【インタビュー】“神様、僕は気づいてしまった”が1stミニALで形にしたバンドのコンセプトとは? そして東野へいとが抱く“生きづらさ”

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■ 決して正体を隠したいわけではないです

▲1stミニアルバム『神様、僕は気づいてしまった』通常盤

── 神僕というバンドは、ざっくり言うと売れること、ヒットすること、世の中に影響を及ぼす力を大きくしていくことに関しての意欲はあると思うんです。そのへんはどのように捉えていますか?

東野:わりと僕も大人になってきたので、売れるか売れないかは、スタッフの力にかかってるということがわかってきて。ただ、僕たちがやらなければいけないことは、スタッフがそういうシチュエーションを用意してくれた時に、そこでバーンと広がる曲を書かなきゃいけないということ。そういう使命は感じてますね。それに、あの時の生きづらさがなかったことにされるのは勘弁してほしい。スタッフがそういう舞台を用意してくれるからには、その期待に応えるような曲を用意しなきゃだめだと思いますし、ハングリー精神みたいなものはありますね。

── もし、思春期ど真ん中の自分が今神僕に出会ってたとしたら、どういう受け取り方をすると思いますか?

東野:うーん、自分がやってる以上客観視は難しいですけど。でも、やっぱりそういう規律化された社会の中で、反逆する軍隊みたいなものが出てきたような感じで聴くような気がします。そういう軍隊の軍歌が流れて、それが聴こえたから自分もそっちの兵列に加わるみたいなイメージですね。「俺も入れてくれ!」って。

── 先ほどは「救いたいとか、傷のなめ合いじゃないけど」と仰っていましたけれど、もっと戦闘的な感覚なんですね。

東野:共犯者になるという感覚が近いかもしれないですね。

── 神僕は全員顔を明かさない形で活動してるわけですが、その意図はどこにあるでしょうか。

東野:顔を隠しているのは、表情が見えないようにするためなんです。僕たちが一番狙いたいのは、演奏している時に人間の表情を乗せないことなんです。表情を乗せることで音楽がいい方向に働くこともあると思うんです。エモい歌をエモい表情で歌ったら痺れるし。その一方で顔が見える以上は、その顔の情報がデメリットになることもある。顔が見える時点で歌が他人事になってしまうこともある。アーティストが顔を見せて歌う以上はその人の歌になってしまうので。でも顔が見えなくて覆面をかぶっていたら、それを外したら自分かもしれないと感じるかもしれない。そういう部分を狙いたいんです。そこにノイズを乗せたくないので覆面をしてるんです。よく勘違いされますけど、決して正体を隠したいわけではないです。

── 今年の夏には<SUMMER SONIC>で初ライブが決まっています。正直意外でもあったんですが、どういう意気込みがありますか。

東野:コンセプチュアルなバンドである以上、このバンドでライヴをする事の意味を徹底的に追い続けていきたいと思ってます。そういうための必要なアクションになっていくだろうし、頑張りたいですね。

取材・文=柴 那典

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1st Mini Album『神様、僕は気づいてしまった』

2017.07.26(Wed)Release
■初回限定盤(CD+DVD) ¥2,500(tax out)
■通常盤(CD) ¥2,000(tax out)

CD
1.わたしの命を抉ってみせて
2.宣戦布告
3.CQCQ(TBS系 火曜ドラマ「あなたのことはそれほど」主題歌)
4.僕の手に触れるな(TVアニメ「ちるらん にぶんの壱」主題歌)
5.天罰有れかしと願う
6.大人になってゆくんだね
7.だから僕は不幸に縋っていました(SQUARE ENIX「スターオーシャン:アナムネシス」主題歌)

DVD
1.だから僕は不幸に縋っていました MV
2.Making of だから僕は不幸に縋っていました
3.僕の手に触れるな MV
4.Making of 僕の手に触れるな

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