【インタビュー】堂村璃羽、『夜景』に孤独と美しさ「“失恋ソング=悲しい”ではない。生きるための一つの道標」

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堂村璃羽が1月30日、約1年7ヵ月ぶりのフルアルバム『夜景』を配信リリースする。アルバムには新曲6曲に加え、「共依存」「溺れ愛」「未練」「いつか出会う君へ」のセルフカバーVer.を含む全10曲を収録。“愛” “性” “死” “生”が描かれたリリックは、タブー視されていると思われるテーマからも目を背けることがない。

◆堂村璃羽 画像

2019年にリリースした「FAKE LOVE」がSpotify ViralチャートTOP10にランクイン。同年リリースの「Escepe - EP」はApple MusicのHipHopジャンル日本トップアルバムで7位を獲得した。また、これまでYouTubeに投稿した動画は総再生回数8,300万回超え、チャンネル登録者数は30万人を突破している。にじさんじ所属バーチャルホストの不破湊やこはならむ、PAREDへの楽曲提供はクリエイターとしての実力を物語るもの。さらにたかやんとのユニットSTUPID GUYSなど活動の場は広がっていくばかりだ。

配信リリースされるフルアルバム『夜景』はタイトル通り“夜”をテーマにしたもの。孤独を感じる夜の虚無感、切なさ、寂しさ、悲しさに寄り添えるような音楽になることを願って制作されたという。堂村璃羽の音楽的背景、音楽制作の源、メッセージを伝えるということ、そしてアルバム『夜景』について話を訊いたロングインタビューをお届けしたい。

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■生々しい歌は他に誰もやっていないし
■せっかくならそこを攻めてみようと

──大学に通いながら“歌ってみた”動画をアップするところから活動を始めたそうですね。どんな道のりを経てそこに至ったのか、まず伺いたいんですが、初めて人前で歌ったのはいつですか?

堂村:小学4年生の頃からブラスバンドをやっていたので、音楽にはずっと触れてきたんですけど、人前で初めて歌ったのは、高校生の頃の文化祭でした。バンドでBUNP OF CHICKENとかをカバーしたんですけど、文化祭が終わったあと、知らなかった子からも「あの時に歌ってた子だよね?」と声を掛けてもらったり、褒めてもらえたりしたから、先輩とも後輩とも仲良くなれて。“やっぱり歌の力ってすごいな” “やってよかったな”と思いましたね。活動を始めたのは大学生になってからで、入学と同時に買ったパソコンを使って“歌ってみた”動画を投稿するようになって。寝坊しまくりで学校に行けていなかったから、“このままじゃよくないな”と思ったのと、高校生の頃からずっと“有名になりたい”という気持ちがあったので、何かしら音楽を上げてみようかと、ノリで始めたような感じでした。


──大学2年生の時に学校を辞めて上京しているんですよね。音楽活動以外の道を断った形かと思いますが。

堂村:さっきも言ったように、もともと有名になりたいという気持ちがあったので、卒業して、社会に出て、このままサラリーマンになるよりも、自分の性格的にもっと違うことをしたほうがいいんじゃないかと思い、全部投げ捨てて、上京しました。音楽って毎日世界中の人が耳にするもので、たくさんの人から愛されているじゃないですか。その中に“堂村璃羽 ”という小さなコミュニティができた時、どれだけの人に愛されるのか、そのコミュニティをどこまで広げているのか、試してみたいという気持ちが強かったです。

──2019年に発表した「FAKE LOVE」が注目を集めた時、どう思いましたか?

堂村:“うわー、すげー!”と思いました。だけど俺がすごいんじゃなくて、「FAKE LOVE」がすごいなと思いました。

──“この曲を作った俺、すごい”とも思わないですか?

堂村:思わないですね。そのあとにリリースした曲がバズった時も、“よかった、一発屋じゃなかった”くらいの気持ちだったし、鼻が高くなることはたぶん一生ないです。“親のような気持ち”とか“巣立つ雛鳥を見守る親鳥の心境”って言うんですかね? 他の人から「すごいね」と言われても、「いや、この子、頑張ってたから。本人がすごいんだよ」と言いたくなるような。セルフプロデュースが間違っていなかったと思えたので、自分の活動が肯定されたような気持ちにはなったんですけど、自分自身が肯定されたとは思わなかったですね。

──自分の曲が多くの人に届いた理由についてはどう分析しますか?

