【インタビュー】ジェームス・ラベル、「DJやクラブカルチャーは世界中の人々が一緒になるのを手伝えるような気がしたのです」

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2023年8月5日、6日に行われる<MARINA SUNSETʼ23>に出演するジェームス・ラヴェル。久しぶりの共演となるDJ KRUSHや高木完といった日本の友人たちのことやMo’Waxなど、間近に迫った<MARINA SUNSETʼ23>に向けて話を聞いた。

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■世界各地をツアーで回ってたくさんの面白いところで
■プレイすることができて本当にラッキーだと思う

──最近はDJイベントやライブ、世界ツアーなどお忙しいと思います。中でも南アフリカは私たち日本人にはどんなシーンなのか未知数ですが、いかがだったでしょうか?

ジェームス・ラベル 南アフリカはエレクトロ・ミュージックがとても活気に溢れている様子でしたが、実は家族旅行だったので仕事でパフォーマンスをしたりショーを観に行くという機会はなかったんです。

──中東、南米、東南アジア、中国大陸、ヨーロッパ、アメリカなど他のテリトリーはいかがですか?

ジェームス・ラベル 世界各地をツアーで回ってたくさんの面白いところでプレイすることができて本当にラッキーだと思います。過去30年以上にわたって世界的なエレクトロ・ミュージックのインパクトがいかに大きいか、そしてそれによってもたらされた驚くべきシーンやサブカルチャーを経験できたことも素晴らしい。音楽がどのように私たちをひとつにして、国境を超えて共通の言葉を生み出すのか、とりわけエレクトロ・クラブミュージックのパワーに驚きました。中東や中国でクラブシーンが始まったばかりのタイミングで現地でプレイできたのはとても幸せでしたね。それはまるでベルリンの壁が崩壊した後の東欧諸国がクラブシーンに目覚めたころに例えることができるかもしれません。



──90年代から10年以上イギリスで開催されていた<That’s How It Is>とはどのようなイベントでしたか?  2023年4月に再現された経緯と、どのようなイベントになったのか教えてください。

ジェームス・ラベル <That’s How It Is>はもともとロンドンのバー・ルンバで毎週月曜日夜に催された独創的なクラブナイトセッションで、ホストは僕自身、ジャイル・ピーターソン、そしてジャニン・ナイでした。プリントワークスはロンドンのアイコン的な巨大なウェアハウスクラブで、元印刷所だったところを改造してできたものでしたが、2023年4月に閉店となりました。歴史的なクラブの閉店に際して社内プロモーターの The Hydraがイースターの休日に5つの<Teachers>と題したシリーズのイベントを開催したんです。このイベントはロンドンの最も影響力のあったクラブイベントやパーティなど、ダンスミュージックカルチャーを形作ったクラブカルチャーに敬意を表しその足跡を刻むためです。

プリントワークス閉館イベントは制作に多くの時間を費やしたユニークな企画でした。数年間パーティをどのようにホストするかについて話し合いが続きました。夢を実現し、本来の<That’s How It Is>クラブナイトの精神を保持しながら素晴らしいラインナップでイベントのキュレイターをする機会を得られたのは本当に良かったです。ユアン・マックグラスとともにイベントのためにテイラーメイドした<UNKLE Rōnin ライブショー>公演のほか、同日の早い時間には元印刷所のインク室で、オリジナルのチャーリー・ダークと共にDJをしました。最後にはジャイルス・ピーターソンと共に特別なDJセットで元印刷所のメインルーム閉鎖を記念するDJをプレイしました。

私は光栄にもこの祝賀のメインイベントとして招待され、世界のアイコン的なクラブのメイン会場で<UNKLE Rōnin ライブショー>を行いました。同時に<That’s How It Is>のレガシーを祝福し、数々の素晴らしいコンテンポラリーのDJを生み出した軌跡を振り返る良い機会となりました。プリントワークスでの歴史的イベントの参加者ですが、チケットにはこう記されています。

「UNKLE - Rōnin LIVE, Bonobo [DJ set], Gilles Peterson, Kruder & Dorfmeister, Carl Craig, Nightmares on Wax, Roni Size back to back with Krust, James Lavelle & Charlie Dark, Nabihah Iqbal [DJ set], Anish Kumar, Jasper Tygner, Jay Carder, Tash LC, Donna Leake, Rebecca Vasmant, DJ Debra & Ben Wilcox and Helfetica.」(原文ママ)


──UNKLEの「浪人」の映像がとても素晴らしいです。このインスピレーションは何から生まれて来たのでしょうか?

