【インタビュー】IDONO KAWAZU、井戸に逃げ込まざるを得なかった1匹の蛙の心の叫び

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■井戸の中が心地よかったりはする
■世の中と距離感があるほうが自分的にはやりやすい


――最初の10作を作るなかでそれが見えてきたということですね。11作目以降は音楽性も広がっているだけでなく、ユニークなアプローチになっていると思います。

IDONO KAWAZU:音楽に関しては本能的な部分が強いというか。目の前に飛んでいる羽虫を何も考えずに食べて、自分なりに消化するような感覚で作っています。「矮星を纏ふ」は、本当に作る予定ではないものだったというか、できてしまった曲というか。



――「矮星を纏ふ」は3rdフルアルバム『蛙の借り目』の方向性を大きく変えた曲とコメントを発表していましたよね。

IDONO KAWAZU:アルバムを作り終えたら、すぐに次のアルバムの構想をだいたい立ててしまうんですけど、「矮星を纏ふ」はその中にないのにできた曲なのです。そのきっかけがコラボさせていただいた悒うつぼさんでした。

――2021年9月発表の「海鼠」ですね。KAWAZUがアレンジを担当しています。

IDONO KAWAZU:初めて井戸の外の方とお話をしたんですよね。うつぼさんの音楽との向き合い方や曲の作り方を知って、そこにインスピレーションを受けて、まったく別のものが生まれてしまった。



――そういったご自身の変化は、どう受け止めてらっしゃるのでしょう?

IDONO KAWAZU:ずっと井戸の外を眺めてはいたんですけど、2021年はうつぼさんを始めとして、井戸の傍から声を掛けてくれる人も多くて、少し視点が広がったんです。とはいえ誰かと何かやるのが向いていないと思ったから井戸に籠ったので、井戸のなかが心地よかったりはするんですけどね(笑)。穴のなかにいるくらい世の中と距離感があるほうが自分的にはやりやすい。

――あははは。井戸という帰る場所が少しずつ居心地の良い環境を確立できるようになってきたから、井戸の外にお出掛けができる体力も戻ってきたのかもしれないですね。

IDONO KAWAZU:そうかもしれないですね。ただ、ちょっと外に出たらすぐ戻りますけど(笑)。おまけにボタンを押せばすぐシュッ!と井戸の蓋が閉まって外界と隔絶できますので(笑)。

――(笑)。おっしゃっていただいたようなKAWAZUさんの現在のモードが表れているのが20作目「慾中病」と21作目「呉須の曳航」の2曲なのだろうなと思います。「慾中病」はまず、SEKAI NO OWARIのFukaseさんのVOCALOIDを使っているところが大きなフックになっています。

IDONO KAWAZU:20作目なので現在の進捗というか、“今ここらへんにいます”というのを曲にしようと思いました。それを遠い距離から見ているニュアンスにしたかったから、少し違う目線で聴いていただくためにも、自分に馴染みのないVOCALOIDというか、これまでとは別の語り手に歌ってもらいたかったのです。FukaseさんのVOCALOIDはもともとずっと興味はあって、すごく扱いやすかったし曲にもなじみが良かったですね。



――激しい転調とエレクトロトラックからバンドアレンジまで目まぐるしい展開で、欲求に振り回される心の動きを音でも表現しているように思いました。

IDONO KAWAZU:かなり特徴的な転調の方法があると話を伺って、やりたくなりまして。転調をきっかけに曲のコントラストをつけたいなと手を付けたのが始まりですね。歌詞も迷っている様子を描写しているので、そこに合致したのかなと思います。

――KAWAZUさんの歌詞の根底にあるのは、やっぱり“自分はどうしようもない”や“無様な生き方だ”というものなのかなと。

IDONO KAWAZU:そうです。今でも自分を許せていないから、そういう歌詞になってしまうのかなと。“あのときああしていれば良かった”という先に立たぬ悔いは、誰しもあると思っていまして。それを重ねて、各々の“地獄”を抱えながら人は年を取っていくものだと思うのです。その地獄は他の人と比較することもできないし、他の誰にも否定することはできない。自分にとって歌詞を書くというのは、己の地獄を小出しにすることなのかなと思っていますね。困ったことに止まらないのです、この地獄が(笑)。

――(笑)。

IDONO KAWAZU:歌詞は示された音に如何に相応しい言葉を乗せるかが最重要で、言葉の意味はその後についてくるものだと思っています。さらにそこに先ほどお話した文字面の均衡も考えて、それらを同時に成り立たせようとすると足りないものや余計なものが出てしまうことが多くて……。とは言え、この地獄の流出もそろそろ止まってもいいんじゃないかなと思うんですけどね(笑)。壁や天井に張り付いたりしながら、頭を悩ませながら書いています。会心の歌詞だと思うものは、まだ書けていません。

