世界に誇る、キング・オブ・北島演歌 ~サブちゃんの魂がサブスクで全世界に配信!~
日本が世界に誇る演歌歌手・北島三郎の楽曲が2022年1月より全世界にサブスク配信されている。北島は、2013年の『第64回 NHK紅白歌合戦』において、史上初の50回出場を達成。史上最多の13回目のトリで「まつり」を披露した。1968年より始まった座長公演も2015年1月の博多座『北島三郎最終公演』で、通算公演回数4578回を達成、歌手として不倒の金字塔を打ちたてた。2016年、旭日小綬章を受賞。などなど、昭和、平成、令和と3時代をまたぐ大スターとして日本人を熱狂させ、数々の記録を打ち立て続けてきた北島三郎。混迷を極める現代だからこそ、北島の熱い魂に触れるべし。
■北島三郎の演歌の原点は
■祖父の子守唄と自身の生き様
昭和の歌謡界のスターたちは、多様な歌のフィールドから流入していた。淡谷のり子はクラシック歌手であり、三波春夫は浪曲師、三橋美智也は民謡歌手…等。そして、北島のように “流し”からレコード歌手に転じた例も多い。現在はロストカルチャーとなりつつある“流し”は、ギターやアコーディオン、三味線などの楽器を携えて、居酒屋やスナックなどを回って酔客のリクエストに応えて歌ったり客の歌の伴奏を務めたりする稼業。カラオケが普及する以前の昭和40年代までは日本全国の繁華街で活躍していた。
1936年、北海道上磯郡知内村で生まれた北島三郎こと本名大野穣。漁師をしていた祖父が歌う北海道民謡「江差追分」を子守唄に聴き、育ったという。1955年に歌手を夢みて18歳で上京。東京・渋谷で“流し”となって5年ほど経ったある日、チャンスが訪れる。当時、春日八郎の「別れの一本杉」(1955年)や村田英雄の「王将」(1956年)などのヒットを飛ばしていた大作曲家・船村徹に見初められたのである。元流しの船村の元でレッスンを受けながらデビューを目指す日々。ただその当時はロカビリーが全盛の時代。正統派演歌歌手はレコード会社に受け入れられず、なかなか所属先が決まらなかった。しかし北島を見込んでスターに仕立てようとする船村の執念には並々ならぬものがあり、最終的にコロムビアレコードに所属が決まり船村を安堵させた。その船村は、北島の後も愛弟子として、鳥羽一郎、香田晋、森若里子など、何人も歌手を育てており、そして北島もまた船村の背中を追うように、山本譲二、松原のぶえ、原田悠里、小金沢昇司、北山たけし、山口ひろみ、大江裕など、次世代のスターを育成し歌謡界に貢献し続けているのである。
■一週間で放送禁止のデビュー曲「ブンガチャ節」
■その直後に発売した「なみだ船」でミリオンヒットを記録
歌手としての船出となる北島のデビュー曲は、意外にも正調演歌ではなく「ブンガチャ節」という当時盛り場で歌われていた俗謡。それを船村徹が採譜。作詞は星野哲郎だが、元々の歌詞は、もっと露骨な表現で歌い継がれていたという。
1962年6月、同曲はコロムビアレコードから発売して1週間、歌番組で3回歌唱したところで放送禁止という不運に見舞われる。理由は「キュ キュ キュ」というハヤシ言葉が“猥褻”であるということだった。そこでレコーディング済みだった「なみだ船」を、急遽同年の8月にリリース。結果として同曲は爆発的に売れ、ミリオンヒットを記録。レコードのプレスが注文に追いつかないほどの売行きだったという。もとはデビュー曲候補でもあった「なみだ船」。作詞家の星野哲郎が「北島くんには海の匂いがする」と言って書いた作品である。北島は初めてこの曲の譜面を船村徹から受け取って帰る途中、譜面を胸にして震えが止まらなかったという。帰宅して妻雅子に報告「あなたにも、やっとチャンスが来た」と二人して一緒に泣いたそうだ。「なみだ船」は北島をスター歌手として印象付けた、魅力溢れる正調演歌である。この大ヒットで『第4回日本レコード大賞』新人賞を受賞。その際、船村は喉から血を吐くほどに歓声をあげたという。
■演歌の王道を切り開いた名曲の数々
任侠映画ブームの中、誕生した「兄弟仁義」(1965年3月10日発売/作詞:星野哲郎 作曲:北原じゅん 編曲:福田正)によっても、演歌が大衆に浸透していった。辛うじてまだ“流し”の文化が健在だった頃なので、街場の演歌師にもよく歌われて広がった。スナックにカラオケが導入されたばかりの昭和の時代には、この曲を男泣きしながら歌う本職の人の姿も多くいたという。“♪ひとりぐらいはこういう馬鹿が 居なきゃ世間の目はさめぬ”といったニヒリズムも任侠演歌の魅力のひとつである。当時、俳優は俳優、歌手は歌手という垣根があったが、北島は同名映画も含めて数々の映画にも出演。その垣根を飛び越え、鶴田浩二、若山富三郎、高倉健、菅原文太など、日本映画界を代表する俳優陣と共演を果たした。
