TAKESHIとランディ・バックマンが紡いだ、奇跡のグレッチ6120ストーリー
ランディ・バックマンとTAKESHI
TAKESHIというミュージシャンをご存知だろうか。TOKIO、嵐、タッキー&翼、関ジャニ∞といった数多のアーティストに作品を提供している作詞家・作曲家・アレンジャーであり、自身でも勢力的にソロライブを行っているアーティストである。
高校を卒業し愛媛から上京を果たしたTAKESHIは、3歳年上の姉のバンドにギタリストとして参加、その1年後には自らのバンドを結成し活動していたが、その楽曲がジャニーズ関係者の目に止まったことをきっかけに、作家としてのキャリアをスタートさせることとなった。
TAKESHI
作詞作曲家として今もなお華々しいキャリアを紡ぐTAKESHIだが、アマチュア時代に組んだバンドではギター/ボーカルとしてフロントに立っており、その時に買ったギターがグレッチだったという。ボーカリストが歌いながら弾く時のスタイル、そしてそのギラギラした佇まい…「これはカッコイイ」という直球でシンプルな思いで、現行のグレッチを選んだのだ。
実は、ここに見逃してはならない重要なポイントが隠されている。
「もちろんギタリストではありますけど、それ以前に俺は作詞家であり作曲家なんです。ギタープレイをすることが本職のギタリストだったら、グレッチを手にすることはなかったかもしれないですね」──TAKESHI
グレッチというギターは癖が強く、個性の塊だ。決してオールラウンダーではないし、いろんなジャンルを器用にこなせるような万人に愛されるギターでもない。機能、操作性、取り扱いやすさ、堅牢性、そしてサウンドバリエーションやプレイヤビリティ…ギタリストが執拗にこだわるであろう点をステレオタイプに吟味していけば、グレッチにはなかなか到達しにくい。つまりはグレッチはギタリストを選ぶ。いわば、グレッチを必要とするギタリストだけがグレッチにたどり着く、そんなブランドなのだ。
それだけにグレッチと相思相愛になったギタリストとの絆は強靭だ。グレッチじゃないと出ないサウンド、グレッチじゃないと生まれなかったであろうフレーズやリフ、グレッチと戯れグレッチの音に酔いグレッチと会話を重ねることで自然に湧き出てきたグルーブは、他のギターからは到底生まれ得なかったものになる。親しみと尊敬を込めて「ストラト使い」「テレキャス使い」と呼ばれる名プレイヤーがいるように、「グレッチ使い」も確実に存在し、そのサウンドとプレイスタイルがロックの歴史の一端を担ってきたのも紛れもない事実だ。
TAKESHIも、曲作りにグレッチは欠かせなかったようだ。曲作りのときにパッとギターを手にとった時、エレキでは鳴りが小さくアコースティックでは大きすぎる中で、ホローボディのグレッチの生音は具合がちょうどいい。自分の中にあふれるイメージを音に変換させた時、グレッチはその思いを汲んでアウトプットする。そこにニュアンスが加わり、さらなるヒントが生まれ刺激の交換が加速する。自然と始まるギターとの会話である。そうやって作られた曲のなかには、例えば関ジャニ∞の「急☆上☆SHOW!」「君の歌をうたう」「浮世踊リビト」という作品がある。この3曲をTAKESHIは自分の中でロカビリーシリーズ(笑)と呼んでいるそうだが、この楽曲が生まれた背景には、グレッチがTAKESHIに与えたインスピレーションが多分に影響したであろうことは想像に難くない。
もちろん、その後も様々なギターを手にしてきたTAKESHIだが、長年の経験から現行の最新ギターとともにヴィンテージの魅力にも見識を深め、今では1965年製ストラトや1956年製ゴールドトップ・レスポールも所有し、自らのライブでも愛用する作家となっている。だからこそ、ロックの歴史を担ってきたギターのひとつであるヴィンテージ・グレッチもいつかは手に入れたいと、その出会いを静かに待っていたのだ。
