【インタビュー】ダニー・マッキャスリン「ボウイとのコラボは変革の体験だった」
Photo by Jimmy Fontaine
昨年秋、ニュー・アルバム『Blow.』をリリースした鬼才テナー・サックス奏者のダニー・マッキャスリンが、今週、日本で公演を開く。デヴィッド・ボウイの遺作『★(Blackstar)』に参加したことで、あらためてジャズ・ファン以外をも魅了することとなった彼は、高校生のときモントレー・ジャズ・フェスティバルでプレイするなど、若くして才能を開花し、長いキャリアを誇る。
◆ダニー・マッキャスリン動画、画像
日本のオーディエンスが大好きで、今週の公演を楽しみにしているという彼が、来日を前に、そのバックグラウンドや最新アルバム、ボウイとのコラボについて話してくれた。
◆ ◆ ◆
──お父様がビブラフォン奏者だったということで、あなたが若くからジャズに慣れ親しんできたのは想像できますが……
マッキャスリン:そうだね、父はビブラフォンとピアノをプレイしていたんだよ。毎週日曜日、ギグがあって、僕は小さいとき、そのセットアップの手伝いをしてた。父がピアノの隣に椅子を置いてくれて、僕は、彼がジャズのスタンダードやラテン・ジャズ、ファンク、R&Bソングなんかを演奏するのを観てた。ホーン・セクションもあって賑やかで陽気で、お客さんは食事したり、踊ったりしながら音楽を楽しんでた。あの雰囲気に魅了され、ジャズにのめり込むようになったんだ。
──ティーンエイジャーのときは他のジャンルも聴いていましたか? あなたにはロック・ミュージシャンみたいな雰囲気もあるし……
マッキャスリン:ああ(笑)。最初に好きになったのはジョン・フィリップ・スーザ(※マーチ王と呼ばれた19世紀の作曲家)だった。ティーンエイジャーより前だよ。で、ティーンエイジャーになってからはAC/DCとビーチ・ボーイズが大好きだった。とくにビーチ・ボーイズに夢中だった。それと、チャック・ベリーだね。12歳のときサックスを吹くようになってからは、チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンを聴き始めた。でも、ジャズを勉強しているときも、いつもロックやソウルは聴き続けていたよ。
──では、なぜサックスを選んだのでしょう?
マッキャスリン:中学のとき、小学校からの親友がオーケストラのレッスンを受けるようになって、僕もそれに加わることにしたとき、父から楽器は何にするって訊かれて、サックスって答えたんだ。それは多分、父のバンドにいたサックス奏者がすごくカリスマのある人だったからだと思う。本当にワイルドなプレイで、僕はそのカリスマに魅了されていたんだ。
──それで彼のようになりたいと?
マッキャスリン:きっかけはそうだね。勉強するようになってからは、マイケル・ブレッカー(ザ・ブレッカー・ブラザーズ)の『ヘヴィー・メタル・ビバップ』やタワー・オブ・パワーに大きな影響を受けた。レニー・ピケットが好きだったんだ。
──では、ジャズのビギナーにお薦めの作品を教えてください。
マッキャスリン:うーん、そうだな、いっぱいあるよ……。アイコン的なアルバムは、マイルス・デイヴィスの『Kind Of Blue』だ。あれは本当に素晴らしい作品で、みんなにお薦めする。演奏もフィーリングも最高だ。それに、『Miles Ahead』も。マイルスがギル・エヴァンスと作ったものだ。とても美しく、ギルは曲を詩的にアレンジしている。音楽が好きな人なら誰でも楽しめると思うよ。
Photo by Jimmy Fontaine
──10代のとき、ジャズを演奏するため、日本に来ていますよね? どこでプレイしたか、覚えていますか? 初めての日本滞在はどうでしたか?
マッキャスリン:えーっと、あれは高校を卒業して1年後だった。バークリー音楽大学にいたときだけど、高校のときモントレー・ジャズ・フェスティバルでプレイしたのが縁でソリストとして招待されたんだ。ビル・ベリーっていう有名なトランペット奏者と一緒に行ったんだよ。あまりよく覚えていないんだけど、能登でプレイしたのは確かだよ。能登はモントレー・ジャズ・フェスティバルと関連があるんだ。東京にも行ったと思うけど、昔のことで覚えていない。でも、その2、3年後、マコト・オゾネ(小曽根真)とプレイするためにまた日本へ行った。彼は素晴らしいピアニストであり作曲家だ。彼のバンドと日本でツアーをやったんだ。大阪、神戸、東京でプレイした。凄くよかった。
──高校生でモントレー・ジャズ・フェスティバルに出演したとはすごい経歴ですが、当時のバンド・メイトの中にも、いまプロのミュージシャンとして活動している人はいますか?
マッキャスリン:ああいるよ、その1人がドラマーのKenny Wollesenだ。ビル・フリゼールなんかと長年プレイしている。
──高校生のときの夢を追い続けるって難しいと思うんです。あなたは、あきらめようと思ったことはありませんでしたか?
マッキャスリン:うーん……、ないかな。自分の進歩にフラストレーションを感じたり、プロのミュージシャンとしてやっていけるのかって思った時期はあったけど、10代初めから力を注いできたからね、これが自分のやることだって、ずっと思ってた。
──長いキャリアの中で、これまでの節目やハイライトは?