この「兄弟仁義」と同年の1965年11月10日に「函館の女」(作詞:星野哲郎 作曲・編曲:島津伸男)が発売され、140万枚セールスを超える大ヒットとなった。“♪は~るばる来たぜ 函館へ~”と爽快に突き抜けた演歌。CMやドラマ、バラエティなどでも度々使われる国民的楽曲といっても過言ではない。一人の歌手が同年に表現した「兄弟仁義」との世界観の落差の大きさに驚かされる。また、この1965年は、4月に発売した「帰ろかな」(作詞:永六輔 作曲:中村八大・編曲:中村八大)もミリオンセラーを達成し、北島にとっても忘れられない年になった。
1978年の『第29回 NHK紅白歌合戦』と1979年の『第30回 NHK紅白歌合戦』で、2年連続披露した「与作」(1978年発表/作詞・作曲:七澤公典 編曲:池多孝春)。この曲は、弦哲也や千昌夫らとの競作として発売されたが、北島の提案で原曲にサビを加えた北島バージョンが最も売れ、大衆は「与作」は北島の代表曲の一つという認識になっており、改めてその歌のパワーの凄さと、演歌人としての王道を感じるのである。
■世代やジャンルを超えて愛される
■自身の作曲作品「まつり」
歌謡界も多様性の時代と言われて久しく、大衆性を感じる楽曲が少なくなってきた中、老若男女に愛され燦然と輝き続ける「まつり」。1984年にリリースされた楽曲で、作詞はなかにし礼、作曲は原譲二、編曲は鈴木操が手掛けている。作詞したなかにし礼は「日本の祭りとは土の匂いのするものであり、その祭りを歌唱出来るのは北島さんしかいない」と、この「まつり」の詩を作り、作曲は北島自ら原譲二のペンネームで手掛け、歌と合わせてスーパースターとしての才能を見せつけてくれている。当時あった新宿コマ劇場、梅田コマ劇場などで毎年行っていた「北島三郎特別公演」のステージで、たくさんの踊り手を従えてねぶた祭をモチーフとした山車や龍神のセットなどに乗って現れ「まつり」を歌唱する壮大な演出も観客を魅了した。
特別公演などのステージと共に、『NHK紅白歌合戦』では、1984年(第35回)、1993年(第44回)、1999年(第50回)、2006年(第57回)、2009年(第60回)、2013年(第64回)と6回も披露している。このうち、1993年、1999年、2006年、2009年、2013年は大トリを務めた。北島三郎は、紅白歌合戦の顔であり「まつり」は、紅白歌合戦の締めの楽曲に感じている世代も多いだろう。
実際に紅白歌合戦イコール北島三郎でもあり、1963年(第14回)の初出場「ギター仁義」から勇退した2013年(第64回)まで、通算50回出場という偉業を成し遂げ、後進に席を譲ると勇退している。そして5年後の2018年(第69回)、平成最後のこの年、NHK側からの強い要請もあり、弟子のユニットである北島兄弟(北山たけし・大江裕)と共に特別枠にて出場。7度目の「まつり」を歌い上げ、その年に出演していたサザンオールスターズや松任谷由実ら全出場者と共に紅白歌合戦を再び盛り上げた。
馬主としての活躍も知られる北島。所有馬のキタサンブラックは、2015年の菊花賞をはじめ、GIレースを7勝し、2016年と2017年の2年連続で年度代表馬にも選ばれた名馬。北島は、キタサンブラックが勝利した日の競馬場で、応援してくれたキタサンブラックファンはもとより、全競馬ファンに対して感謝の気持ちを込め、度々「まつり」を歌唱し、競馬ファン達を喜ばせて来た。2017年12月24日、キタサンブラックが引退レースとなる有馬記念で勝利した後も、北島は騎手の武豊や調教師の清水久詞、観客らと同曲を合唱。その日は、自身が作詞と作曲(作詞は共作)を手掛け、愛馬への思いを歌にした「ありがとうキタサンブラック」も披露した。
2021年1月から放送されたアニメ『ウマ娘プリティダービー Season 2』。これは実際にいた馬名を美少女キャラクターとして登場させた番組で、併せてスマートフォン向けゲームも登場。キタサンブラックも美少女キャラクターとして度々登場。ゲーム内で行われるカードガチャでは、レアカードSSRのキタサンブラックを引く際、願掛けで「まつり」を聴く人が続出するという現象も起こった。キャラクターの勝負服が北島の「まつり」をイメージさせる華やかな和服で、人気の高いキャラクターでもある。これはキタサンブラック自体の根強い人気もあるだろう。しかしそれにも増して、長年サブちゃんとして歌手 北島三郎が大衆に愛され続けてきたこと、それがゲームという違う世界でも支持される所以であり、改めて北島の凄さを感じる。
■DAMのカラオケランキングに見る!