そして今から8年前の2014年、代官山のヴィンテージギターショップ「ギタートレーダーズ」で1957年製のグレッチ6120と出会うことになる。その時には1957年製、1959年製、1959年製という3本の6120が並んでいたらしい。この年代のヴィンテージ・グレッチが3本も一堂に会する事自体が稀有な出来事だが、その中の1957年製に「これは俺のギターだ」と運命のような出会いを感じたという。迷うことなくその場で購入し、そこから8年の月日が流れることになった。その1957年製グレッチ6120で作られた楽曲たちも、様々なアーティストたちによって歌われ、世に鳴り響いてきたというわけである。
そして2022年7月1日。このグレッチ6120はランディ・バックマンの元に戻ることになった。
ゲス・フーのギタリストでありバックマン・ターナー・オーヴァードライヴのリーダーでもあるランディ・バックマンは、カナダを代表するレジェンド・ギタリストのひとりだが、ランディが10代のときに初めて買ったギターも、1957年製のグレッチ6120だった。当時、ランディ少年は幼なじみのニール・ヤングとギターショップに出向き、一緒にギターを買ったのだという。この時ランディはN.ヤングを差し置いて1957年製の6120を、N.ヤングは1959年製6120を購入している。ショップには、1957年製、1959年製、1959年製の3本の6120が並んでいたらしい。どうやらこのときからすでに数奇なストーリーは始まっていたようだ。
1957年製グレッチ6120を手にしたランディは、そのギターを一心に愛し、のちのヒット曲となるゲス・フーやBTOの名曲を次々と生み出していった。最愛にして最高のギターと人生をともにし、そのグレッチ6120はいつしかファンの間で「ホーリー・グレイル(聖杯)」と呼ばれる特別な1本になっていた。
ホテルに居るときもギターケースにチェーンを掛けるほど、最大限の注意をはらい大事にしてきたランディだったが、ある時マネージャーの不注意によってホーリー・グレイルは姿を消した。盗難されたのだ。計り知れないほどのショックを受けたランディは、その後数十年に及んでホーリー・グレイルを探し続けた。警察やヴィンテージギター関係者はもちろん知り合いにも協力を仰ぎ、その間、ホーリー・グレイルの開いた穴を埋めるべく出会ったグレッチを片っ端に購入し、ついには385本ものグレッチ・コレクションが出来上がるほどの状況になっていたが、それでもホーリー・グレイルは出てこなかった。
いくら探しても出てこなかったが、転機は突如やってくる。2020年、ランディの知人のウィリアム・ロング氏が発見したのだ。ホーリー・グレイルのトップに現れている左カッタウェイ部の1本のトラ目と右カッタウェイ部の木目の節模様など個性的な部分をフィンガープリントとして世界中の動画データに検索をかけた結果、ひとつの動画がヒットしたという。それがこの動画である。
2019年のクリスマスイブに公開されたパフォーマンス動画で、そこにはTAKESHIが映っていた。8年前にギタートレーダーズで購入した1957年製のグレッチ6120こそ、なんとホーリー・グレイルだったのである。盗難されたのは1977年。ウィリアム氏に発見されるまで43年もの年月が経っていた。
ランディはTAKESHIにコンタクトを取り、それがホーリー・グレイルであることを伝え、返して欲しいことを訴えた。「最初は新手の詐欺だと思った(笑)」というTAKESHIも、ランディが長年にわたり探し続けてきたギターであることを知り、会話を重ねていく中で、ランディにギターを返す決意をしたという。
「たかだか8年の付き合いなのに、手放すのがこんなに寂しいんだから、45年も我慢してきたランディさんを思うと、これ以上レジェンドに悲しい思いはさせられないよね」──TAKESHI