――緻密に作られた歌詞のほころびにKAWAZUさんの泥くさいところが出ているし、だからこそ聴き手に歌詞が響いているんだと思います。

IDONO KAWAZU:そうだったらいいんですけどね(笑)。歌詞は共感してもらおうと思って書いているわけではないので、“共感しました”“自分の気持ちにぴったり合いました”と言っていただけるのは単なる偶然なのです。でも、自分はその偶然をとても大事にしたいと思っております。あわよくばもっとちゃんとしたものを書けるようにはなりたいけど、不器用なりに己の軸をぶらさずに書いてもいきたいです。

――そして「呉須の曳航」はわかりやすく新機軸な曲調ですよね。ファンクな要素とシティポップな要素が融合していて、MVでもとうとう井戸の外に出てドライブをするという。

IDONO KAWAZU:“ついに蛙、井戸の外を出る”がテーマの曲ではありますね。まあすぐ戻ってくるんですけど(笑)、隣町まで行ければいいなというイメージで作りました。夜中の外出なので周りをそこまで気にしなくていいので、まだ大丈夫という(笑)。



――ははは。そんな記念すべき楽曲の歌い手としてKAWAZUさんが選んだのは鏡音レンです。

IDONO KAWAZU:レンくんは過去にアルバム曲で少々使っていて、純粋に声が好きだったんですよね。だからいつかちゃんとレンくんの歌を動画として出せたらなと思っていたのと、21作目なので心機一転とまではいかないですけど、“違うところを探しに行きます”という心情を表したくてレンくんに歌ってもらいました。ただレンくんにはかなり無理をさせましたね(笑)。この曲では発音を工夫したくて。

――“螽斯”と書いて“グラスホッパー”と歌われていたりと、表記は漢字だけど、歌ではカタカナや英語のワードも多いです。

IDONO KAWAZU:新しい発音をやりたいと思った結果そうなりました。先に片仮名を決めたので、そこに漢字を当てるのが大変でした(笑)。リリースが冬眠前、冬を迎えるタイミングというのもあって、そこから“アリとキリギリス”のイメージが湧いてきて。自分はアリみたいに蓄えているタイプでもなければ、キリギリスみたいに夏を謳歌してきたわけでもない、すべてが中途半端なんです。夏に何も残せずに、冬になったら死んでゆく。でもそんな蛙でも跳ねたいと思う――そんなふつふつとしたものが、歌詞には出ていると思いますね。

――ラスサビの前の歌詞には、そのあたりの欲求が素直に綴られていて。

IDONO KAWAZU:「慾中病」にも通ずるところですね。自分は若いころに我慢をしなくてはならないことが多くて。でもそこから年を重ねていくなかで、地獄や絶望を知っていくだけでなく、自分の純粋な部分も浮かび上がってきて。すごく正直な気持ちが書かれていると思いますね。でも、実際は行き詰まったときの迂回路も用意できていないし、マイペースに生きられてもいない。何をしたいのか、なぜ今これをやっているのかはわからずじまいの中途半端な蛙なんですけど、自分の欲には少しずつ忠実になってきたのかなと思います。

――それはかなり進歩なのではないでしょうか?

IDONO KAWAZU:自分としては井戸に出られただけでも少し進歩なのかなと思っているので、そう言っていただけるとありがたいです(笑)。これが続けばいいんですけどね……。まあ未来のことは分かりません。ただ、何も考えずにのうのうと生きているように見える蛙も、夏を謳歌しているキリギリスも、毎日が充実していそうなあの人も、じつは内面ではこんなことを抱えているかもしれない。そう思っていただけたら幸いです。

――冬眠中はどうお過ごしですか?

IDONO KAWAZU:冬眠に入ってからしばらくはゆっくり寝ていますので、この先はたくさん睡眠学習をしておこうかなと。それも積極的に変態したい、変わっていきたいと思えるようになってきたからですね。

――お。やはり進歩ですね。

IDONO KAWAZU:今日できることが明日できなくなることが普通にありえる世界だと思うので、不安9割、楽しい1割ではあるんですけど(笑)。それまで自分は変わることができないと思っていたんです。でも2年半活動していくなかで、折角このような面白い身体になったのだから、もっと変われるんじゃないかなと思いました。ですので、来たる春を是非楽しみにしていただけたらと思います。

取材・文:沖さやこ
イラスト:ダーヤマ


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