【コラム】ドレスコーズ『戀愛大全』の、優しく、悔しいくらいに美しい十景

「10本の《架空の短編映画》のサウンドトラック」をイメージして制作が進められたのだというドレスコーズの最新アルバム『戀愛大全』。収録されている各曲には、様々な登場人物たちが活き活きと躍動するラブストーリーが刻まれている。昨年の6月にリリースされたアルバム『バイエル』に関して志磨遼平は、「新型コロナウイルスの影響で従来の生活様式や価値観などが大きく揺らいだ世界をスケッチする感覚で楽曲を作っていった」という旨を語っていた。それに対して今作の原動力となったのは「重苦しい出来事が続いた2022年の暑い夏」に対する反動だったらしい。「鬱屈した日々とはまた別の世界線にある夏をとびきり美しく描いてみたい」という想いが、彼を創作へと駆り立てたのだという。

▲『戀愛大全』初回限定盤

つまり、「もしかしたらあったのかもしれない夏の日々」「誰かが謳歌したのかもしれない夏の風景」を、このアルバムの各曲は描いている。間接的な形ではあるが、やはりコロナ以降の空気感が影響を与えているという点で、『戀愛大全』と『バイエル』は地続きの部分が少なからずあると言えるのかもしれない。『戀愛大全』というタイトルにまさしく表れている通り、色とりどりのラブソング集であるのは確かなのだが、何処か悲しげで切なく、触れたら幻のように消えてしまいそうな儚さも帯びている作品だ。

今作のラブソングの多くに脈打っているものを、「戀愛」とは別の角度から指摘するならば、それは「愚かさ、欠落、不完全さに対する優しい眼差し」とでも言うべきものだと思う。混沌の中でもがき苦しみ、不安に苛まれながらも精一杯に生命の炎を燃やして生きている人間の姿をあらゆる曲から感じる。


例えば「聖者」に耳を傾けている時に胸の内で浮かび上がってくるのは、決して器用に生きていると言えず、賢くもなく、甲斐性なしであることが窺われる主人公の人物像だ。そんな彼が語る真っ直ぐな愛の言葉、愛に殉ずることを厭わないひたむきさが、不思議と心を打ってくる。ここで描かれているのは一般的にイメージされる聖者の姿と正反対なのだろうが、溢れる想いに忠実であり続ける無邪気さは清廉潔白、純粋無垢と限りなく近しい。それはもしかしたら「聖者」と称することもできる生き方なのでは？　そんなことを感じさせてくれるのがこの曲だ。

そして「聖者」と向き合って感じるこの印象と相通ずる要素としてさらに触れておきたいのは、少なからぬ「悪」の香りだ。社会規範からの逸脱をただ無機質に切り捨てるのではなく、その行為へと駆り立てる気持ちの源にあるものを尊重する描写は、様々な曲を輝かせる鮮やかな色彩となっている。例えば「ナイトクロールライダー」は、恐れを知らずに無鉄砲な行為に耽る若者像が眩しい。「惡い男」も善良とはお世辞にも言えそうもない男の歌だが、《ぼくにも流れる この血は 重ねた嘘の色 人のかたちした いらだち なんて 惡い男》という一節が悔しいくらいに美しい。己の精神と肉体に満ち溢れている悪をこんなにも図々しく、ロマンチックに描写できるならば、あらゆる大罪も許される気がしてくる。

また、「ぼくのコリーダ」が漂わせている背徳感も、血生臭いと同時に底知れず甘美だ。映画『愛のコリーダ』を彷彿とさせるタイトルが昭和初期の日本を揺るがせた事件のことをイメージさせるが、「罪を犯すからこそ貫くことができる純愛が、もしかしたらあるのかもしれない」という危険な想像へと駆り立ててくれる物語がここには脈打っている。現実世界で罪を犯すのは議論の余地もなく「悪」であり、肯定されるべきではない。しかし、アートの世界では「悪」の存在は許される。なぜなら「人間とは何なのか？」と鑑賞するものに対して問いかけ、矛盾と欺瞞に満ちた自分自身を執拗に見つめる機会を与えるのがアートだからだ。万人の心の中に悪は存在し、背徳行為への憧れも少なからず渦巻いている。そのことを100％の確信と共に否定できる人は、おそらくこの地上にはいないだろう。今作の各曲から匂い立つ「悪」の香りも、歪さから逃れられない人間の姿を奥行き深く示してくれる。


先述の通り本作はラブソング集なのだが、サマーチューンによって構成されているアルバムでもある。「夏」という季節が帯びている激しい熱量だけでなく、切なさ、ノスタルジーを誘うムードが切り取られているのも、『戀愛大全』の大きな魅力だ。もう戻っては来ない夏の日々の煌めきを感じる「やりすぎた天使」。「どうせすぐに終わりへと近づいていくんだ」という諦念にも似た寂寥感と隣り合わせの季節のムードが《いつかどこかであったような ひとりででっちあげたような そんなことばかり》と歌われている「夏の調べ」。ふと蘇る記憶が痛みを生々しく滲ませる「わすれてしまうよ」。ピアノの調べが夕立の気だるい空気感と涼風を感じさせてくれる「横顔」……イマジネーションを豊かに刺激してくれる曲ばかりだ。全く同じではないものの、自身の感覚の記憶と重なる何かを見出して心がざわついた瞬間、このアルバムに収録されている10曲は、そのリスナーにとって一際愛しいものになっていくのだと思う。

文◎田中大


▲『戀愛大全』通常盤