【インタビュー】Hiroyuki Arakawa「アートや映像、そして音楽を、ひとつの作品として世に一石を投じたい」
新世代のテクノアーティスト、Hiroyuki Arakawaが「WARMER EP」をリリースする。2017年、自身の楽曲「Alexander」がマーク・ナイト主宰のToolRoomにライセンスされリリース、名門COCOONやSOMA UKとのつながりやMULLER RECORDSからアルバム『TRIGGER』のリリース、レーベル“SPECTRA”の運営や<SPECTRA LABEL SHOW>の開催など、今最も脂が乗っているアーティストと言っていいだろう。
「WARMER EP」のリリース前となる9月28日には東京・渋谷のBPM MUSIC BARにて恒例となった<SPECTRA LABEL SHOW>を行う。本インタビューを読んで気になったという人はぜひ足を運んでいただきたい。なお、こちらの<SPECTRA LABEL SHOW>は配信も行なっているので、遠方の人はぜひ合わせてチェックしてほしい。今年1月のBARKS初登場に続いて2度目となるHiroyukiu Arakawaに話を聞いた。
■ソフトの方が柔軟性が高いという点で、
■機材は一切使わなくなった
──前回のインタビューと重複するところもありますが、まず音楽を意識して聞き始めたのは何歳ごろからですか? 初めて買ったCDは覚えてますか?
Hiroyuki Arakawa 9歳のころに初恋の女の子がB’zが好きだったので、そのころから音楽を意識してきき始めました(笑)。初めて買ったCDはB’zの『さまよえる青い弾丸』で、しかも小さい8cmディスクです。ちなみに初恋の子はっていうのは当時、私が北海道厚岸町に住んでいたころ、自分のうちの近所に住んでいて、帰りはほとんど毎日一緒に帰っていた2014年にメジャーデビューしたバンドの子です。カミングアウトしますがTAMTAMのKUROさんっていう子なんです(笑)。
──ダンスミュージックを聴き始めたのはどういうきっかけで?
Hiroyuki Arakawa 小学校5年生のころ、“パラパラ”がモテると思ったからユーロビートをクルマから大音量でながしてみたり(笑)、同年、コナミから出ていた音ゲーの『beatmania』がきっかけと思っています。また、一般的にクラブでかかっているようなクラブミュージックを買い始めたのは、小学六年生のころで、情報が乏しい環境のなか、CDショップにあった『CYBER TRANCE』のコンピレーションがきっかけです。CDのブックレットからアーティストやレーベルを勉強していましたね。
──当時はどんな曲を聴いていましたか
Hiroyuki Arakawa 小学生のころ、つまり2000年くらいは、トランスを全力で聴いていました。今はテクノで知られているマウロ・ピコットやダブファイアのアリがディープディッシュ名義、あと、ジェームス・ホールデンがめっちゃトランスやっていたころとか、ちょうど僕が小学生でしたし、ギリギリリアルタイムで知っている世代です。<ULTRA JAPAN>にも出演していたサシャがトランスやっていたこととかもそのころでしたね。
10年前くらいからテクノにハマってきた人だと、想像つかないかと思いますが。あと日本で言うとYOJIさんにもハマっていました。小学6年生がYOJI BIOMEHANIKAはいい教育でしたよ。それに、今ではスタイルこそ変わってしまいましたが、最近になってまた日本に来るようになった、トランスのフェリー・コーステンやヨハン・ギーレンあたりもそのころが上り調子でしたね。
──DJはどういうタイミングで始めたのでしょう?