堂村:「FAKE LOVE」も、今一番再生されている「都合いい関係」もそうですが、リスナーさんは僕に対して“男女の体の関係を歌った歌が多い” “生々しい性的描写がある”というイメージを持っていると思うんです。そういう生々しい歌を歌っているアーティストって今は思い当たるけど、2019年当時は著しく少なかった。ラブソングなのにそこだけは唯一ポカンと空いていたので、それをやってみたら、この時代に刺さったのかなと思います。僕はラップが好きなんですけど、ラップってリアルな音楽だから、恋愛をリアルに歌ってみてもいいんじゃないかという気持ちがあったんです。他に誰もやっていないし、せっかくならそこを攻めてみようという気持ちでした。



──歌詞はどのように書いているんですか?

堂村:実体験から書くこともあれば、完全に想像で書くこともありますね。

──想像で書く場合は、曲の主人公になりきるようなイメージ?

堂村:そうですね。あるシチュエーションに直面している当事者に憑依して、その人の気持ちを歌っているような感覚です。客観視しつつ主観で考えながら書くのが結構得意みたいで、全く経験したことのないことでも、スラスラ歌詞が書けちゃいます。ただ、自分以外の人として歌っているから、“うわ、俺の頭からこんなにえげつないワードが出てくるんだ” “こういう思考ができちゃうんだ”という感じで、ちょっと自分が嫌になることもたまにあって。

──想像上の誰かに憑依していたとしても、堂村さんから出てきた言葉ではあるから、“普段こんなことは考えてなかったけど、実はこういう気持ちがどこかにあったんだろうな”と感じるということですよね。

堂村:はい。これは僕だけじゃなくて、きっとみんなそうだと信じたいんですけど……、例えば人の心がフラスコのような形をしていて、そこにその人の全ての感情が詰まっているとするじゃないですか。下の層は親しい人にしか潜れなくて、一番下は誰にも踏み入れさせないところ、みたいな。そのフラスコをイメージした時に、一番上は白いけど、下に行くほど黒くなっていって、底の部分はもう、真っ黒を超えたレベルでどす黒いんじゃないかと思うんです。僕が自分以外の誰かに憑依した時に 降りてくる歌詞は、そのどす黒い部分、あまりにも人間臭い部分から、無意識に溢れ出ているものなんじゃないかという気がしますね。

──普通に生活をしていたら、自分の心の底にあるものと向き合う機会ってあまりないですよね。無視しながらでも生きていけるし、何なら、向き合うと自分の嫌な部分が見えてしまうから、あえて無視している人がほとんどだと思います。

堂村:真っ白になれたら本望だけど、そうなれないのが人間だから、向き合わない人がほとんどだと思うし、向き合わないのも正解ですよ。でも僕は、自分の芯の部分に向き合わずに生き続けるのもちょっと不満というか。自分の嫌な部分を直す努力、受け入れる努力はしたいと思っているし、それがこうして音楽活動にも昇華されて、自分にとってプラスなものに変わっているから、つらくても向き合い続けられるのかなと思いますね。


──5th アルバム『夜景』にも、感情の濃い部分を描いた曲が多いです。例えば「sorry」。ファンの方々に対する赤裸々な想いが歌われていますが、どういうきっかけで書き始めた曲ですか?

堂村:去年の話なんですけど、モチベーションが著しく低下して、制作をサボっていた時期が半年弱くらいあったんですよ。ずっとオンラインゲームで遊んでいて。“ヤバい、やらなきゃ”と思ってはいたんですけど、とはいえ、音楽はあくまで自分が好きでやっていることだし、“「やらなきゃ」で作った音楽は結局、人には刺さらないよな”という想いもあって。

──“口先だけでごまかした歌詞 心地良いだけのメロディたち そんな音楽じゃ君の痛みに 届きはしないし響きもしない”と歌っていますね。

堂村:本当にそんな気持ちでした。それでなかなか制作を進められずにいたんですけど、Twitterでエゴサーチをしている時に、ファンの方が「最近新曲出ないな」「ファンになって○年経った」というような言葉を呟いてくれているのが目に入ってきて。そこで“よっしゃ、もう1回ギアを上げよう” “曲書くか”というふうに気持ちが切り替わりました。今の自分がいるのも、半年間サボれたのも、ファンのおかげだと改めて感じたんですよね。今回のアルバム『夜景』を作ろうとなった時に、これはどうしても入れなきゃいけない曲だと思いました。

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