【インタビュー】陰陽座「僕たちの思う王道は世間では覇道と呼びますが、それで十分なんです」
首尾一貫。陰陽座のニューアルバム『覇道明王』を聴いたときに思い浮かんだのは、この4文字だった。前作『迦陵頻伽』でヘヴィメタルバンドとしての表現の幅を一気に広げたが、1年半ぶりのこの新作では目の前のものをなぎ倒すほどのパワーや気迫が凝縮されている。バンドのブレインである瞬火(Ba, Vo)と唯一無二のシンガー黒猫(Vo)は、どのような姿勢で本作制作と向き合ったのか。来年で結成20周年を迎える陰陽座の“これまで”を振り返りつつ、現在地について語ってもらった。
◆陰陽座~画像~
■『覇道明王』は根を張っていることを強く示さなくてはいけない
■力強いサウンドや凝縮された世界観をこのアルバムでは出そうとしています
──前作『迦陵頻伽』リリースから1年半経ちましたが、今振り返るとあのアルバムはお二人にどう映っているのでしょう?
黒猫:陰陽座というバンドが結成からずっと枝葉を伸ばして広げながら、1本の木として成長していったとするならば、天高く枝が伸びて青々と葉が茂った枝の部分にスポットが当たったようなアルバムだったと思います。当然枝葉が伸びていくからには、根もしっかりしていないといけないし、幹も大きく育たないといけない。そう考えると、今回のアルバム『覇道明王』は根幹の部分にスポットを当てたものなんじゃないかなという気がしています。
瞬火:黒猫が言ったとおりだと思いますね。少なくともあの時点での陰陽座が培ってきた、陰陽座なりのヘヴィメタルというものを最大限の振り幅で、最大限のクオリティで打ち立てることができた。その思いは1年半経ったと言われないと気づかないぐらい、昨日のことのようにまだ手応えとしてありますし、おそらく陰陽座がなくなるそのときまで『迦陵頻伽』というアルバムに対する達成感というのは色褪せることはないだろうなという確信もあります。と同時に、『迦陵頻伽』を作るときから今回の『覇道明王』という作品についても、名前やどういう内容にするかを同時に着想していたので、『覇道明王』をこういう作品にすることができたのも『迦陵頻伽』がちゃんと意図したとおりに仕上がったからこそ、という気持ちもあります。
──『迦陵頻伽』自体もかなり前から構想があったと以前のインタビューでおっしゃっていましたが、未来まで見据えてその作品を作っていると。
瞬火:そうですね。いわゆるロックバンドと呼ばれるものは、良い意味でその場その場の閃きというか、あとさきを考えない刹那的なやり方のほうが、より輝いて見える印象もあるかと思うんですけど、性分として今この点を置くのは次にこの点があるからだというのをしっかり自分の中でわかっていたい。なんとなくその場の衝動で点を置いた結果、終わってみたらこういう線を描いたねと、あとで振り返るのも味わい深いと思うんですけど、僕はどういう弧を描くかをわかっていたいというのが強いのかなと。なので、その先を見てしまっているのでしょうね。だから、一般的なロックバンドということで言えば、陰陽座はあまり面白くないバンドだと思うんですけど(笑)。
黒猫:いやいや(笑)。
瞬火:でも、そうするのが自分は面白いので、これはもうしょうがないかなと。
──でも、そのほうがファンには誠実に映りますよね。信頼しているからこそ、身を預けられるというのもあると思うんです。
瞬火:少なくとも陰陽座のファンを続けてくれている方というのは、そういう部分を良しとしてくださるから、ファンを続けてくれているだろうとは思います。
──ヘヴィメタルファン自体がそういう傾向が強いですものね。そんな今回の14作目のアルバム『覇道明王』ですが、改めてコンセプトについて聞かせてください。
