【インタビュー #1】doa、デビュー15周年を語る_前編「転機は“3人全員がリードボーカル”」

ポスト

■2人はB’zのサポートメンバーだったので
■ただdoaのメンバーに誘われたかな(笑)?

──さて、今回の特集はdoa15周年を記念したもので、15年間を前期と後期に分けてお話をうかがいたいと思います。まずはその前期から。doaはどんなふうに結成されたのかを、改めて話していただけますか。

徳永:“全員が歌えるロックバンドを作りたい”と僕が思ったことが始まりです。具体的に言うと、元々イーグルスが好きだったこともあって、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングみたいに、みんなでハモるロックバンドをやってみたかったんです。僕は表舞台に立つようになる前は、いわゆる裏方の作曲家だったので、1人で多重録音をしたり、スタジオにこもったりすることがメインだったんですよ。そういう活動では絶対にできないこと……たとえば“ステージに立って、3人でハモったりできたらいいな”と漠然と思っていたところ、吉本君と出会って、具体的に結成へ動き始めたんです。

──吉本さんとは、どんなふうに知り合ったのでしょう?

吉本:大阪ミナミの引っかけ橋で、徳永さんにナンパされました(笑)。

徳永:はははは!……それでいいのか?

吉本:いや(笑)。僕と徳永さんの共通の知り合いが紹介してくれたんです。最初は「バンドをやろう」みたいなことではなくて、普通に徳永さんを紹介されたんですけど、えらい男前やなという印象でしたね。その時は徳永さんが何をしている人なのかよくわかっていなかったんです。

徳永:お互いにそうだったよね(笑)。その頃の僕はクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングをカバーしたデモを作っていたんですよ。吉本君はオーストラリアで育ったと聞いていたので、「英語で歌える?」「もちろん」というやりとりがあって、実際に歌ってもらったらすごくいいわけですよ。それがきっかけで、doaにつながっていきました。

──お2人の共通の知り合いに感謝ですね。吉本さんはそれまで、音楽活動はされていたのでしょうか?

吉本:その頃はレーサーとして全国をまわっていたので。元々音楽は好きだから、遊びでバンドをやったりしたことはありましたけど、音楽歴はそれくらい。本格的に音楽と関わるようになったのはdoaが初めてで、徳永さんに誘われた時は“本当に自分でいいのかな”と思いましたね。

徳永:吉本君は歌も上手いしルックスもいい。ぜひ一緒にバンドをやりたいと思ったよ。

大田:吉本君は今や主演男優だしね(笑)。

──は? そうなんですか?

吉本:いや、先日「WINDOW」のミュージックビデオを撮ったんですけど、ドラマ仕立てというか、演技するシーンが結構あって。まだ、どんな仕上がりになるのかはわからないけど、今までのミュージックビデオとは全然違う。今は出来上がりを見るのが楽しみなような、怖いような……という気持ちです(笑)。


──話をdoa結成に戻しますが、吉本さんと出会って、その後、大田さんを誘われたんですね?

大田:そう。僕が誘われたきっかけはB’zですね。徳永君と僕はB’zのサポートメンバーだったので。ただ、doaにメンバーとして誘われたかどうかは覚えていない。たぶん言われてないんじゃないかな(笑)。

吉本:えっ、そうなの?

大田:気がついたらメンバーにされていた(笑)。

徳永:えっと……そうだっけ(笑)?

──口に出す必要がないくらい、しっくりきたということでしょう(笑)。大田さんは、ウエストコーストロックにインスパイアされたdoaの音楽性については、どんなことを感じましたか?

大田:僕は、ウエストコーストはあまり詳しくなくて、好きなのはLAメタル方面だったんですよ。でも、LAメタルも、ウエストコーストも、同じアメリカの西海岸じゃないですか(笑)。だから抵抗はなかったし、doaを始めてから1970年代のウエストコーストをいろいろと知っていった感じですね。あと、doaのコーラスは裏声できれいにハモるとかでなくて、本気で全力で歌うんですよ。コーラスというより3ボーカル。僕自身、そういうスタイルにすごく合っていると思うし。

──役者が揃ったのが2004年のことですね。3ボーカルスタイルは、すぐに形になりましたか? それとも試行錯誤されたのでしょうか?

徳永:最初は“道なき道”という感じでしたから。なにしろクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとか、イーグルスくらいしかお手本がないわけですよ。日本で言えばTHE ALFEEさんとかガロさんとか。そういうアーティストを参考に、自分達はどういうアプローチがいいんだろうっていうことは考えましたね。吉本君がリードボーカルで、僕が下ハモ、大田さんが上ハモ、っていう形はわりと早く、当初からできたんですよ。ただ、基盤になるスタイルはできあがったけど、2〜3枚とアルバムを出していく中で、それだけじゃ面白くないと思うようになり。どうしたものかと考えていた時期に、たまたま僕がメインで歌う曲が出てきたり、大田さんにキーの高い曲を歌ってもらったりするようになったんです。結果、僕と大田さんもリードボーカルを取るようになってから、だんだん幅が広がって本当にイーグルスみたいな感じになりましたよね。

──3人のシンガーとしての個性が違っていることも、いい方向に作用しましたね。

大田:最初、サングラスキャラは僕ではなく、徳永君だったんですけどね(笑)。それがいつの間にか逆転していった。

──そこですか(笑)。さらに最近は3人の役割分担も変わってきていますね。たとえば、初期の頃は“大田さん=ハードチューンをハイトーンで歌う”というイメージでしたが、今はそれだけではありません。

大田:バラードとかも歌うようになりましたね。

吉本:ツアーに出た時にハードな曲ばかり歌っていると大田さんが疲れてしまうので(笑)。

大田:そうそう、俺ももう若くないしねぇ……って、おい(笑)!

◆インタビュー(3)へ
◆インタビュー(1)へ戻る
この記事をポスト

この記事の関連情報