【インタビュー:前編】筋肉少女帯、「この先に何十枚出したとしても、このアルバムはエポックメイキングだったと記憶される」

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■お客さんがいなくて寂しいよう!
■とバンドの人が言ってるわけですよ

──なるほど。そして、流れ的にもここで内田さんに訊きたいところなんですけど……内田さん、居ますか?

本城:居ないですね(苦笑)。

スタッフ:今、電話して状況を確認してもらってます。

──では、このまま進めていきましょうか。

橘高:そうですね。で、どういうアルバムになったかということについて補足すると、結局、この1年半の間にいろいろ考えてたのが、たとえるなら、クイーンの後半とかビートルズがどうだったかということで。

──どういうことでしょう?

橘高:つまり、コロナのことを考えるとわからなくなるので、“スタジオワークというのは続けるけど、ライヴ活動はしないと宣言した後のバンド”というのを想像してみたんですね。“音源リリース→ライヴ”というセットのローテーションを崩す考え方において、何かないかなと思った時に“ああ、俺の好きだった人たちにはそういう時期ってあったよな”と気付いて。そこに当て嵌めていろいろ考えてみたら、結局、ライヴの有無ってものが影響する部分も確かにいっぱいあったとは思うんだけど、振り返ってみたら、ライヴをやらなかったからこそのライヴに対する渇望感とか、そういうものが出てる部分もあったな、と。なので、この筋肉少女帯の今回のアルバムの中でも、我々はどちらにしてもライヴ育ちというかステージで育ってきた子供たちだから、そこから出てくる渇望感とか、のちにアルバムから派生するライヴ感みたいなものも含めて、みんなでシミュレーションをして遊ぶというか。そういうのが自然に出たアルバムになればいいんだなっていうところに心が決まって制作に入った部分はありました。“この曲をライヴでこうやろう”とかいう現実的な想定ではなく。

──なるほど。結果的にどういう答えが出てくるかという前に、考え方のメカニズムを変えてみたわけですね。想像力を働かせながら。

橘高:そう。コロナ禍というのは誰も経験したことのないことだったから、気持ちの置きどころというのが難しいなと思って、だからメンバー会議でも“ライヴっぽいものを意図して入れないのはやっぱ違うんじゃない?”という話をした憶えがあって。ライヴのない状況下で出てくるライヴ感というのは我々の培ってきたものだし、それを聴いたお客さんもライヴを想像するだろう、と。だから、我々の得意とするライヴ的な要素の強い楽曲というのがそのまま自然に出てくるならそれでいいし、こういう時期のスタジオ盤によくある“これはライヴではやんないだろう”とか“これはスタジオならではの楽曲だろうな”というのも当然出てくるだろうし、逆にそれもあっていいな、という考えに到達したうえでアルバムを作れたらいいねという話をしたんです、なんとなく。

──ライヴと直結しない曲もアリじゃないか、ということですね?

橘高:そうですね。というか、そもそもはライヴを抜きにして制作した曲だけでもアルバムを楽しめるように作ることって、かならず意識してることでもあったわけで。だったら当然それはアリだろう、と。そういう考えに到達できたわけです。


▲内田雄一郎 (B)

──ええ、わかります。クイーンとビートルズがそのヒントになったというのが面白いですし、納得できる話です。ところで、内田さんは聴こえていますか?

大槻:ああ、姿は見えるようになったけど、音が駄目だねー。

本城:音声が生きてない。

橘高:なんでだろうね? 今までうまくいってたのに。

内田:……正常に接続できてません(独り言のようにつぶやく)。

本城:あ! 今、聴こえるよー!

──今、聴こえました。大丈夫ですか? こちらの声は聴こえてますか?

内田:まいったなー(と、こちらの声は聴こえていない様子)。

橘高:内田君の声は聴こえてるよ!

本城:向こうは音声が聴こえてないんですね。

大槻:なんか音声がカットになってるよね。

本城:なってるね、今。違う機械に変えたほうが……。

大槻:PCじゃなくて、普通にスマホがいいのでは?

本城:“スマホのほうがいいんじゃない?”っていうメールか電話をしないと。

橘高:……というこっちの話が聴こえてないからね(苦笑)。

スタッフ:もう一回、電話をしてみますね。

──お願いします。

橘高:すみません(苦笑)。でも、メンバーでZOOMでのやりとりをしていて、内田君が駄目なのは初めてなんです。彼はこういうのにいちばん強いタイプだから。

本城:そうそう!