ジェームス・ラベル これは長年のコラボレーターであるウォレン・デュ・プリ一ズ、ニック・ソーントン・ジョーンズとのプロジェクトから生まれました。「The Road Part2」で彼らが撮った映像「The Lost Highway」ではダンサー/武術家、そして著名な振り付け師でもあるマヤ・ジラン・ドンをフィーチャーしました。これは私の武道の歴史と文化、そして映画への愛からインスピレーションが湧いたからです。その映像からイメージを取りだし“ Roninプロジェクト”のアートワークを作り出しました。そして光栄にもタイトルのグラフィックは日本の7STARS DESIGNの堀内俊哉さんと作りました。


──「The Road Part1」がどのようにして生まれたのか教えてください。

ジェームス・ラベル 「The Road Part 1」のレコーディングを始めたのはロンドンで<メルトダウン・フェスティバル>のキュレーターをしていたころです。新しいレコードを作り始めようという気持ちが湧いてきて、LAでレコーディングをしてイギリスに戻って仕上げました。この作品では長年のコラボレーターのマーク・ラネガンやレイラ・モス、そして新しいアーティストのエスカ、キートン・ヘンソン、ミンク、エリオット・パウワ―などと共にコラボレーションしました。これは私がひとりで作ったレコードで、新しいスタートとなりました。「The Road Part 1」のレコードジャケットのアートワークはドイツ人画家のジャナス・バーガートとのコラボレーションで制作し、音楽とアートを結びつけました。私はギャラリーでのアートショーのキュレイターをしていたためたくさんのアーティストと交流があり、彼らがこのアルバムの他のアートワークに貢献してくれました。“The Road プロジェクト”のパート2のアートワークではイギリスのアーティスト、ジョン・スタークとコラボレーションしました。

──ロンドンのストリートの壁にUNKLEのポスターが糊付けで貼られてとてもかっこよかったです。 SNSなどプロモーションが強化されているなか、とても斬新なプロモーションに見えました。どういった戦略がありましたか?

ジェームス・ラベル 私は歩きながら道に貼ってあるポスターや広告の看板なんかを眺めるのが大好きなんです。私にとって実際に目の前にある物での広告は大切なんです。それによって面白い会話が生まれるし、デジタルの情報とは反対に現実に存在する物を見ることができますから。道路脇のポスターは常にカルチャーの大きな一部分です。私が道路脇のポスターが好きなのは、人々のソーシャルメディアでのアクセスデータによる解析や検索エンジンによってその人の好きなものを特定するのとは違うからです。外に出て、歩いて移動しながら新しいものに出逢える。特にロンドンの地下鉄のポスターは、検索で選ばれた物を見させられるのとは違って、現在街で起きていることを日記やニュースの感覚で知ることができる。ロンドンの中でも地域や住民によって地域毎に異なるポスターがあるので、新しい発見をすることができるんです。

──久々の来日ですね。今回の<MARINA SUNSETʼ23>の2時間のセットの内容を教えていただけませんか?

ジェームス・ラベル 前回、私がUNKLEのバンドで日本に来たのは2018年の<サマーソニック>でしたから、コロナ禍の後で今回初めて来日できるのを本当に楽しみにしています。今回のDJも何時ものように幅広いセットで考えているので、来て下さるお客さんのエネルギーとその夜の雰囲気によって、私自身も含めた会場の皆さん全員へのサプライズになると思います!


──今回はDJ KRUSHとの再会がファンの目玉になっていますが、いつぶりに会うのでしょうか?

ジェームス・ラベル 本当にその通りで、DJ KRUSHとプレイするのをとても楽しみにしていて、早く会いたいです。彼と前回会ったのはオーストラリアで、UNKLEのツアーの後、バイロンベイで数日休暇を過ごしていたときに道でバッタリ会ったんです!

──DJ KRUSHと最初に会ったのは90年代前半ですか? そのときにMo'Waxですぐに契約を決めよう思ったのでしょうか?

