鋤田正義、故郷開催の写真展に浮かび上がる“自身の半生とロック写真”
デヴィッド・ボウイの歴史的名盤『ヒーローズ』。マーク・ボラン(T-REX)のパブリック・イメージを決定付けたアーティスト写真。そして、1980年代初頭にテクノポップ・ブームを巻き起こしたYMOの大ヒット作『SOLID STATE SURVIVOR』。この3つに共通するキーワードは、“写真家・鋤田正義”だ。
◆『鋤田正義写真展 IN NOGATA 2018「ただいま。」』画像
1938年に福岡県直方市で生まれ、70年代以降、ワールドワイドな活動を展開してきた鋤田氏の写真展『鋤田正義写真展 IN NOGATA 2018「ただいま。」』が4月3日より、生まれ故郷である直方谷尾美術館で開催されている。今回、同写真展を主催する“鋤田正義おかえり実行委員会”事務局・伊佐高吉氏と中倉陽氏に、鋤田作品の魅力や、写真展を地元“筑豊”で開催する意義、それに対する想いを語ってもらった。
▲「まるで発掘をしているかのようだった」という、展示準備作業中のひとこま。右から2人目が、“鋤田正義おかえり実行委員会” 代表の河野一太氏。
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「鋤田さんの写真と言えば、一般的には、デヴィッド・ボウイやマーク・ボランが有名ですが、ロックを知らないご年配の方であれば「アイ・ジョージさんを撮った人」と紹介できるし、若い世代には、MIYAVIさんや木村カエラさん、芸能人だと広瀬すずさんの名前を挙げれば「へぇ!」と驚いてくれる。だから、あらゆる年代の方に紹介しやすいんです。そういう意味でも、本当に現役の方。実際に話をしていても、年齢を感じさせない。
僕は1960年代生まれで、十代の頃は今のようにネットなんてありませんから、僕らはレコード屋さんの詳しい店員さんや常連さんなど、年上の先輩たちに音楽を教えてもらいました。いま鋤田さんと話していると、そうした感覚が蘇ってくるんですよ。「ウッドストックの次の年、1970年にジミ・ヘンドリックスのライブを撮った時は……」なんて話を実家の座敷で直接聞けるなんて、すごく贅沢な、恐れ多い話ですよね。そもそも僕の周りで、ジミヘンのライブを観たなんて人、一人もいませんから(笑)。僕は鋤田さんと年齢が25歳も離れていますが、そういう音楽話になると一気に年齢差が縮まって、中学生のロック少年が、高校生のお兄さんに「デヴィッド・ボウイはなあ……」って、教えてもらっているような、そんな不思議な気持になるんです」──伊佐高吉
「高校時代、僕はYMOやP-MODEL、プラスチックスが好きで、初めて80's FACTORY(1970年代後半に福岡市中央区にオープンしたライブハウス)で見たロック系ライブは、ヒカシューでした。だけど、YMO『増殖』のジャケットも鋤田さんの撮影だったって、実は知らなかったんです。写真展の準備をしている時も、鋤田さんの資料から自分の好きなバンドの写真を見つけて、「これも鋤田さんだったのか!」の連続で。他の実行委員のメンバーも同様で、まるで発掘をしているかのように、作品の梱包を開ける度に作業の手が止まってしまったそうです(笑)。
偶然か必然かは分かりませんが、デヴィッド・ボウイにしても、YMO、シーナ&ロケッツにしても、ミュージシャンがイメージを大きく変えようとする転換点に、必ずと言っていいほど鋤田さんが写真を撮っているように感じるんです。鋤田さんが、結果を呼び寄せているんじゃないかとさえ思います。筑豊の人たちって、そんな世界的に有名な人が地元から生まれているっていう感覚を持っていないんですね。だからこの写真展で、鋤田さんのことを、もっと地元が誇ってもらいたいと思っています」──中倉陽
