやっていた別宮さんや「DOLL」誌の森脇さんを通してが初めてだったと思う。別宮さんは当時何度かUKに行ってシーンにも触れてきて、カルヴとも交流を深めてROSEROSEの件もやりましょうってなったと記憶している。う~ん、最初はリリースが先だったかな?それでリリースをするならツアーもやりましょうって話が広がっていったかも。

── それで日本のハードコア/パンク・バンドとしてROSEROSEが初の海外ツアーを行って、その時にカルヴとは仲良くなったのですか?

Hiro:その前からカルヴとは仲良くなっていました。当時はインターネットなんて影も形もなかったから、電話をしたり手紙を送ったりで海外とコンタクトするにはお金と時間が掛かる非常に大変な時代でした。そんな方法でしたが僕は彼に親近感を持って、実際にツアー先で会って「この人がカルヴなんだ」って感動しました(笑)。

── カルヴが来日した時にHiroさんの家に居候していたって話がありますが。

Hiro:彼はプライベートで2回以上来日しているけど、初めての来日の時は僕の家に泊まっていて、僕が家にいない時は両親とどこか遊びに行ける位に溶け込んでいましたよ。

── コミュニケーションとか大丈夫だったのですか?

Hiro:その時はビックリする位に日本語話していたよ。かなり勉強していたみたい。

── GERIATRIC UNITで来日した時はあまり日本語を話していなかったイメージがありますが。

Hiro:忘れちゃったか、面倒くさかったのかもね(笑)。

── カルヴはどの位Hiroさんの家にいたのですか?当時Hiroさんの家に行くと、カルヴが花壇の花に水をやっていたって話も聞きました。

Hiro:1~2か月だったと思う。花壇に水をやっていたかは知らないけど(笑)。

── 先ほども出ましたが、当時インターネットがなかったとなるとリリースまで諸々の作業は大変だったのではないですか?

Hiro:それは楽だったのですよ。レコーディングしたものを送ってあとは向こうが全てやってくれたので、何の苦労もなかった。アートワークは当時ROSEROSEのスタッフだったシュウちゃんって人がいたんだけど、彼が描いてくれて、それを送って。そうしたらレーベルのマークとかを向こうがレイアウトして仕上がってました。全てほぼ一発のやり取りで完了したね。契約がどうのこうのもなかったとかもなかったから、インディーズの仕来りって部分で成り立っていたから難しいことはなかった。信頼関係でリリースした作品ですね。お互い何となくダラしなかったからってのも大きかったかも(笑)。

── この作品だと“Mirror Image”のイメージが強いですね。あと再録ですが“Rise Above”で締めるのも。

Hiro:それは嬉しいかも。この作品からは最近“Don't Excuse”もよくプレイしています。“Mirror Image”をやらなくなってきたので、またやらないとだ。

注1:本名はロジャー・アームストロング。GASTUNKのタツ、LIP CREAMのジャジャ等が在籍していたDEAD COPSの元メンバーで、その後NO LIPやSICといったバンドで精力的に活動していた。「日本レントゲン」という日本のハードコア・パンクを収録したオムニバス・ビデオ・シリーズ(VHS)も監修/制作していた。バンド活動だけでなく多角的に日本の80年代ハードコア・パンク・シーンの発展に貢献していた人物。現在はアメリカに帰国して、DOUBLE FISTEDというバンドで活躍している模様。

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