【インタビュー】IDONO KAWAZU、井戸に逃げ込まざるを得なかった1匹の蛙の心の叫び
アンニュイでユニークなビジュアルと、純文学を彷彿とさせる言葉遣いと小気味の良い互換、整然とした様式美を同居させる歌詞に、ジャンルにとらわれない自由奔放で大胆な音楽性――2019年9月から活動しているVOCALOIDクリエイターIDONO KAWAZUの作る世界に魅了される人々が増えている。様々なVOCALOIDソフトを駆使して制作される楽曲群に共通するのは、井戸に逃げ込まざるを得なかった1匹の蛙の心の叫び。クレバーなのにどこか泥くさい、絶望的なのにどこかウィットに富んでいる、そんなアンバランスさが生々しくもありキュートだ。2021年10月に3rdフルアルバム『蛙の借り目』、12月にYouTube限定で20作目の楽曲「慾中病」、2022年1月には「呉須の曳航」を発表し、毎年恒例の“冬眠”に入っているIDONO KAWAZU。この蛙はいったいどんな思考を持った音楽家なのだろうか。住まいである“井戸”までリモートでアクセスし、これまでの歩みや最新2曲について話を訊いた。
■人間や自分が歌うのでは出せない歌がVOCALOIDにはある
■人にはないVOCALOID特有の情熱があると思う
――冬眠中にもかかわらず、お時間いただきましてありがとうございます。
IDONO KAWAZU:寝言としてですが、お付き合いいただければ。
――1月30日にツイートなさっていた“冬眠のお報せ”によりますと、とある実績を解除したら目覚めるご予定だそうですね。
IDONO KAWAZU:はい。今までの冬眠は単なるお休みの側面が強かったのですが、今年の冬眠はアップグレードと言いますか、自分が今までとは違うかたちで創作をするための準備期間でもあって。“とある実績”の正体は冬眠明けにお楽しみください。
――楽しみにしております。では初インタビューということで、IDONO KAWAZUさんのこれまでの活動を振り返れたらと思います。2019年9月1日に初楽曲「妄言に足る所以」を発表していますが、まずここに至るまでにはどんな経緯があったのでしょう?
IDONO KAWAZU:音楽自体は前から少しやっていたのですが、色々なことに疲れている時期が長く続いておりまして、音楽もやめようとも思っていました。一寸外に出ただけで、様々なことが見えてしまう。さらに自分にとって音楽は続けていても意味のないこと、自分の人生には不必要なのかもしれないと、それで辞めようと思うのですが、そう思った途端にまた曲を作ってしまう。潔く辞められない自分が御し難いと思うようになったのです。
――それで疲弊してしまったと。
IDONO KAWAZU:それを見かねた知人が“今の君なら受け入れてくれる場所がある”と紹介されたのがVOCALOIDだったんです。VOCALOIDは過去に少し齧っており、10年くらい前に聴いていたので、ものすごく遠い世界なわけではありませんでした。ならやってみようかな、ということで始めました。
――というのは、心の奥底では音楽を続けたかったということですよね。
IDONO KAWAZU:んー……だったらいいな、という感じですね。辞めたいなら辞めればいいのに、なんで今も自分は賤しくも曲を作っているんだろう? という答えはいまだに見えてこない。それを今も探しているのだと思うし、全てが明確に解ってしまったら、恐らく辞めてしまうと思います。
――なるほど。やめられない理由を探すという意味でも、VOCALOIDクリエイターとして再スタートを切る決意をなさったのかもしれませんね。
IDONO KAWAZU:そうかもしれませんね。当時の自分はまさに“井戸の中の蛙大海を知らず”で。そういった言葉の意味や音の響きや文字面も収まりがよく相応しいと思ったので、“IDONO KAWAZU”という名の蛙として動き始めました。とはいえ音楽を辞めようとしたことがきっかけとなったので、初期に発表した10曲は音楽を辞たいのにも関わらす、曲を作り続けてしまう状況への「絶望」を題材にして制作いたしました。それを出し切って活動を終わらせてしまうつもりだった。なぜならば、余りにも見苦しいから。1年間10曲で、IDONO KAWAZUの活動は終わらせるつもりでした。