ジェームス・ラベル その通り。初めて私たちが出会ったのは彼のリミックスを聴いてから。90年代の日本でした。その後、私のパーティ<That’s How It Is>では彼のリミックスが大人気になりました。それで私は彼をイギリスに連れて行ってMo’Waxでの最初のアルバムのレコーディングをしました。それから確か彼をイギリスとヨーロッパでショーに招いたのを覚えています。

 ──DJ KRUSHの作品のインタールードを聴いて、その雰囲気でインストゥルメンタルを中心にアルバムができたのが『Strictly Turntablized』?

ジェームス・ラベル DJ KRUSHの作品を聴いて彼をスタジオに招いてレコーディングしたのは私のアイデアです。そのセッションの中から『Strictly Turntabalised』に入れて大きな影響力を与えた曲が「Kemuri 」で、そのことが彼を次のレベルに押し上げたと言えるでしょう。

──「Lost and found」も同時期に登場し、DJ KRUSHとDJ ShadowがA面、B面、そしてグラフィティアーティストのアートワークが使われて、世界中に衝撃を与えました。当時のエピソードを教えてください。

ジェームス・ラベル 当時の音とムーブメントの最先端にいたKRUSHとSHADOWの2人で両面A面のシングルを作ったらすごいだろうと思ったんです。そのころMo’Waxのさまざまなリリースに携わっていたアーティストのFutura 2000と仕事をしていました。それで彼に『Strictly Turntabalised』とこのシングルを含む連続のアートワークを依頼したのです。


■私の創造性はたくさんの
■異なる経験に由来している

──過去30年間、あなたは世界のクラブカルチャーの最前線にいました。UNKLEでのプロデュース活動だけでなく、その多彩なDJセットでも知られるあなたは、非常に影響力のあるテイストメーカー、音楽キュレーターとしても賞賛されています。あなたは表現者として特別なイマジネーションが豊かだと思います。そのさまざまなアイディアはいつ生まれてくるのでしょうか?

ジェームス・ラベル 私の創造性はたくさんの異なる経験に由来しています。例えば音楽、芸術、歴史、映画、言語など私の周りの世界、そして果ては政治で話題になることや恋人、家族、友人に至るまであらゆるところから見聞きするクリエイティブなアーティストや作品があると、その情報を收集することに没頭します。多様なものからインスピレーションを受けるので、それを自分なりにフィルターにかけて自分の仕事の中で表現するのですが、そういうインスピレーションに出逢ったときは強い感情に突き動かされて、私の仕事や作品を通してそのストーリーを語るんです。それは日記のような、精神浄化作用のようなもの。私が仕事の中でいつもやろうとしているのは、型にはまった“文化”という景観の中に濁点を投じて、それまで存在していたバリアを崩壊させ、そこから全く新しい何かを形作ることです。

──15歳でオックスフォードでDJを始め、30年後の世界中のクラブシーンの発展は創造できましたか?

ジェームス・ラベル 私は自分がこの道を歩み始めた当初から、DJとクラブカルチャーはもっとずっと大きなものに成長すると信じてきました。何かとてもすごいことのスタート地点に立っている、そんな気持ちでした。バリアを壊し、異なるカルチャーを経験したいと思う人にとってのユニバーサルな言語であることを確信していました。音楽がいかに人々を寄せ集められるのかを目の当たりにするのが大好きです。当時のクラブは皆が自分を曝け出せる、喜びと自己表現を経験できるところだという感じでした。それは言葉に出来ない言語で、世界中から集まった人々と音楽を通してコミュニケーションを取るということでした。DJ、クラブカルチャーは世界中の人々が一緒になるのを手伝えるような気がしたのです。


──Talkin' Loudを立ち上げ現在もカリスマDJ /ラジオDJのジャイルス・ピーターソンはどんな存在ですか?

ジェームス・ラベル ジャイルスはDJとして、そして音楽キュレーターとして最も大きなインスピレーションを与えてくれたひとりです。彼は私が仕事を始めたときにたくさんのことを教えてくれて助けてくれました。そして数多くのジャンルの音楽に心を開き、その中から優れたものを選りすぐっていく折衷主義を彼から学びました。それが私自身の音楽の旅に影響を与えてくれたと思います。

──<That's How It Is>をジャイルスと始め、シャフツベリー・アベニュー、バー・ルンバで月曜日の夜に行われた伝説のセッションで、あなたにとってどんな影響をもたらしたでしょうか?