瞬火:さっきも言ったように最大限の振り幅で、最大限のクオリティのメロディアスなヘヴィメタルアルバムという『迦陵頻伽』を受けて放つべきこの『覇道明王』の姿というのは、サウンド的なことで言えば振り幅とかそういうことではなく、さっき黒猫が言ったように幹の部分であるとか、根を張っていることを強く示すというものでなくてはいけない。もちろん陰陽座がやってきたことというのは、激しい曲だろうが静かな曲だろうがメロディや歌を大事にしていることは一貫しているので、その上で力強いサウンドや凝縮された世界観をこのアルバムでは出そうと。
──なるほど。
瞬火:『覇道明王』が何を意味しているかというと、陰陽座も結成して20年近くになるんですが、結成したときから一貫した理念としてあるのは、あくまでも良い曲を作り、それをできるだけ一生懸命、的確に演奏して作品にして、精力的にライブで実演すること。それだけがバンドというものがこの世にある意味であり、それを粛々と、ひたむきに、一歩一歩やっていくというのが僕たちのやろうとしたことで、それこそがバンドというものの王道の在り方、正道の歩み方だと思って続けてきたんですが、どうやらこの世界ではそれは理想論でしかなく、それだけでは生き残れないし続かないということもある。この20年、ファンの方からは別として、はたからの見られ方としては王道、正道と捉えられていると感じたことはなく、常に邪道で覇道なバンドだと見られていると自覚しているんです。
──でも、ご本人たちはこれこそが王道だと思っていたわけですよね。
瞬火:はい。でも、僕たちが欲しているのは呼ばれ方ではなくて歩み方なので、自分たちの歩み方が邪道で覇道なんだとすれば、そう呼ばせておけばいいと。その覇道を粛々と一歩一歩進み、目の前に何か差し障りのあるものが現れたら、それを一つひとつ倒して除いて、またまっすぐ一歩一歩進む。そういう悪しきものを取り除くという意味での明王が陰陽座の姿勢を表しているという感じです。
──なるほど。黒猫さんは今の王道/邪道の話じゃないですが、陰陽座というバンドに対してどういうイメージを持っていますか?
黒猫:瞬火が言うとおりだなと思いましたし、その覇道を歩いてこられたことに対しても誇りを感じます。私自身も覇道のボーカリストだと自分では思っているので、私のようなボーカリストが20年近くもこのバンドで歌ってこられた、同じ道を踏みしめてこられたというのは本当に奇跡的なことだなと思っているんです。『迦陵頻伽』という枝葉を主に見ていただいたアルバムのあとに、この強く育った根と幹を、『迦陵頻伽』と同じ木ですよと見てもらえるというのは、そしてそのアルバムに『覇道明王』というタイトルが付いたというのは、すごく誇らしいなと思いました。
──確かにそういう目も少なからずあるかもしれないですが、それでもひとつの道を20年近く進むということ自体が王道にもなると僕は思っていて。そこがすべてですよね。
黒猫:そうですよね、私もそう思います。
瞬火:陰陽座の主観としては、自分たちが王道と思える道しか歩んできていないし、自分の中の陰陽座界ではまさに王道を歩んでいるという自覚があるからこそ、それがはたから見て「何か違うよね?」となるのであれば、その違うという評価はそのまま甘んじて受けようと。その「違うよね」に対して「いや、そんなことないよ」とおもねったら、自分たちはそこから道を逸れるということですから。この道を逸れることができない以上、僕たちの思うこの王道は、世間では覇道と呼ぶらしいと。それで十分であるということです。
──実際、そういう声をねじ伏せるぐらいパワーのあるアルバムですし。まずオープニングの「覇王」でノックアウトされましたが、このノリや質感はヘヴィメタルの中でもかなりモダンなテイストですよね。
瞬火:そうですね。古き良きメタルというよりは、わりとモダンな要素だと思います。僕はクラシックなヘヴィメタルが主食の人間ですけども、伝統的なことをわかっていると自負するからこそ、モダンなメタルを自分で咀嚼して消化したいというところもあるので、しっかりと一歩踏もうとしているバンドの姿を示すためにこういう勢いが欲しかったんです。