ホーリー・グレイルと全く同じ条件のギターと交換することで、無事ホーリー・グレイルはTAKESHIからランディの元に戻ることとなった。交換の儀は日本とカナダの親善の意味も込めてカナダ大使館で7月1日に開催された。2台の1957年製6120を用いたパフォーマンスも披露され、その様子は映像収録も行われている。愛する6120と運命の再会を果たしたランディ・バックマンの生涯を描く長編ドキュメンタリー『Lost and Found』の映画制作が進んでおり、盗まれたギターを長年探し求め、TAKESHIがランディに戻すまでが描かれ、本国カナダでの公開が予定されているという。
グレッチ6120をめぐる奇跡のストーリーはここでおしまいとなるが、交換となる良質な1957年製6120が現存していたことも、見逃せない奇跡だったはずだ。ランディは最高コンディションの1957年製6120を世界中からやっと2本見つけ出したものの、ひとつは満足できる状態ではなかったという。そしてもう1本がTAKESHIのもとにやってきたものだ。65年も前に製作されたギターだけに使用感は若干あるものの、大きなダメージもなくいわゆるクローゼットクラシック・コンディションを保っているフルオリの状態である。ギターケースもオリジナルで奇跡的なコンディションを見せている。そもそも1957年製の6120は40本程度しか製作されなかったのだから、今回のストーリーの裏には、こんな奇跡も隠されていたわけだ。
そして、TAKESHIが季節が変わるたびに6120を正しくメンテし、長きにわたって常に最高の状態を保ち続けていたという点も、見逃せない重要なポイントだ。別な人の手に渡ったことでコンディションを崩していたり、いわゆるギタリストがゴリゴリに使い倒すために手に入れていたら、大きな改造や変更の手が加わった可能性も拭えない。作詞作曲者という作家が作品作りの相棒として健康なグレッチであることを求めたというTAKESHIの存在こそ、奇跡を作り上げた隠せない重要ポイントになっているのだ。
TAKESHIとランディは紳士的にコミュニケーションを交わし交換に至っているが、そもそも交換してもらうことしか頭にないランディは、「TAKESHIという日本人のミュージシャンが持っていたんだと、ニール・ヤングに話をした」「TAKESHIのことを今度ミック・ジャガーに話そうと思うんだ」と、会話にレジェンドたちの名前を巻き込んでいたという。ともすればTAKESHIに「No」を言わせない作戦かとも思われるものの、TAKESHIも嫌な思いはしなかったようで、今回の出来事と様々な出会いはたくさんのエピソードと貴重な経験をもたらしたようだ。
ホーリー・グレイルとの交換でTAKESHIのもとにやってきた1957年製グレッチ6120。
実は報道されていない大事な話のひとつに、「お互いのブリッジを交換し合っている」という事実がある。TAKESHIのギターにはホーリー・グレイルのブリッジが、ランディの手元に戻ったホーリー・グレイルには、TAKESHIの6120のブリッジが換装されているのだ。音を最初にキャッチするギターの心臓部であるブリッジを、お互いのギターにそっと忍ばせて、両ギターの永遠なる契を結ぶ。ギタリスト同士だからこそ分かり会える、友情の印として行われた秘密のエピソードだ。
ランディはこの感動と喜びを曲で表したいと、早速新曲「Lost and Found」の制作に取り掛かっている。映画主題歌として公開されるこの曲の日本語歌詞にはTAKESHIが参加する点も見逃せないポイントだ。一方TAKESHIは、新たに出会った6120と会話を重ね、自分の息吹を伝えながらじっくりと時間をかけて自分のものに育てていきたいと語ってくれた。2022年9月18日、吉祥寺SHUFFLEで開催されるTAKESHIのライブ<TAKESHI et Rendez-vous vol.6>では、きっとこのグレッチ6120のサウンドが、新たな奇跡のサウンドで会場を心地よく満たしてくれることだろう。
撮影◎岡崎聡一郎(Soichiro_Okazaki)
取材・文◎烏丸哲也(JMN統括編集長)
◆TAKESHIオフィシャルサイト
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