弘田三枝子、心不全により73歳で死去
弘田三枝子(本名・竹永三枝子)が7月21日(火)、心不全により73歳で亡くなった。
◆弘田三枝子 画像
弘田は7月20日(月)に千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されたが、翌21日(火)22時31分にこの世を去った。倒れる前日までは、変わりなく元気でいたという。すでに親族関係者で密葬が執り行われており、お別れの会などの予定は検討中だという。
弘田は小学生の頃から米軍キャンプで歌いはじめ、1961年に14歳で「子供ぢゃないの」でデビュー。その後、「ヴァケーション」「すてきな16才」「砂に消えた涙」などのカバー曲でヒットを連発し、“パンチのミコちゃん”と称された。
▲「子供ぢゃないの」
▲「ヴァケーション」
週に10本以上のテレビのレギュラー番組を持つ国民的な人気者となり、1965年には日本人歌手初の<ニューポート・ジャズ・フェスティバル>出演で“ポップスクィーン”の名を欲しいままにした。1969年には「人形の家」が大ヒット。また、ダイエットブームの先駆けとなった著書『ミコのカロリーブック』は150万部を超すベストセラーを記録している。
▲「人形の家」
弘田のパフォーマンスは多くのミュージシャンに影響を与えており、桑田佳祐は1983年発表のサザンオールスターズのアルバム『綺麗』に、弘田をテーマにした楽曲「MICO」を収録。そのアンサーソングとして、弘田は同年に“オー!ケイスケ”をもじった楽曲「O-KAY」をリリースした。
2020年はレコードデビュー60周年を迎え、記念曲の制作や記念コンサートの開催などが企画されていたが、新型コロナウイルス感染症の拡大によって「来年に持ち越しね!」とスタッフと話し合っていたという。ラストシングルは2015年に発売された55周年記念曲「悲しい恋をしてきたの/ひいふうみいよう」、ラストアルバムは2019年発売の『ゴールデン☆ベスト』となった。
▲「悲しい恋をしてきたの/ひいふうみいよう」
▲『ゴールデン☆ベスト』
最後の肉声は、亡くなる約ひと月前の6月15日(月)にYouTubeの「日本歌手協会チャンネル」にて配信された『コロナに負けるな! メッセージ付「日本歌手協会 リレー歌謡祭」』第46弾で、電話で「早く皆さんに会いたいです」とコメントを寄せていた。