ヴィニー・アピス、ジョン・レノンと鍋の逸話を明かす

ポスト


ドラマーのヴィニー・アピスが、ジョン・レノンとの出会いを振り返り、アピスの母が作ったラザニアにまつわる逸話を明かした。

◆ヴィニー・アピス画像

ヴィニーは70年代半ば、16歳のときバンドBOMFで活動中、NYにあったレコード・プラント・スタジオでレノンと出会った。彼は当時のことを『Ultimate Classic Rock』のラジオ番組でこう話した。

「スタジオにいるとき、“みんな、こっちに来てくれないか? 君らに手を叩いてもらいたいんだ”って言われたんだ。それで、下の階に行って、レコーディング・ルームに入ったら、コントロール・ルームにジョン・レノンとエルトン・ジョンがいた……。俺ら、固まったよ! で、手を叩いたりしたんだ」

「その数日後、ジョンが、俺らがプレイしているところを見に来た。俺ら、ビックリ仰天だ。そのとき、彼と話し、一緒に過ごすようになったんだ。ビリヤードやったりね。彼は本当に俺らのことを気に入ってた」

「クールな話がある。俺ら、食べ物の話をしていて、俺は彼にうちの母親はイタリア料理を手作りしてるって教えたんだ。“今度持ってくる”って言ったんだよ。それで、母が鍋でラザニアを作り、俺はそれをスタジオに持っていった。“ヘイ、ジョン、これは母からだ”って差し出したら、ジョンは“おお、ありがとう!”ってそれを持ち帰ったんだ」

そのひと月後、ヴィニーの両親が、兄カーマインが出演するロッド・スチュワートの公演を観に行くと、会場にレノンがいたそうだ。「うちの母親は“あら、ジョン・レノン!”って言って、彼のもとに向かったんだ。それで、2人の間で“こんにちは、ヴィニーの母です。ラザニア作ったのは私よ”、“ああ、ありがとう”って会話があって、母はこう言ったんだよ。“私の鍋、お持ちかしら?”って。彼女はジョン・レノンに鍋返してって要求したんだ!」

BOMFは、全米No.1に輝いたレノンのシングル「Whatever Gets You Through The Night(真夜中を突っ走れ)」で手を叩き、その後、バック・バンドを務めるほどにレノンから気に入られていた。

Ako Suzuki
この記事をポスト

この記事の関連情報