“鋤田正義おかえり実行委員会”は、2017年7月、写真展の実現に向け、地元有志によって立ち上げられた。その代表を務める河野一太氏と鋤田氏の付き合いは、河野氏の親の代にまでさかのぼる。
「代表は直方市で写真館を営んでいるんですが、先代(河野氏の父親)と鋤田さんのお兄さんが同級生だったんです。しかも同じ町内ということもあって、代表が小さい頃から、鋤田さんはよく自宅の写真館に遊びにきていたそうなんですよ。そして、物心ついた頃に、自宅の暗室でデヴィッド・ボウイ『ヒーローズ』のレコードを見つけるわけです。自分で買った物でもないし、「なぜこれが家に?」と思っていたらしいのですが、かつて鋤田さんが先代に、「僕が撮りました」と持ってきた物だと知ったらしくて。ちょうど代表が、ロックに目覚め、そして写真にも興味を持ち始めた頃で、「えっ、いつも遊びに来よったおいちゃんが、これを!?」と、かなり驚いたそうなんです。
そうした関係性もあって、鋤田さんが地元に帰って来られた際に、代表が散歩に誘われたそうなんですよ。「直方谷尾美術館に行ってみようか」って。その時に、鋤田さんが「生まれ故郷で写真展をやりたい」とおっしゃったことが、写真展開催の大きなきっかけとなりました。僕が代表からその話を聞いたのが数年前。まだ、シーナ(シーナ&ロケッツ)さんも、デヴィッド・ボウイも生きていたころだったと思います」──伊佐高吉
「その頃って、鋤田さんが撮影したデヴィッド・ボウイの写真展がロンドンで開催されたり、東京でも鋤田さんの大きな写真展がありましたけど、ひょっとしたらご自身の中で、「まだ故郷で写真展が開けていない」という想いがあったのかもしれません。代表を誘って直方谷尾美術館に行ったのも、もしかしたら会場の下見も兼ねて、という気持ちが少しあったのかもしれませんね」──中倉陽
▲展示準備作業中のひとこま。写真の展示作業もすべて実行委員会の手により行われた。
会場に選ばれた直方谷尾美術館は、元々は昭和初期に建てられた洋館造りの病院で、現在は内部が改装され、美術館として運用されている。今回の写真展が、もし東京で開催されるものであったら、おそらく要求される内容も変わってきたであろうし、もっと現代的な雰囲気で行われていたかもしれない。しかし、同美術館のレトロでモダンな雰囲気は、鋤田氏が故郷の寄せる想いを増幅する、地元開催だからこその、最高のシチュエーションだ。
「そもそも、今回の写真展で展示する作品自体が、会場の雰囲気にとても合っていると思っていて。“故郷”での開催ですから、海外や東京での写真展とは違って、ご自身も好きな作品を出せるし、故郷だからこそ受け入れられるであろう、地元・筑豊の写真もたくさん展示していて。たとえば、ボタ山をバックに遊ぶ子供たちの写真だとかもあるんですよ」──伊佐高吉
「あの写真は、本当に素晴らしくて。私も筑豊の炭鉱町で育ちましたから、炭鉱の風景には想い入れが強くて、鋤田さんの作品の魂に炭鉱があることを知って、とても感動しました」──中倉陽
「会場には、鋤田さんが母親に買ってもらったというリコーフレックスの実機も展示していますし、そのカメラで撮影した、鋤田さんの最初の作品でもある母親のポートレートもご覧いただけます」──伊佐高吉
「だからと言って、決してロック部門を縮小しているわけではありません。我々もこだわって作品を選んで、「これを出したい」と鋤田さんにお願いして、今回、初めて出展される作品もありますよ」──中倉陽
「ですから、音楽には詳しくないという地元の方が見ても楽しんでいただけるでしょうし、デヴィッド・ボウイなどロック写真が目当てで、日本全国各地、さらには海外から来ていただいた方にも満足していただける、全方位型の展示内容になっています」──伊佐高吉
「とにかく、濃いんです(笑)。実行委員会のメンバーも、レイアウト担当者はデヴィッド・ボウイの熱狂的なファンで、もちろんその目線で展示をしていますし、代表はプロの写真家目線、伊佐さんと僕の2人は、完全にロックファン目線で、作品を選んでいます」──中倉陽
