【インタビュー後編】有華、心が折れかけても諦めなかったデビューという夢「チャンスを掴もうと一生懸命でした」

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■インディーズのときに「Partner」を配信リリース
■私の歌が広がったという実感が持てた


──すぐにオリジナル曲は作れるものでしょうか。

有華:いわゆるコードとかは知らなかったのですが、音楽的基礎知識はあったのでわりと早く呑み込めたと思います。初めて作ったのは、私の友達への曲。どこかに発表するための曲ではありませんでしたが、友達が喜んでくれたのが嬉しくて。当時から、歌詞とメロディーはたいてい同時に出てくる感じでしたね。アカペラでメロディをラララで口ずさみながら、「友達に贈るならどんな言葉がいいかな」とか、イメージして似合う言葉を探して当てはめていくような感じで作ります。だから、作る前にテーマを決めておくのが実は大事なんですよ。

──大学進学後も音楽活動を続けたそうですね。

有華:はい。ライブハウスで歌わせてもらいながら、チャンスを掴もうと一生懸命でした。大学に入る前にデビューするつもりだったので、気持ち的にかなり焦っていましたね。親は応援しながらも心配もしていたので、卒業後は社会人として働きながら音楽活動をした時期もありました。どんどん年齢を重ねるうちに、「もうデビューなんてできないんじゃないか」という気持ちになることも。そんなときは、自分と同い年でデビューした人をインターネットで検索して、「私もまだ大丈夫」と言い聞かせていました。20代のうちは、メジャーデビューできるように音楽活動を頑張ろうと決めたんです。

──デビュー前もInstagramでたくさんのフォロワーがいて、全国でワンマンライブをするなど、十分活躍していたと思いますが、有華さんにとってメジャーデビューは譲れない目標だったのですね。

有華:ええ、そうだと思います。だから、コロナ禍になってライブができなくなったときは本当にどうしていいか分からなくなったし、心が折れかけたこともありました。でも、身近な人たちの支えに助けられながら、なんとか諦めずに続けられました。心がすごく揺れ動いていたとき、自分で思いもよらない出来事が起きたんです。

──どんな出来事ですか?

有華:2022年4月、まだインディーズのときに「Partner」を配信リリースしたことです。この曲がたくさんの方に届いたことで、大きく流れが変わったなと感じました。それまでの活動ではなかなか聴いてもらえなかった方々にも私の歌が広がったという実感が持てたんです。きっと、あの歌があったからメジャーデビューという形にもつながらなかったでしょうし、私にとって特別な1曲ですね。



──1月のデビューから怒涛の2023年だと思いますが、特に印象に残ってることはどんなことですか。

有華:最近ですが、楽曲がすごい広まってるんだなって実感することが増えました。フリーイベントなどでライブをした時に、「Baby you」を歌い始めると皆さん振り返ったり、立ち止まって聴いてくださるんです。デビュー前は、待ちゆく人を振り向かせるために必死に頑張って歌っていたので、それは私にとって本当に新しい光景でした。そういう曲をもっとたくさん出せるよう、自分の名前や歌をもっと知っていただけるように頑張りたいなという気持ちが強くなりましたね。



──インディーズとの違いは他にも感じることはありますか?

有華:そうですね…。インディーズでは、曲を作ってレコーディングするときも全部自腹でしたし、その作品をプロモーションするのも私自身でした。一人でできることは限られていますから、こうして取材していただける機会もめったになかったですね。でも、今は有華というアーティストを知ってもらおうと、がんばってくれるチームがいます。それに、以前は自分だけで何もかも決めてきたけど、「これはどう思う?」とか「こっちのほうがいいかも」と話し合えるって、すごく心強いんですよ。時には、意見がぶつかることもあるけど、それも有華という存在を真剣に考えてくれているからなんですよね。熱意をもって伴走してくれる存在が居てくれるのは、本当にありがたいなと思います。

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