Hiroyuki Arakawa 中学生になって、アルバイトが出来るようになって自由にレコードやDJ機材に手を出すことができたんです。そこから朝刊配達を毎朝やって月4万円という大金を貯めて、ヤフオクから機材とレコードに全ツッパして、DJを自宅で始めました(笑)。中学2年生の頃にテクニクスのタンテと、PIONEER DJM-600を購入してのスタートです。さらに、ガラケーの所持も親から許可され、パケット代を気にしながらモバイル向けのHMVを掘って、代引きでレコードへ投資する日々を送っていました。当時の毎回レコードを家に届けてくれる佐川急便のおじさんに、「お兄ちゃんレコード好きなんだね!おじさんも好きなんだよ!」って言われ、顔と名前も覚えられて毎回その話題をされ……でもクラブミュージックなんです!ってなんか言えなくて、中学生ながら言ってもこのおじさんはわからないだろうなって思って、ちょっと距離を置いて毎回適当に会話して……(笑)。
正式に客演が出来るようになったのは、19歳のころに北海道釧路市のGREENというクラブで、自分の後輩のヒップホップのイベントに誘われたことでした。当時ハマっていたハウスをプレイし、ヒップホップのお客の心に響かなかったという衝撃のデビューでした(笑)。さらに20歳になって就職して、静岡県へ住んでいたころに、今でもTECHNOで静岡市を拠点で活躍されているDJ SHIGeさんと出会いDJとして精力的に活動するようになりました。
──トラック制作を始めたのは?
Hiroyuki Arakawa 本当に制作っぽいことをやったのは、中学2年生のころに着メロを作って遊ぶアプリがあって、そこが始まりでした。好きなクラブミュージックの着メロって、なかなか無くって、中学生のころは32和音とか64和音とかそういう携帯の時代でしたので、無かったら作る!みたいな感じでした。例えばクラブの音楽を作るのもそうなんですけど、当時も今も僕はかなりのTVゲーム好きで、スクウェア社のゲームをクラブミュージック風にリミックスをして、着メロにするっていう遊びもしてました。あと、オリジナル曲も作って、友達と聞かせ合ったりしたり、着メロの掲示板で知らない人からレビューをもらって喜んだり……。
で、中学3年生にパソコンを自分で買い、DTMで作曲をしようと頑張りました。が、WINDOWS XPをチョイス、しかもメモリもしょぼいものを注文してしまい……CPUはたしか32bitのPENTIUM 4、メモリも確か512MB。でもそれで15万近かった気が……(笑)。しかも当時の作曲ソフトはほぼMac対応ということをパソコン買ってから知って(笑)。結局、唯一Windowsに対応していたROLANDのSONARを買いました。買ってからも地獄で、全然メモリが足りないのかパソコンが固まりまくって……で、専門誌を必至で読んでも読んでも、高額ハードウェアが必要なインタビュー記事ばっかりで、もう自分の財力ではだめだみたいになって、最終的にはそのパソコンでゲームをするようになりました(笑)。
ここからが、真面目な話なのですが、自分が現場でもプレイに混ぜて使うようなトラックを作り始めたのは、22歳のころ。当時は茨城県に住んでおり、DJがしんどくなっちゃった時期があって……その時に部屋にあった、3000枚のレコードを眺めて、音楽をまた作ってあらためて向き合おうと思ったんです。今でも水戸市でPIVOTEを経営されているDJ RYOTAさんを始めとした先輩方に相談しつつ、作曲を1年くらい現場と離れてシコシコやっていました。そこが、ここと言える作曲の始まりでした。
──DAWはSONORで、他にはどんな機材で作り始めましたか?
Hiroyuki Arakawa 完全にソフトウェアオンリーです。ソフトは中学時代に買った、一度は放棄したSONAR。いまでもこのソフトを使っています。その後、音の善し悪しはハードも依存するのでは、と思い、中学時代に憧れていたACCESSのVIRUSやNORDREADにも挑戦しましたが、結局、ソフトウェアも対して変わらないというか、むしろソフトの方が柔軟性が高いという点で、機材は一切使わなくなりましたね。今部屋にあるシンセ等の機材は、インスタ映えするから置いているだけで、僕のトラックの実態はPCの内部で完結しているものとなっています(笑)。
■日本から世界へカッコいいことを発信したい、
■その母体を自分の手で作りたい
──今の作風が固まったのはいつごろでしょうか?
Hiroyuki Arakawa 今から10年前くらいに、マイケル・デ・ヘイが主宰するEC RECORDSからのデビュー作である、エグバートの「MAGIE」のレコードに針を落とした瞬間でした。テクノのマナーに沿っているが、かなり独特なリズムパターンと、絶妙なトランス感、全く他に類似するアーティストがいない程に隙がない作品群。今でも彼に影響を受け続けており、自身のクオリティは上がっていきましたが、ざっくりとしたコンセプトは作風はそのころから変わっていないと思います。
──曲を作るときはどんなものからインスパイアを受けますか?