──特に今回は「覇王」や「隷」から漂うモダンなテイストが、しなやかさや優雅さ、艶やかさが印象に残る前作とは明らかに異なります。
瞬火:前作でもすでに導入していたものですけど、7弦ギターや5弦ベースといったLOW Bを使った楽器を10曲中4曲で使っていますし、艶やかさや歌のメロディというところはしっかり残しつつも、一聴してガツンとくるヘヴィさを強調できたと思います。
──さらに、前作は楽曲的にもいろんなタイプの楽曲が含まれていましたが、今回は統一感を増すことを選んでいます。
瞬火:例えばギターがある一定以上歪んでいてザクザク刻んでさえいればヘヴィメタル、ドラムがツーバスを踏んでいればヘヴィメタル、ボーカルがハイトーンで叫べばヘヴィメタルという表面的なファクターよりは、信念や精神論的なことになりますけども、もうちょっと内面的なところでヘヴィメタルと呼ぶかどうかを位置付けているところがバンドとしてはあります。例えばものすごく静かで美しい曲もヘヴィメタルの中にはありますし、振り幅がどれだけ広がっても信念さえ持っていればヘヴィメタルと宣言できるという意味では、この世のどのジャンルより何をやってもよい、無限の可能性を持ったジャンルがヘヴィメタルだというのが僕の信念。陰陽座ではとにかくそこを証明しようと、綺麗な曲、キャッチーな曲、なんだったらポップな明るい曲だとしても「これはヘヴィメタルだ」と叩きつけようとやってきたし、その集大成が『迦陵頻伽』だったわけなんですけども、じゃあ陰陽座はただ音楽性が広いということだけでメタルだと言い張るバンドなのかというと、それも違う。きっちりと根っこのところに「男は黙ってザクザクとリフを刻め!」という信念があってこその話であり、その核を凝縮したものをここで出そうとしたんです。
──黒猫さんは陰陽座の楽曲と、どういう意識で向き合っているんでしょうか?
黒猫:陰陽座の楽曲というのは、物語を描いていたりすごく強い意志を込めていたり、曲ごとにさまざまな表情があります。もちろん私もヘヴィメタルという音楽はすごく大好きですし、メタルを歌うという意識もあるんですけども、それを超えたところで曲そのものをなんとか表現したいとずっと思っています。先ほど自分のことを覇道のボーカリストだと言いましたが、私がデビューした頃はメタルボーカリストはとにかくパワフルで、ともすればハスキーな声でないと駄目というイメージがあったと思うんですけど、私のようなクリアな声で多様な歌い方をするのはヘヴィメタルの王道というものからは外れたものという見方があったと思うんですね。それをずっと、自分なりに「陰陽座の楽曲はこれだけ幅広いんだから、歌でも幅広く表現したいんだ」と続けてきての今がある。瞬火がこの声だからこの曲を歌わせようと思ったのか、こういう曲ができたからこう歌ってほしいと思ったのか、どちらが先かというのはわからないんですけど、どちらもが切磋琢磨してこの形があるはずなので、ジャンル云々こだわらず、魂を込めて歌ってこられたことが、自分にとってもすごく勉強になったと思います。
──実際、今回のアルバムでも単に歌い上げるだけではなく、「以津真天」みたいに和の要素を取り入れた節回しであったり、ほかのヘヴィメタルバンドと比べて明らかに違う面を見せようとする姿勢が、至るところから感じられます。
黒猫:それが今となっては「陰陽座らしい」と言われるエッセンスの一つになっていると、自分でも自覚していますし、ある意味誇らしくて。こういうメタリックなアルバムでもそういった色付けができて、それもメタルの形であると正々堂々言えるような楽曲がたくさん揃ったのは、本当にここまで続けてきたからだなと思っています。
──また、歌詞も言葉遣いが陰陽座らしい独特なもので、その中でしっかり韻を踏んでいたりと、聴いていてすごく気持ち良いんです。作詞をする上での言葉のチョイスや組み立て方においても、いろいろ意識していることがあるのかなと思いますが?