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中倉氏が「濃い」と表現するように、同氏は、北九州で毎年開催されている<高塔山ロックフェス>の制作に10年以上関わっており、一方の伊佐氏も、直方市教育委員会と共に、子供を対象とした音楽アカデミー『ユメミルコドモネアカデミー』をプロデュースするなど、数多くの音楽事業を展開。つまり両氏ともに、その道のプロフェッショナルであり、そうした実行委員会メンバーがこだわり抜いてセレクトした鋤田作品目白押しの展示となっている。だからこそ、「会場で流す音楽も、安易に被写体アーティストのアルバムをそのまま流したり、アンビエント音楽をかけるのは絶対に嫌だった」と伊佐氏は続けた。
「そこで、東京から故郷福岡に拠点を移して音楽事業を行っている堤秀樹(音楽プロデューサー)さんに、写真展オリジナルの楽曲を制作してもらったんです。その楽曲の中には、地元の人々が長く親しんでいる「日若踊り」のメロディをモチーフにした曲もあって。先ほど紹介した鋤田さんの最初の作品って、まさに母親が日若踊りに出かける時に撮影したポートレートなんです。そこで、4月3日のオープニングイベントでは、地元古町北区の日若踊りも披露しました。
こうやって、単に写真を展示するだけでなく、本当の意味で写真と音楽を融合させられたことは、僕にとっても非常に大きかった。東京や福岡で開催される写真展に負けたくないっていう次元を超えて、他とは違う、この写真展でしかできないことをやりたかったんです。事実、商業ベースで考えたら、オリジナルの曲を作るとか絶対にできませんから(笑)。地元有志の“実行委員会”って言うと、町の青年団の寄せ集めのように思われるかもしれませんが、こうやって各人が明確な役割を持って、それぞれが各分野に精通した人間の集まりで、今回、そうしたピースがきっちりとハマった形で実現できた写真展だと思っています」──伊佐高吉
▲展示準備作業中のひとこま。世界的に有名なデヴィッド・ボウイ(左)の写真と、鋤田氏が撮った地元・筑豊の懐かしい風景が並んで展示されている。
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そしてもうひとつ、この写真展の見逃せないポイントは、一般400円、高校・大学生200円で、中学生以下は無料(毎週土曜日は高校生も無料)という破格の価格設定だ。この点についても、鋤田氏の「地元の若者に見にきて欲しい」という、強い想いを反映した結果だと言う。つまりこの写真展は、営利目的ではなく、「生まれ故郷で写真展をしたい」という鋤田氏の純粋な想い、そして、同氏の成功体験をモデルケースに、地元の若者に“夢の実現”を身近に感じてもらいたいという、地域の強い意思によって企画されたものなのだ。
「僕らはそれを、単に「地方都市で、地元出身の写真家が個展をやった」という話で終わらせたくないんです。そうではなく、ロックのみならず、いろんな作品を撮ってきた世界的な写真家・鋤田さんの“人生”を見てもらいたい。だから内容も、若者が来てくれたら若者なりの、ロックファンならロックファンなりの、そして地元の方には地元の人なりの“何か”を感じ取ってもらえるものを目指しました。さらに個人的には、デヴィッド・ボウイやシーナ&ロケッツを目当てに来た人に、「鋤田さんってボタ山の写真も撮っていたのか」と知って欲しいし、一方で、懐かしい筑豊の風景を見に来た地元の人には、「ロックっていうのもカッコいいね」と、目的とは違った感動を持って帰ってもらえたら、実行委員会としては大成功だと思っています」──中倉陽