Hiroyuki Arakawa 自分はここ数年、ほぼライブでの公演ばかりで、DJはあまりしないのですが、完全にライブのお客さんからのリアクションですね。あとはパソコンで作曲ソフトで遊んでいる時の偶然からもインスパイアされることも多いです。メロディはキーボードでコードで遊んでいてひらめいたり、リズムは特にディレイで遊んでいる時にふっと湧いてきたり……綺麗な空や、都会の風景をみて口ずさむ曲っていうのも、あるっちゃあるんですが、なんか自分の固定観念が介入することが多いので、なるべくそういったものを排除するように心がけています。なので、自分がライブしてるときに生まれる偶然が、お客さんに大ウケした瞬間とか、家で適当にキーボード叩いてとか、そういうものを作曲にフィードバックして僕のトラックは出来ています。
──ところで、デビューはいつどんなきっかけで?
Hiroyuki Arakawa あまり知られていないのですが、22歳までDJ ARAKAWAという名義でやっていたころでした。フランク・ミュラー主宰のMULLER RECORDSでやっていた世界的に2006年くらいにめちゃくちゃ大ヒットした「HORIZON」のリミックスコンテストで入賞しんです。当時作り始めで、勢いでリミックスしたものがありがたいことに採用してもらい、PIG & DANやタイガー・スキン、ファンク・デ・ヴォイドといった超大御所と混ざってリリースできたんです。
──SPECTRAを立ち上げたのはなぜですか?
Hiroyuki Arakawa 日本から世界へカッコいいことを発信したい、その母体を自分の手で作りたかったからです。自分自身、大ヒット曲というものもなければ、ネームバリューも世界的にみてほんの一コマにも満たない小さい存在。それでも、日本に住んでいる以上は、なにかこの国から発信したいという漠然とした期待と勢いがきっかけです。SPECTRAは僕がカッコいいと思う少数のアーティスト集団で、アートや映像、そして音楽を、ひとつの作品として世に一石を投じたいという思いがあります。自分自身の表現方法も客観的に批評してくれる仲間も重要ですし、センスと知恵を出来るだけ集めて洗練されたものを作りたかったんです。また、イベントも主宰でつくり、日本でのコミュニティの構築をし、世界中で僕らが良いと思ったアーティストを招聘したり、SPECTRAのパーティを海外へ持っていく土壌作りをしたかったのもあります。
──SPECTRAはどんなレーベルをめざしていますか?
Hiroyuki Arakawa レーベルの方針はブレることなく妥協なく、レーベルイメージを保ちつつ洗練した作品を排出し続けるレーベルを目指しています。好きと共感してくれる人が多ければ多いほど、大きいファンを抱えることができますし、共感されなかったら小さいまま、それがSPECTRAの答えなんだと割り切っています。そのために、まずはカッコいいクオリティをキープする必要がありますし、たくさんの人に知ってもらう必要もあります。そのため、リリースの数もただ増やせば良いのではなく、洗練したクオリティーをキープすることを遵守項目として、ファンをがっかりさせないようにとか、第一印象で変なレーベルと思われないように、ポリシーはかなり厳しく置いていますね。大前提としてその積み重ねが、最終的に大きくなっていくキーであり、世界で認められるレーベルになるきっかけや、大型フェスの一角がSPECTRAステージとかなるきっかけになったりすると考えています。
──SPECTRAのレーベルメイトはどんな人たちでしょう?