ジェームス・ラベル そのころのパーティは素晴らしいもので、私のキャリアの中でも最も重要なクラブ経験のひとつです。ロンドンでのDJ生活ですごい時代だったと思います。あのころのレジェンドとも言えるクラブナイトには楽しくて仕方なかった記憶があります。

──1999年にオープンしたファブリックは、あなたの音楽的なキャリアにとって大きな転機となりましたね? レジデントとして象徴的な金曜のパーティ<FABRICLIVE>は5年間継続したそうですが、UNKLEの制作にも影響されましたでしょうか?

ジェームス・ラベル ファブリックは私のキャリアの中で間違いなくターニングポイントだったと思います。クラブカルチャーの様相がガラリと変わり、私に新しいサウンドでDJをする機会を与えてくれました。そしてそのころの新しいサウンドが私自身の音楽作りに影響を及ぼしたのです。ファブリックはその当時もそうでしたが今でもプレイするたびに素晴らしいクラブだと感じますね。ファブリックで長年のレジデントDJをした経験が私をDJとして成長させてくれましたし、同時に新しいところに出て行かなければいけないと考えるようになりました。

──あなたは世界有数のナイトクラブでレジデントを務め、中国や東欧でプレイした最初のDJのひとりで、6つの大陸すべてでプレイしています。また、UNKLESoundsプロジェクトの開発により、世界中を飛び回り、東京からメキシコシティまで、あらゆるフェスティバルやクラブでヘッドライナーを務め、最初のオーディオビジュアルDJセットアップのひとつを行いました。その行動力とバイタリティ、そしてクリエイティブな姿勢はどこから生まれてくるのでしょうか?

ジェームス・ラベル いつでも新しいことにチャレンジし、自分を新しい環境に置いて、ひとつのところで居心地良くならないようにすることで絶え間なく進化をする必要があります。そしてその変化や旅することを新しいアイデアと共に抱擁して楽しむことです。

──音楽はヒーリング効果などあると言われますが、あなたは音楽をどう捉えてますか? またあなた自身の音楽感や使命感などあれば教えてください。

ジェームス・ラベル 音楽は全てです! 音楽を通してさまざまなことを成しうるからです。例えば、癒し、コミュニケーション、仲間との付き合いの方法であったり、クリエイターとしての経験から言うとクリエイティブな表現方法でもあります。多くの人と同様に私は音楽と深い繋がりがあります。だからこそ音楽はパワフルなのです。私にとって音楽は、家族以外では、自分の人生と一体となって切り離すことのできないものです。

──1988年に藤原ヒロシ、高木完、屋敷豪太、K.U.D.O、中西俊夫が立ち上げたレーベル“MAJOR FORCE”のエピソードを教えてください。

ジェームス・ラベル 私が15歳でブルーバードレコードショップで働いていたころ、お客さんの中には当時ロンドンで一番人気のDJがよく買いに来ていました。レギュラーのお客さんだったボム・ザ・ベースのティム・シムノン、Stussy / Gimme Fiveのマイケル・コッパーマン、Ronin recordsのアレックスとジョニーらは日本に行ってDJをして来たと話していて、日本からMAJOR FORCEのレコードを持って来ていました。私はMAJOR FORCEの名前は聞いたことがありましたが、実際にそのレコードを手にとって見る機会がなかったのでとても興奮したのを覚えています。その当時MAJOR FORCEのレコードはカルトコレクターのアイテムだったんです。それ以前に『ザ・フェイス』や『i-D』でMAJOR FORCEのレーベルやアーティストについての記事を読んだり、ラジオやミックステープで幾つかのトラックを聴いたことがありました。私はそのサウンドに、プロダクションに、MAJOR FORCEの持つアイデンティティに恋をしたのです。初めて日本に行ったときMAJOR FORCEを訪ねました。

──K.U.D.O とUNKLEでプロデュースしたリミックスで一番気に入っている作品はどれですか?

