【インタビュー】ベイビークレヨン、“熱量”を継ぐアイドルの挑戦「自分の意志で、自分の伝えたいことを届けたい」

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“アイドル”は操り人形じゃない──「自分の意志で、自分の伝えたいことを届けたい。」そう口を揃えるBABY-CRAYON~1361~(ベイビークレヨン)。奇跡の出会いを果たした5人組アイドルグループが、今春5月29日(日)に1日3公演1000人ライブに挑戦する。

東京ドームを目指すメンバー5人の出会いと、それぞれの“アイドル”への想いを聞いた。

◆BABY-CRAYON~1361~ 写真


■ベイビーの由来は、「赤ちゃん」と「ベイビーレイズJAPAN」

──ベイビークレヨン(以下、ベビクレ)は、石綿日向子さんがプロデューサーとして自身でメンバーを集めて結成したと聞きました。結成の経緯を聞かせてください。

石綿日向子:ピアノを3歳から音大卒業までとやっている中で、お母さんに「これもできるんだよ!」って認めて欲しくて芸能に憧れて。アイドルとして東京ドームに立つというのが自分の中で絶対に叶える目標として挙げていたのですが、オーディションを8年間受け続けるなど、色々な活動をしていたのですが上手くいかず。1から自分で自分と同じ熱量、同じ目標を持った子たちを集めてやっていくしかないと思い始めました。

▲石綿日向子

──グループ名の由来は何ですか?

石綿日向子:「赤ちゃんが初めて手にしたクレヨンで描く1本の線は、無限大の可能性がある」という意味で、私たちもまだベイビーなので、ベイビークレヨンという名前にしました。

また、ベイビーレイズJAPANさんの解散ライブを見たときに、この方々がグループを続けていたら、私は東京ドームに立っていたんじゃないかなっていうのがすごいあって。ライブの熱さや、楽曲、歌詞、全てが私の理想だと思って、ベイビーレイズJAPANさんの続きを私たちが、後継者ではないですが、その先を描くのは私たちしかいないな、その先を描くグループを作りたいと思って「ベイビー」を取らせていただきました。

■居場所が急になくなってしまって頭を抱えました…笑

──メンバーの皆さんはどのように集めたのですか?

石綿日向子:以前、一緒に活動をしていた桜木ことが、もうアイドルを辞める決断をしようとしていて、それはもったいないぞということで声かけたんですけど、良い返事はもらえなかったんです。

▲桜木こと

桜木こと:日向子ちゃんの話とか、熱量とかずっと伝わっていたのですが、まだメンバーが誰もいない状況で。どんな子が来るかもわからない、もしかしたら小学生が入るかも知れないじゃないですか…笑。そうなったら私はどうやってグループをやっていくんだろうと不安がありました。

石綿日向子:そんな時に、たまたま2人で大阪に旅行しようとなりまして。ちょうどその時にSNSで、ダンスや表情がいいなって思い、DMでスカウトしていた吉田菜々世ちゃんが大阪に住んでいたので、会う予定を立てました。誰もメンバーが決まってない状態で、石綿・桜木・吉田の3人で会ったんです。桜木は、「(メンバーになるつもりがない)私はどういう顔して会えばいいの!?」って言ってたんですけど…笑。

▲吉田菜々世

吉田菜々世:正直、私はあまりアイドルになりたいっていう気持ちはなかったんです。11年くらいずっとダンスを続けていて、将来の夢はプロダンサーになりたいという気持ちでやっていていました。当時通っていたダンススタジオで、急に契約を切られてしまって。

ずっと一緒にいたお友達は残っていて、自分だけ落とされてしまって、何が駄目だったのかなっていうのと、居場所が急になくなってしまって、今まで頑張ってきたことがパーになってしまった、全部なくなってしまった、悔しいし、悲しいし、もう焦りとかで、私はどうしたらいいんだろうと思って頭を抱えました…笑。

そして、新しいことに挑戦しようってなったときに、声掛けていただいて。日向子さんの熱量を聞いて、新しいことやけど、アイドル全然知らへんけど、挑戦しようと思って。飛び込みました。

ダンスをやっていた時に、お仕事としてアーティストさんのライブツアーを全国で回らせていただく機会が多く、何度か東京ドームにも出させていただきました。その時の自分はサポートダンサーとして出演で、陰ながら支える役目だったので、自分がメインで立てたらいいなっていう気持ちもあって。当時から、人に言われたことをそのまま従うというよりは、「もっと自分はこうしたい」みたいなのがあって。それを日向子さんと、ことちゃんに会ったときお話して、そしたらことちゃんがいいねって言ってくれて。

■アイドルならではのライブが大好き

桜木こと:菜々世ちゃんの話を聞いて、これだけ熱量があって、こうしたいとか、伝えたいものがあるとか、っていう子が入るのであれば、私もやってみたいと思いました。

やっぱりその……、悔しい思いをしてきたっていうのは私も一緒で。やっていたグループあまりうまくいかず。アイドルやることに向いてないのかな自分、と思い始めていました。

もともと、高校生の時にバイトや勉強をしていて、なんかつまんないなって思っていた時に、中学生時代にアイドルになった友達を思い出して、何か新しいことをやってみたいなみたいな気持ちでアイドルになりました。

そこからアイドルを勉強し始めて、研究していくうちにいつの間にか本気になっていて。ファンの人に歌を伝えるとかパフォーマンスで気持ちを伝えたりとか、一緒になって作るライブとかがすごく楽しくなって。同じ気持ちで、熱量を伝えられるのはアイドルならではのライブが大好きで。

やっぱり自分の中で満足したときがアイドルを辞めるときだと思って、やってやろうと決心しました。私自身最後の挑戦として、これで失敗したら、もう失敗とかないんですけど、明日死のうが、明日グループ解散になろうが、私はもうこれが最後の挑戦だと思っています。

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