■“サブちゃん演歌”の楽しみ方
DAM年間カラオケランキング2021より、北島三郎のカラオケランキングは以下である。
1位「北の漁場」(1968年)
2位「まつり」(1984年)
3位「風雪ながれ旅」(1980年/DKアレンジバージョン)
4位「川」(1987年)
5位「山」(1990年)
6位「与作」(1978年)
7位「加賀の女」(1969年)
8位「橋」(2000年)
9位「演歌兄弟」(2002年)
10位「あじさい情話」(1988年)
11位「函館の女」(1965年/DKアレンジバージョン)
12位「帰ろかな」(1965年)
13位「歩」(1976年)
14位「男の涙」(1965年)
15位「兄弟仁義」(1965年)
16位「竹」(2003年)
17位「箱根のおんな」(2003年)
18位「薩摩の女」(2001年)
19位「終着駅は始発駅」(1977年)
20位「涙の花舞台」(2015年)
21位「生かされて」(2021年2月3日)
22位「なみだ船」(1962年)
23位「想い」(2021年6月5日)
24位「函館の女」(1965年)
25位「ギター仁義」(1963年)
26位「男一代」(1996年)
27位「年輪」(1988年)
28位「がまん坂」(1988年)
29位「男道」(1993年)
30位「博多の女」(1967年)
(株)第一興商 通信カラオケDAM調べ
調査期間:2021年1月1日~11月30日
こういったランキングにも、“サブちゃん演歌”をより深く楽しむためのヒントが潜んでいる。
まず、多くの人が1位と想像してもおかしくない代表曲「函館の女」は、DKアレンジバージョンで11位、通常バージョンで24位と、やはり多く歌われていることがわかる。同曲は永谷園の「さけ茶づけ」のCMソングとしてもお茶の間に浸透し、140万枚超えの売上を記録した国民的楽曲。また、「加賀の女」も7位と上位である。北島の“女(ひと)シリーズ”がファンに沁み込んでいる様子は、17位に「箱根のおんな」、18位に「薩摩の女」、30位に「博多のおんな」がランクインしていることからも伺える。そして、4位の「川」、5位の「山」、8位の「橋」、13位の「歩」、16位の「竹」といった並びにも“一文字シリーズ”にファンの多さが表れている。
“サブちゃん演歌”の真骨頂ともいえる北国や海の曲が根強い人気で、「北の漁場」が1位に、「風雪ながれ旅」は3位にランクイン。他にも、15位の「兄弟仁義」に代表されるような映画と共に話題を集めた任侠演歌や、タイトルに地名が付く曲だけでも40曲以上存在するご当地ソングシリーズなど、様々なテーマや角度から“サブちゃん演歌”に親しんでいくのも楽しい。21位の「生かされて」や23位の「想い」など昨年の曲が入っているのも、ファンの熱い“想い”のような気がしてならない。
文:全日本歌謡情報センター(https://www.kayou-center.jp/)編集長 仲村瞳
■北島三郎 コメント
【栄枯盛衰の世の中で、今日まで歌い続けてこられましたのも、長年に亘る皆さまのご支援の賜と、深く感謝しております。
この度、芸道60年の集大成として、新しい形で皆さまに楽曲をお届けできることを、嬉しく思うとともに、これからも
日本の心を大切に魂のある歌を歌って参ります。
今後とも変わらぬご厚誼の程よろしくお願い申し上げます。 北島三郎】
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