ジェームス・ラベル K.U.D.OとはUNKLEで数多くの素晴らしいリミックスをプロデュースしましたが、一番印象に残っているのはCanの「Vitamin C」UNKLEリミックスです。


──ロンドンのあなたとハウイBとのスタジオのエピソードはありますか? また中西俊夫&K.U.D.Oはロンドンのシーンにどう融合して、音楽的にも細分化して行ったと思いますか?

ジェームス・ラベル 初めてハウイBに会ったのは彼のマネージャーを通してでした。そのころハウイBはNomad Soulのプロジェクトをしていて、私は彼らをMo’Waxで契約したいと考えてたんです。最終的には契約しませんでしたが、ハウイBとは友達になり、彼とは別のプロジェクトで仕事をするようになりました。私がHonest Jon’s recordsで働きながらMo’Waxを始めたばかりのとき、トシとK.U.D.Oに会いました。トシとK.U.D.O、私の友人であり2人のマネージャーでもあったマルツ氏と私で一緒にイギリスでMAJOR FORCE WESTをスタートしました。そしてハウイBと共にUNKLEの最初のレコードをレコーディングしてリリースしました。彼らと一緒に仕事をするのは素晴らしい経験でしたし、仕事が進むに連れてK.U.D.OとさらにUNKLEの最初のアルバムを含めたプロジェクトをすることになりLAにも出張しました。

私がソーホーにMo’Waxの事務所を開いたとき、ハウイBは彼のスタジオをそこに構えました。同じ場所にトシとK.U.D.OのMAJOR FORCE WESTの事務所を置きました。同じビルにはフレイザー・クック(現在はNIKEで活躍中)が事務所を持っていて初期のストリートファッションのブランドや商品を生産・流通していたこともありました。後にロンドンの北に事務所を移す以前、オリジナルのMo’Waxチームがこの同じビルで皆で働いていた素晴らしい時代でしたね。


──そして今回久しぶりに共演する高木完とのエピソードを教えてください。

ジェームス・ラベル 完は私が東京で最初に出逢った知人のひとりです。私を東京のクラブに連れて行ってくれて、そこで(藤原)ヒロシがDJをしていてビートルズの「Come Together」をかけていたのを覚えています。私が完に「これ何の曲?」と尋ねたらびっくりされて「ロックはあんまり興味ないから知らないんだ」と言ったら完は信じられないと言って笑っていました(笑)。私たちは一緒に遊び回って、彼は私をレコード店や他の東京の面白い場所に案内してくれました。当時のイエローでの素晴らしいライブなど、早期のMo’Waxの東京でのライブには、DJ Shadowや私と一緒にMCをしたり数多く出演してくれました。完は私の友人であり、愛すべき人であり、とても尊敬しています。彼は素晴らしい人であるとともに、日本の音楽シーンにおいてとても重要な役割を果した人物です。日本に行くたびに必ず彼と会って近況をお互いに報告し合います。最後に彼に会ったのは2018年のコロナ禍前で一緒にランチを食べました。完は素晴らしいエネルギーを持っていて、私の文化的なヒーローのひとりであり、私が憧れの人です。MAJOR FORCEは実に大きな影響を与えてくれました。彼と仕事できたのは素晴らしい経験です。

──いまや伝説となっている当時の原宿の仲間についてエピソードを教えてください。

ジェームス・ラベル 私の友人Gimme Five UKのマイケル・コッペルマンから、初めてA BATHING APE(R)のTシャツを貰いました。おそらくイギリスでA BATHING APE(R)のTシャツを着始めた最初のひとりだと思います。NIGOに初めて会ったのはロンドンに彼が来たときでしたね。

日本での最初のツアーはU.F.O.と一緒。そのときにFutura 2000を連れて来たんです。そしてその際に原宿でNIGOと再会したのです。そのころちょうどアンダーカバーのジョニオとも知り合って、NIGOとジョニオのお店Nowhereに行きたかったのに行き方が分からなくて、NIGOが原宿のウェンディーズに迎えに来てお店に連れて行ってくれましたのを覚えています。それからTシャツとジャケットを作っている彼の事務所にも行きました。NIGOと私は友達になり、彼がロンドンにしばらく住んだころはよく一緒に過ごしました。そうして彼とMo’Waxでコラボレーションするようになりました。