瞬火:僕の知る限りで歌詞というのは、何か伝えたいこと、表現したいことがあり、それを音数の制約の中で言葉として連ねていくものだと思いますが、僕の場合、歌詞というのは「詩」ではなくてあくまで「歌詞」なので、楽曲に乗せて歌うということが大前提だし、「詩」であることを先行したら「歌詞」としてはダメだと思っていて。なので、作詞は絶対に作曲の後なんですね。
──歌詞を先に書いて曲を付けるのではなくて、曲を書いて言葉を乗せていくと。
瞬火:はい。そこにおいても、例えばちょっと古めかしい言葉や難しい漢字を使っていれば、なんとなく雰囲気で押せると思って書いたことは一度もなくて。その曲で言うべきことが決まっていて、それに対してメロディがすでにできていて音数も決まっている。それも音数が7音だから7文字できっちり収まっていればそれでいいのではなくて、この旋律だからこの高い音のこの部分では、どうしても母音を「あ」にしたいとか、ものすごくこだわってやっています。良い音ばかり優先して言葉を編んでいくと、ともすれば意味を失っていく場合があり、雰囲気ものになってしまいますが、自分がこの曲で歌いたいと思っていることを、意味をきっちりと保持した上で、このような音の旋律にするというところでは、かなりパズルのようなことをくぐり抜けて歌詞を書いているんですね。なので、古めかしい言葉だと一聴して意味がわからないということも起こり得ますけども、良い音の歌になっていればそれは良い歌になると思っているんです。
──特に陰陽座の場合、1曲1曲の物語がはっきりしているぶん、そこで使える表現や言葉の幅はどうしても狭まってきますよね。
瞬火:そうですね。なんとなく浮かんだ、漠然としたフレーズをつなげていって歌詞にする、それも表現の一つとしてアリだと思いますし、その中にはすごく良い歌だってあると思います。でも僕たちの場合、特に僕は曲を作るときに最初に決めるのが曲名なので。曲を作ってから名前を付けるんじゃなくて、名前を先に決めてから曲を作って、そこに歌詞を付けていくので、何についての歌かというのも作曲のときから決まっているし、歌詞を書くときには題材も決まっているので、そういう意味では自由度の低い歌詞の作り方をしているとは思いますが、だからこそ高い精度でテーマを歌詞にできると思っています。
黒猫:瞬火の書く歌詞は非常に機能的で、こんなに難しい言葉がたくさん並んでいるのに、非常に歌いやすいというのがひとつ大きな手助けになっています。それがあった上で言葉の意味を理解して、私は表情をとにかく大事にしているんです。それはレコーディングであろうがライブであろうが、例えば怒りの曲なら鬼の形相になってその声を発するし、楽しい曲なら満面の笑みで歌う。そういうことを、いついかなるときもやっています。
──一聴して歌詞の内容をすべて理解することは難しいかもしれないですけど、その響きの気持ち良さは格別なんですよね。そこが陰陽座の楽曲の素晴らしいところで、だから初めて聴いてもスッと入っていける。それは言葉のチョイスや響き、それを歌う黒猫さんの歌声、そしてバンドサウンドとのバランスが絶妙だからこそだと思うんです。
瞬火:普段、あまりその部分を掘り下げて評されることがないので、今こんな冷静な感じですけど、ものすごく喜んでいます(笑)。
黒猫:ふふふふ(笑)。
瞬火:でも、それはやっぱり僕がこだわって作った音や言葉を、黒猫がしっかりとした、的確な発声と表現で歌にしてくれるからちゃんと届くのであって。黒猫がこの歌詞を台無しにするような歌を歌うはずがないという全幅の信頼を置いているからこそ、自分の理想のままに歌詞を書けているというのはあります。
◆インタビュー(2)へ