マッキャスリン:ハイライトの1つは、間違いなく、デヴィッド・ボウイと『★』を制作したことだね。僕らバンドは、レコーディングの準備段階から深く関わっていたし、レコーディング自体、芸術的に大成功だった。それに、僕にとっては変革の体験だった。僕のキャリアを変えただけでなく、僕の人生、見識をも変えた。アーティストとしては、10年前想像もしていなかった場所へ僕を連れ出してくれた。それが、これまでで最大の節目でありハイライトだった。
◆インタビュー(2)へ
昨年秋、ニュー・アルバム『Blow.』をリリースした鬼才テナー・サックス奏者のダニー・マッキャスリンが、今週、日本で公演を開く。デヴィッド・ボウイの遺作『★(Blackstar)』に参加したことで、あらためてジャズ・ファン以外をも魅了することとなった彼は、高校生のときモントレー・ジャズ・フェスティバルでプレイするなど、若くして才能を開花し、長いキャリアを誇る。
◆ダニー・マッキャスリン動画、画像
日本のオーディエンスが大好きで、今週の公演を楽しみにしているという彼が、来日を前に、そのバックグラウンドや最新アルバム、ボウイとのコラボについて話してくれた。
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──お父様がビブラフォン奏者だったということで、あなたが若くからジャズに慣れ親しんできたのは想像できますが……
マッキャスリン:そうだね、父はビブラフォンとピアノをプレイしていたんだよ。毎週日曜日、ギグがあって、僕は小さいとき、そのセットアップの手伝いをしてた。父がピアノの隣に椅子を置いてくれて、僕は、彼がジャズのスタンダードやラテン・ジャズ、ファンク、R&Bソングなんかを演奏するのを観てた。ホーン・セクションもあって賑やかで陽気で、お客さんは食事したり、踊ったりしながら音楽を楽しんでた。あの雰囲気に魅了され、ジャズにのめり込むようになったんだ。
──ティーンエイジャーのときは他のジャンルも聴いていましたか? あなたにはロック・ミュージシャンみたいな雰囲気もあるし……
マッキャスリン:ああ(笑)。最初に好きになったのはジョン・フィリップ・スーザ(※マーチ王と呼ばれた19世紀の作曲家)だった。ティーンエイジャーより前だよ。で、ティーンエイジャーになってからはAC/DCとビーチ・ボーイズが大好きだった。とくにビーチ・ボーイズに夢中だった。それと、チャック・ベリーだね。12歳のときサックスを吹くようになってからは、チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンを聴き始めた。でも、ジャズを勉強しているときも、いつもロックやソウルは聴き続けていたよ。
──では、なぜサックスを選んだのでしょう?
マッキャスリン:中学のとき、小学校からの親友がオーケストラのレッスンを受けるようになって、僕もそれに加わることにしたとき、父から楽器は何にするって訊かれて、サックスって答えたんだ。それは多分、父のバンドにいたサックス奏者がすごくカリスマのある人だったからだと思う。本当にワイルドなプレイで、僕はそのカリスマに魅了されていたんだ。
──それで彼のようになりたいと?
マッキャスリン:きっかけはそうだね。勉強するようになってからは、マイケル・ブレッカー(ザ・ブレッカー・ブラザーズ)の『ヘヴィー・メタル・ビバップ』やタワー・オブ・パワーに大きな影響を受けた。レニー・ピケットが好きだったんだ。
──では、ジャズのビギナーにお薦めの作品を教えてください。
マッキャスリン:うーん、そうだな、いっぱいあるよ……。アイコン的なアルバムは、マイルス・デイヴィスの『Kind Of Blue』だ。あれは本当に素晴らしい作品で、みんなにお薦めする。演奏もフィーリングも最高だ。それに、『Miles Ahead』も。マイルスがギル・エヴァンスと作ったものだ。とても美しく、ギルは曲を詩的にアレンジしている。音楽が好きな人なら誰でも楽しめると思うよ。
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──10代のとき、ジャズを演奏するため、日本に来ていますよね? どこでプレイしたか、覚えていますか? 初めての日本滞在はどうでしたか?
マッキャスリン:えーっと、あれは高校を卒業して1年後だった。バークリー音楽大学にいたときだけど、高校のときモントレー・ジャズ・フェスティバルでプレイしたのが縁でソリストとして招待されたんだ。ビル・ベリーっていう有名なトランペット奏者と一緒に行ったんだよ。あまりよく覚えていないんだけど、能登でプレイしたのは確かだよ。能登はモントレー・ジャズ・フェスティバルと関連があるんだ。東京にも行ったと思うけど、昔のことで覚えていない。でも、その2、3年後、マコト・オゾネ(小曽根真)とプレイするためにまた日本へ行った。彼は素晴らしいピアニストであり作曲家だ。彼のバンドと日本でツアーをやったんだ。大阪、神戸、東京でプレイした。凄くよかった。
──高校生でモントレー・ジャズ・フェスティバルに出演したとはすごい経歴ですが、当時のバンド・メイトの中にも、いまプロのミュージシャンとして活動している人はいますか?
マッキャスリン:ああいるよ、その1人がドラマーのKenny Wollesenだ。ビル・フリゼールなんかと長年プレイしている。
──高校生のときの夢を追い続けるって難しいと思うんです。あなたは、あきらめようと思ったことはありませんでしたか?
マッキャスリン:うーん……、ないかな。自分の進歩にフラストレーションを感じたり、プロのミュージシャンとしてやっていけるのかって思った時期はあったけど、10代初めから力を注いできたからね、これが自分のやることだって、ずっと思ってた。
──長いキャリアの中で、これまでの節目やハイライトは?
マッキャスリン:ハイライトの1つは、間違いなく、デヴィッド・ボウイと『★』を制作したことだね。僕らバンドは、レコーディングの準備段階から深く関わっていたし、レコーディング自体、芸術的に大成功だった。それに、僕にとっては変革の体験だった。僕のキャリアを変えただけでなく、僕の人生、見識をも変えた。アーティストとしては、10年前想像もしていなかった場所へ僕を連れ出してくれた。それが、これまでで最大の節目でありハイライトだった。
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