他にも遊び仲間でありコラボレーターとなったのが彼のMAJOR FORCE時代に知り合ったNeighborhoodのシン、Supremeのケン・オオムラ、Hysteric Glamourのノブ、カメラマンのYONE 、Skate Thing(スケシン)、マンキー、Medicomのオカ、Bounty Hunter のHIKARUなどでした。私たちはおもちゃやレコード、ファッションの熱心なコレクターという共通点で結ばれていました。原宿で遊び回っていたあのころは素晴らしい時代でした。若かったし、インターネットもまだなかったからイギリスやアメリカではまだ見たこともなく日本に行かないとないものがたくさんありましたから。発見の連続で楽しかったです。

──デザイナーの倉石一樹と新ブランド「studio.ar.mour」を立ち上がるそうですが、どんなブランドになりますか? 

ジェームス・ラベル すでにリミテッドのウェアとMedicomとのコラボでライトアップのベアブリックも作りました。カズキと私は新しいアイデアを練ってきていて、今年中にはもっと大々的に展開することになります。今からワクワクしています。


──1997~1999年代にMo’Wax Japanの一員で現在20周年を迎えるラッシュ・プロダクションの高山康志が今回イベントのブッキング・マネージャーです。彼は何度もあなたを招聘していますが、ラッシュの20周年にメッセージを。

ジェームス・ラベル 過去長年に渡ってヤスシと仕事をできたのは素晴らしかったです。彼は情熱的で、私たちはいつもユニークな企画をしようとして来ました。とても尊敬していますし、Mo’Wax Japanを一緒に立ち上げてNIGOや高木完と契約するなど、その功績に感謝しています。ヤスシは音楽とアートをサポートすることにとても熱心です。今回も彼が熱心に来日を誘ってくれて、私も行くのをとても楽しみにしています!

──イギリスの王室の戴冠式が行われましたが、いまのイギリスの経済や音楽産業、ユースカルチャーなどの調子はいかがでしょうか?

ジェームス・ラベル 確かにチャールズ国王の戴冠式は英国の歴史上とても大きなイベントでした。稀に見る長期、王位にいた女王が亡くなり、人々にとっては人生で初めて経験する大きな出来事でしたから。ただし私は個人的にはあまり興味がありませんでした。イギリスは近年多くの変化を経験しました。世界の他の国々と同様にコロナ禍で苦しんだだけではなく、英国政府は絶え間ない政権交代と混乱を繰り返しています。多くの英国人が経済困難の中にあり、この状況はしばらく続くでしょう。英国経済は酷い状態で、英国のEU離脱は国を二分化する惨事をもたらしました。こんな時代ですが、イギリスのクリエイティブ・シーンは負けてはいません。こんなときでも素晴らしいアートや音楽が存在し、それを支える友人や家族がいるからです。私はどんなに暗い時代にも光がさして、ありがたいと感じることが存在すると信じています。

──やっとコロナ禍が落ち着きそうです。その一方で、いまは戦争中で現地では信じられない状況がテレビに映し出されています。経済は悪化して、人種差別、強盗、銃撃事件などあまりにも酷いと思います。そして国と国の国境問題、自然災害、アメリカの大統領選挙も近づいています。James Lavelleは音楽だけではなく、社会的に影響があるので、どう世界は秩序が守られて平和になってくると思いますか?

ジェームス・ラベル 壮大な質問だね、私も答えが知りたいです!世界はいろんな意味で変化し続けています。変化の速さ、とりわけテクノロジーは驚くべき速さで変化しています。ソーシャルメディアは人々に自分たち自身がどうかと考える上で巨大な影響を与えます。ソーシャルメディアによって自分たちが幸せだと感じたり、世の中が恐ろしいと感じたりする。私はポジティブなことに目を向けるべきだと思います。私の場合、自分の愛する人ややりたいことに集中するだけです。例えば、私の家族や友人、仕事、創造によって世界を少しでも良くすることです。私は人生が与えてくれるすべての良いことを忘れないように心掛けています。

インタビュー:YASUSHI TAKAYAMA (RUSH! PRODUCTION)
通訳:MIKI ISHIKAWA

<MARINA SUNSETʼ23>

2023年8月5日(土)・ 6日(日)
リビエラ逗子マリーナ
【主催】GREENROOM CO.

◆<MARINA SUNSETʼ23> オフィシャルサイト
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