【インタビュー】ハマノヒロチカ「俺は生涯ソングライターとして生きてゆく」
かつて竹原ピストルと野狐禅というバンドを組み、バンド解散後はピアノ弾き語りで独自の世界を切り開いてきたハマノヒロチカが、5年振り3枚目のソロアルバムをこの夏にリリースした。『I'm a Songwriter』という象徴的なタイトルのもとに集まった全11曲は、不惑の年を超えて身に着けた大人の優しさや包容力と、あの頃と変わらず激しく燃え盛る若き情熱の炎とを、生々しいバンドサウンドとピアノ弾き語りを使い分けてみずみずしく描く作品に仕上がっている。俺は生涯ソングライターとして生きてゆく――不退転の決意で力強く前に踏み出した、ハマノヒロチカの本音を聞こう。
■いろいろあったけれどもここまで来たら逃げられない
■覚悟を決めるという決意の意味で『I'm a Songwriter』を作りました
――ハマノさんが歌っている場所は、ライブハウスよりももう少し小規模な、ライブバーやライブスペースが多くて、いわゆるライブハウス文化とはまた違ったネットワークがあるようで、そういう活動の仕方がとても独特だなと思います。
ハマノヒロチカ(以下、ハマノ):そうですね。野狐禅の時とは全然違うんですけど、ソロになってからそういうところといっぱいご縁をいただいて、ツアーをやるならそういうお店で、アルバムリリースのタイミングで挨拶回りじゃないですけど、全部行きたいなということですね。
――挨拶回りという表現はいいですね。ちなみにライブのない普段の生活はどんな感じですか。
ハマノ:普段は会社員をやりながら、ですね。ライブは、都内だったら平日でもできますけど、遠征は週末にまとめて。
――そういう生活ペースが固まってきたのはいつ頃ですか。
ハマノ:けっこう最近ですね。ソロになった最初の頃はライブだけでやっていくことも模索していたんですけど、野狐禅の時には歌っていなかったし、一人でライブをやるノウハウもなかったんで、自分の一番音楽活動を続けやすいスタイルを探さなきゃと思って、いろいろ試して、ようやくここ数年でうまく回るようになってきた感じです。
――やっぱり時間がかかるものですか。
ハマノ:そうですね。本当に最初の頃は、ソロミュージシャンとして弾き語りの世界で俺はやっていくぞ!という感じでやっていたわけでもなくて、ボーカルを探したりとか、楽曲を作ってコンペに応募したりとか、いろいろ試してました。その間にも曲は書いてたんで、これを世に出すのであれば自分で歌うのが手っ取り早いか、ということでしたね。
――そしてファーストアルバム『最後の青春』を出したのが2013年。
ハマノ:最初のアルバムは、レコーディングエンジニアもミックスも全部自分でやったんですよ。それも模索の一つで、セカンドは普通にエンジニアの方に録ってもらったんですけど。
――そういう意味で言うと、今回はどういう作り方ですか。
ハマノ:「太陽と月灯り」(東京都東村山市)というお店が、今回のレーベルになってくれてるところなんですけど、ライブでずっとお世話になっていて、「ぜひ出しましょう」ということで盛り上がって。そのお店は音がすごく気に入っていて、ライブもやりやすくて、この人と一緒に作りたいと思った、という流れですね。
――スタジオじゃなくて現場録音。道理で生々しくて良い音がしてるなと思いました。オフマイクになるくらい感情的に歌う場面も、それが味になってるというか。
ハマノ:そのへんはエンジニアと、ああでもないこうでもないということは話しました。最終的には生々しさ、人間らしさを出して行きましょうという感じになりましたね。
――9年間で3枚目ということになりますけど、正直、あまり多作ではないタイプと言いますか。
ハマノ:そうなんです(笑)。昔からそうで、野狐禅の時も(竹原)ピストルはガーッと作ってましたけど、僕は熟慮した上で出してるんだぞということで。
――そのぶん、詰め込んだ思いが非常に濃いアルバムになっていると思います。1枚目、2枚目と来て、この3枚目はどんな思いを描いたアルバムだと思いますか。
ハマノ:セカンドの時は40になるかならないかの時だったので、40代になった最初のアルバムというのが一つあって。あとはタイトルで『I'm a Songwriter』と言ってるように、これまで試行錯誤してきたことや、もともと歌うつもりはなかったということや、いろいろあったけれども、もうここまで来たら逃げられないというか、覚悟を決めるという決意の意味で『I'm a Songwriter』というものを掲げたところがあります。