Hiroyuki Arakawa トラックメイクはTAKEHIRO OKUYAMAやTORU IKEMOTOが所属しています。彼らは、僕が作曲していた22歳のころに、当時自分が作りたい作風の曲を作っており、ネット上でコンタクトを取ったのがきっかけです。現にトラックはリッチー・ホウティンといった有名アーティストもプレイするほどの実力があります。また、SPECTRAのWEBやアートワークはすべてCHIHO NISHIZONOが作っています。SPECTRAを視覚的に表現する上で重要な存在であり、彼女無くしてSPECTRAはありえません。2018年に、現代美術中⼼に世界のアーティストの作品が掲載される「1340 Art Magazine」に日本人で選出されているほどの実力があります。
さらにミュージックビデオは、局アナウンサーや番組ディレクターといった遍歴をもちつつ、DJのドキュメンタリー映画をイビザで制作しているLILY RINAEがフィジカルな映像を特徴とした作品を作り上げてくれます。そして担当DJとしては、女性でありながらもアナログ盤でのプレイが特徴的なHOWAKO、レジデントとしてSANJI。
メンバーの大きな変化としては、リリースはまだですが、最近所属したアーティストとして、ピアニストという強みを生かして、繊細なトラックメイクを特徴とするCHRUMI。さらに、10月25日リリース予定の僕のEP「WARMER」の映像を担当するCGクリエイターのASTRONOMICALがいます。加えてVJとして<REBOOT>でも大活躍しているANEMONE RECORDSがパーティの視覚空間を作っています。
──個人的に今のダンスミュージックはどうなっていると思いますか? EDMの未来、クラブの現状などさまざまな論点があると思いますが、個人的な現状分析と展望をきかせてください。
Hiroyuki Arakawa ダンスミュージックはファッションみたいに周期的な要因って入っているかなと思っています。流行ったものは必ず廃れる、どのジャンルも絶対あるものですし、嫌いなジャンルが流行れば誰かが叩く、どの時代もその繰り返しなんじゃないかなと。EDMに飽きるとテクノに流れるみたいな話を、カール・コックスが「EDMはみんな飽きてきてる」っていう表現で最近のインタビューで言っていましたね。時代が変われば、お金になる音楽も変わるし、かといって流されず信じたものを貫いているお店やアーティストもある。
ただこれだけは言えますが、次の世代にきちんと音楽の継承をすべきです。誇張した表現で音楽を伝えないことだったり、すばらしさっていうものを流行で洗脳しないこと。イベントのラインナップも事情があって難しいのかもしれませんが、可能であれば関連したアーティストで固めるというかっこよさ、また、すばらしい才能があっても日本で認知されていないようなアーティストをピックアップしたり、そういう文化が必要なんだと思います。音楽で正当な評価をされず、流行や音楽とは無関係な部分でアーティストが評価されるパーティはあってはならないと思っていますし、多くの人に影響を与えるパーティであればなおさらです。それが、日本の芸術の継承につながらず、アーティストが育っていかない風土になってしまう危険性を感じています。
──HIROYUKI ARAKAWA, SPECTRAの今後についておしえてください。
Hiroyuki Arakawa 直近では、SPECTRAから10月25日に「WARMER EP」を出します。既にシークレット・シネマやフランク・ミュラーといったヨーロッパ方面のフィードバックを集めているほか、リリースツアーも4都市で開催予定です。また、2019年1月下旬にはSPECTRAから初となる僕のCDアルバムリリースを予定しており、多数のアーティストとコラボレーションする予定です。さらに、僕の作風に影響を受けたアーティストに関連するあのレーベルからの、大きなリリースも控えています。
<SPECTRA LABEL SHOW>は、毎月東京・渋谷BPM BARでの配信は継続予定です。そして、SPECTRAのスピンオフパーティ<SPECTRA SIDE STORY>を開催するなど休む暇などないような、超過密スケジュールで動いていきます。2カ月前から始めたSPECTRA LINEラインアカウントは既に登録者数100人を超えており、毎月1回のデザインや音楽の無料配信も実施中でレーベルファンをがっかりさせないようにする緊張感がすごい(笑)。これも全て、レーベルのクオリティを維持して、多くの人に共感してもらう為の活動で、このSPECTRAが好きと言ってくれる人が一人でも増える事を祈りつつ最大のアウトプットをしていきたいです。
<「WARMER EP」リリースツアー>
名古屋domina
■10月26日(金)
渋谷BPM BAR
■11月3日(土)
静岡dazzbar
■12月8日(土)
福岡TRANSFORM
◆SPECTRA FACEBOOK
◆SPECTRA SOUNDCLOUD
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