――でも終わらせることができなかった。その理由は活動1周年のタイミングで発表したコメントのとおり、“全て出し尽くし空っぽとなった筈の自分の中で「別の何か」が生まれていた”から。
IDONO KAWAZU:だから11作目から20作目あたりまでは“別の何か”とは何なのか、探しているうちに生じてしまった「迷い」を題材にしております。何が自分のなかに残っているのかを探しているうちに、自分の中に辞めさせないための何か大きいものがあったに違いないと思うようになりました。でもそれが具体的に何なのかは見つかっていないし、何か大きいものがあると期待してはいるけれど、実際はもの凄く小さいものかもしれない。今もそんな風に思いながら制作しています。
――10作目までの楽曲はKAWAZUさんの心情吐露だけれど、11作目からはもう少しクリエイティヴというか、音楽を作っているという面が強いとは思いました。
IDONO KAWAZU:その解釈で合っていると思います。それこそ辞めようと思っていたところから始まっているので、作りたい音楽の明確なヴィジョンはなくて、ただ自分の持っている「絶望」や「迷い」を聴いてくださる皆様に消費していただければという思いでした。ジャンルも限定せず自由に制作をしていって、そのかわり言葉には縛りをつけました。……正方形が好きなんですよね。
――正方形?
IDONO KAWAZU:文字を組んだときのかたちですね。たとえば英文だと、単語よりも単語間の半角スペースのほうが目についてしまう性分なのです。でも日本語は正方形として綺麗に並ぶし、ひとつの正方形に対して密度の高い文字、漢字と低い文字、仮名が均等に存在しているイメージがあって。日本語はひとつひとつは不均一な文字ではあるけれど、うまく組んで俯瞰で見れば美しい何かにもなるかなと。
――だから初期から字面に凝っていたり、歌詞に漢字を多用しているんですね。
IDONO KAWAZU:漢字と平仮名のなかに横文字や片仮名を入れると、そこだけ浮いて見えるので余程意図がない限り使わないようにしています。昔から本を嗜んでいて、綺麗な言葉や言い回しを見つけると記録を取ったり、諳んじたりしているので、昔の純文学からの影響は受けているなと思います。とはいえ“この曲の歌詞はこういう題材で書こう”という風に器用には作りきれない。取り繕うことができなくて、どうしても今の自分の感情が乗ってしまうことが多くて。それが創作者として未熟なところでもあるし、“生々しさ”のような部分でもある。そういったところに対して皆様がIDONO KAWAZU としての統一性を感じていただけているのかなと自己分析しています。
――プロフィールにある“身の廻りの事や音を紡ぎます”という言葉のとおりですね。
IDONO KAWAZU:はい。本当に半径1~2mくらいのことを書いていますね。居場所が井戸なので。
――(笑)。VOCALOIDでの制作を続けることで見えてきたことはありますか?
IDONO KAWAZU:制作を続けていく中で、人間や自分が歌うのでは出せない声が、VOCALOIDにはあるなと思うようになって。それは人にはない、VOCALOID特有の情熱が含まれているということだと思うのです。自分の歌わせ方や調整もあると思うのですが、VOCALOIDの歌声には“無理をしている”という感覚があるというか。
――たしかに。そうですね。
IDONO KAWAZU:自分の曲のなかでは人では歌うのが難しい旋律や音程を取り入れることが多いので、ぎりぎりな感じもありつつ、そんな旋律でも歌えてしまう……一歩間違えてしまうと歌ではなくなってしまう危うさがある。そういうところがVOCALOIDにしか出せないエモーショナルだとも思うのです。“人でない存在でも感情を持っていいじゃない”という考え方が芽生えていったのが、2020年の8月くらいですね。
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