▲『I'm a Songwriter』
――素晴らしいです。四十にして志を立つ。
ハマノ:人から見ればイタイのかもしれないけど、ドンと言い切ることで自分の…野狐禅の時は、自分の人生でもあるけれども、ピストルの人生もあって、野狐禅というバンドの人生もあって、どこか自分以外の要素があるという感覚もあったんですけど、もう自分の人生を100%自分の意志で「俺はソングライターだ」と言い切って、これからの自分の人生の方向性をバシッと定めたぞというところがあるので。
――なるほど。
ハマノ:自分の中でやってきた経験もあるので、俺はこれで行けるぞという開き直りみたいなものもありつつ、確信もあるんですけど。
――タイトルチューンと言ってもいい「Songwriter」という曲は、一聴して、気持ちの入り方が違うなと思います。それこそ、マイクから外れそうになるほど感情がはみ出るところもあったりして。この曲はもう2年前にはライブでやっていたと記憶していますけれども。
ハマノ:そうなんです。そもそも3rdアルバムを作りたいと思ったのは、「Songwriter」を早く(CD)盤にしたいということでもあったんですね。シングルを出すような時代でもないし、早くアルバムを作ろうという気持ちがありました。
――「Songwriter」で一番感情が入っているように聴こえるのは、「人生を悩み運命に抗い涙流す人に捧ぐ歌を求めて」のところなんですね。この歌詞がそういうふうに歌わせるんだなと思う、素晴らしいラインだと思います。
ハマノ:それが本当に今自分の叫びたいことというか、ちょうどこの曲ができたのが、2019年の終わりか2020年の初めで、できてすぐにコロナ禍になったんですよ。もともとは自分がソングライターとしてどうありたいかというテーマで書いていたんですけど、コロナがあって、ライブハウスに行けない時代になっちゃって、お店も苦しい、ミュージシャンも大変な中で、でも音楽に救われることって絶対あるぜという、音楽にしか癒せないものがあるぜということを、今こそミュージシャンはちゃんと信じてやっていかなきゃいけないという思いが重なって来て。自分個人のソングライターということでもあるけど、コロナ禍のミュージシャンみんなが頑張って行こうぜという気持ちもすごく入っています。
――そこがぐっと沁みるところだと思います。たぶんもっと若い頃は、「俺が」というだところで終わっていたかもしれないですけど。
ハマノ:そう、それも自分の中でけっこう大きな変化で、野狐禅の時も基本的にはピストルが歌っていて、自分が歌詞を発してはいなかったし、書く曲に関しても、俺はこう生きていくんだとか、自分がこうありたいというテーマが多かったんですけど。一人でライブをやるようになって、本当に小さなハコで、全員の顔が見えるぐらいのところでやっていると、自分のことだけ言ってるのはもったいないというか、寂しいというか、そういう気持ちが芽生えてきたんですよね。せっかくこうやって顔を突き合わせて、一緒に雰囲気を作っているんだから、パワーをあげたいとか勇気をあげたいとか、それを陳腐な表現ではなく、どういう歌だったら元気を届けられるだろうとか、そういうことを考えるようになったのもこのアルバムからだと思っています。自分の中ではけっこう大きな変化でしたね。
――それは、すごく伝わります。
ハマノ:1stアルバムの「最後の青春」とかは、100%自分のことしか歌っていないので。あれはあれで好きなんですけど、自分のステージを見ているお客さんに対して何かを届けたいという思いが強くなっていったということですね。
――アルバムの中では「Songwriter」の次に入っている「こんな僕で良かったら」も、そういうタイプの曲じゃないですか。俺が俺がじゃなくて、相手に語り掛ける歌。すごく優しい。
ハマノ:この歌はコロナになってから書いたもので、ライブが全部飛んでスケジュールが白紙になって、代わりにみんな配信を始めたタイミングで書いたんです。
――あの時期みんな持っていた、不安や孤独感を優しく癒すような歌だと思います。それ以降に作った曲は、どこかにコロナ禍の時代の雰囲気は入っているんでしょうね。言葉にせずとも。
ハマノ:それはやっぱり、あると思います。
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