──環境回復が近いものと信じましょう。しかし今のお話からも、ライヴへの渇望が曲や音になるのも当然のこと、“ライヴを諦めてはいない。けれどもライヴでやることを想定しきれない曲があってもいいじゃないか”というような考えに辿り着いたということがわかります。

橘高:そうだね。実際、今回のアルバム、蓋を開けてみて、みんなが楽曲を出してきたら、“渇望感あるなあ!”っていうのが何曲もあって。

本城:ははは!

──“ライヴやりたい!”が音になってるというか。

橘高:なってるなあ、と。最初はもっとスタジオ至上主義のアルバムになると思ってたから。みんなが出してくるものがそういう曲ばかりになるんじゃないか、とね。俺の場合で言えば「ボーダーライン」とかはそういう感じでいちばん最初にできた楽曲で。なんていうか、スタジオワークの画もすべてが浮かんで降りてきた曲で、オーヴァーダブなんかの景色まで見えてたし。最初に言ったように、筋少ってそれでもライヴでできちゃうタイプなんですけど、敢えてライヴでやってる画が直結してない楽曲を書いたのって久しぶりで。大抵俺は楽曲を書く時に、ステージでこのバンドが演奏してるシーンを想像するんですよ。大槻ケンヂがここでシャウトして、みたいな。そういうライヴの景色が見える楽曲が多かったんだけど、この「ボーダーライン」なんかの場合はライヴじゃない画が降りてきたから。で、そういう曲がみんなも増えるかなと思ったわけです。まあ、内田君の楽曲にはそういうのがちょっと多かったかな。


──なるほど。本城さんはそのあたり、曲作りのモチヴェーションというかベクトルの向き方という意味ではいかがでしたか?

本城:今の橘高君の話を聞いて思うんですけど、去年コロナになって“こういう時期だから”と思いながら曲を作ってみた時に比べて、そこから1年以上経過して、いざアルバム用に曲を作ってみると、意外とどれもこれもポジティヴなもので……

内田:ああ、大丈夫そうです(と突然の声)。

本城:あ、内田君、来た(笑)! 話を戻しますけど、この状況下だけにちょっと後ろ向きというかネガティヴな曲になっちゃったりするのかな、と思ってたんですけど、今年に入っていざアルバムに向けての曲作りに向き合ってみると、作っても作ってもポジティヴなものばかり出てくるようになって。“あ、なんか、今の自分はそういうモードなのかな?”とすごく思いました。だから、そこまで1年以上時間を置いたのも良かったのかなとは思ってますけど。

──それもある意味、渇望感の表われなんでしょうね。

本城:そうですね。ライヴを意識しない曲っていうのが多くなるんじゃないかなって、確かに去年の段階とかでは思ってましたけど、実際にはやっぱりそうじゃなくて。作りながらお客さんの顔が見えてくるような曲がで出てくることが多かったように思います。

──わかりました。というわけで、内田さん、お待たせしました。

内田:ヘイヘイ!(音声チェック中?)

本城:おかえり(笑)。

内田:聴こえますか?

──無事に聴こえております。よかったです!

内田:インタビューに遅刻しました!

──いやいやいや、遅刻ではないんですけども(笑)。ありがとうございます。

内田:お待たせしました!

──すでに質問を始めていて、まずは完成後の第一声というところでの話だったんですけれども、ここのところ年に1枚のペースが続いてきた中で、ちょっと計画的に2020年はアルバムを出さずにおこうという流れがあったところにコロナ禍が、という時間を経て完成に至った今作について、現時点ではどんな作品になったと感じていますか?

内田:はい。あのー、えー、なんかね。表面的ではない根源的なやる気が出てるような気がしますね。筋肉少女帯にあるまじき前向きな感じが出ていると思います。

──ははは! それは“あるまじき”なんでしょうか?

内田:ねえ(笑)?

──“ねえ?”って(笑)。いや、でも、そのような“あるまじき力”が出た理由というのは、どこにあるとお考えですか?

内田:いや、そりゃあ、あの……やっぱり家にみんな閉じこもって、クサクサしてるところで。かといって、そんなに僕らミュージシャンのライフスタイルはあまり変わってないと思うんです。ただ、ライヴができないということで、やっぱり“ロック・バンドというのはオーディエンスがありき”みたいなところがあるんだなあ、と痛感しますね。

──わかっちゃいたけど改めて、みたいな感じですかね?

内田:そうですね。“お客さんがいなくて寂しいよう!”とバンドの人が言ってるわけですよ、要するに。

本城:まあ、そうだね(笑)。

橘高:そうだね、そういうことだね(笑)。

──その“寂しいよう!” “早くライヴがやりたいよう!”という気持ちが音になってるということですね?

内田:やる側としてはそういうことなんですよね。

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