「そうやって、“予想していなかったもの”に目覚めて欲しいし、それが鋤田さんの言う、「若い人に夢を持って欲しい」ということにつながると嬉しいですね。そもそも、鋤田さん自身がそういう人だと思うんですよ。決まったレールの上を進むのではなく、たとえ無謀であっても“撮りたい”と思うものに飛び込んで撮影してきたわけで」──伊佐高吉
「僕も筑豊育ちだから、分かるんですよ。子供の頃に炭鉱が閉山して、どんどん人が減り、「ここを出ないとどうにもならない」って、当時はそう思っていました。そうした閉塞感は、今も残っているかもしれないけど、でも頑張れば、筑豊からでも世界に羽ばたいていけるんだっていう、鋤田さんの存在自体が、若い世代の“夢”になるんじゃないかって思うんです。だからこそ、この写真展が終了したら「はい、終わり」にはしたくない。地元の今後につなげていきたいですね」──中倉陽
「有志で企画したイベントって、だいたい単発で終わりがちじゃないですか。でも、それって嫌なんですよ。だからこの写真展が終わっても、たとえば、また定期的に行うとか、どこかに作品の一部を常設するとか、何かしらやっていきたいですね。もちろん、まだ具体的には何も考えていませんが、でもきっと、何かいいアイデアを思い付くと思います(笑)」──伊佐高吉
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これまでに開催されてきた鋤田氏の写真展では、音楽関係の作品を中心とした展示が多く、“鋤田正義=ロック写真家”というイメージを持つ人が多いだろう。しかし、いま開催されている、鋤田氏の念願とも言える生まれ故郷での写真展では、単なる写真展の枠を超え、鋤田氏の半生を顧みる“人間・鋤田正義展”と呼ぶにふさわしい内容となっている。
鋤田氏に「おかえり」と言えるのは地元の人たちだけであり、鋤田氏が「ただいま」と言えるのもまた、生まれ故郷に対してだけである。だからこそ、これまでは展示作品が見る者に、会場がロンドンであれば英語で、東京ならば標準語で物語を語りかけてきていたとするならば、今回、鋤田氏の写真は、地元言葉である“筑豊弁”で、静かにゆっくりと、そして人間味をもって語りかけてくれているように感じてしまう。そしてそれは、決して気のせいではないだろう。
4月3日に始まった同写真展は、大盛況のうちに終わった4月29日の『鋤田正義×鮎川誠 SPECIAL TALK』を折り返し地点とし、一部の展示内容を入れ替えて、5月20日まで開催される。まだ訪れていない人は、ぜひとも直方に足を運んで欲しいし、既に観覧した人も、5月以降、また新しい作品に出会えるはずだ。そして、鋤田氏の生まれ故郷と世界がつながっていることを、ぜひ実感して欲しい。
取材・文◎布施雄一郎
■『鋤田正義写真展 IN NOGATA 2018「ただいま。」』
●開催期間:2018年4月3日(火)~5月20日(日)
●会場:直方谷尾美術館
〒822-0017 福岡県直方市殿町10-35 TEL.0949-22-0038
●開館時間:9:30~17:30(入館は17:00まで)
※休館日:毎週月曜日
▼チケット
一般 400円(240円)
高校・大学生 200円(120円)
中学生以下 無料
※毎週土曜日は高校生無料
※美術館常設展入館料が含まれます
※( )は20名以上の団体料金
※障がい者手帳をお持ちの方は無料
▼鋤田正義
1938年福岡生まれ、写真家。広告カメラマンを経て、60年代からミュージシャンを中心としたアーティストの写真を撮り始める。1970年代以降はフリーランスとして活動し、海外と国内を行き来しながらT-REXやデヴィッド・ボウイ、YMOなど世代を代表するミュージシャンを撮影。CDジャケットや音楽誌の表紙に多くの写真が起用された。1980年代以降は写真だけでなく、TVコマーシャルや映像作品も手がけ、ボーダーレスな写真家として現在まで第一線で活躍している。