【特別対談】中村あゆみ×プロレスラー・鈴木みのる「ベスト盤に収録される曲は、彼のほうが詳しいんじゃない?」

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■ 私ひとりではできないだろうと思ってた場所に、みのる君が連れていってくれた

── 「風になれ」という曲には、いろんな背景があって。必ずしも、幸せなシーンだけに流れていた曲ではないという。

鈴木:初めてチャンピオンになった時(1995年)に、作ってもらったんです。初防衛戦で使って、お披露目したんですよ。でもそこで負けて、連敗が続くわけです。引退寸前まで行くわけですよ。で、あゆみさんに“私の歌が悪いんだ”と。“もうあの歌やめよう。違う歌あげるから”って言われて、本当に情けなかった。

中村:そこでまた“もし俺がヒーローだったら”が出てきちゃう。悲しみを近づけやしないのに、だよね。

鈴木:だから延々と使い続けた。それでも“もうダメだ”という時期があって、その時はギブアップしました。もうこの歌を使えないって。その時にあゆみさんに話をして、まったく違うバラードの曲を作ってもらったんですよ。で、本当にこれが最後だと思った試合があって…誰にも言ってないけど、これで俺は終わるんだろうなと思った試合の時に、「風になれ」を使ったら、生き返っちゃったんですね。2002年だから、14年前。そこから、あれよあれよという間に。

中村:やっぱり、苦しい時代がなくて、いい時代はいきなり来ないですよね。苦しい時代があるからこそ、いい時代になった時にそれを大事にしようとする。私は逆に、デビューして8か月で売れたから、下積みがほとんどないんです。だからやっぱり、大事にできないことが多かったんですね。それで失ったものもたくさんあった。最後には、音楽業界のある方に、おとしいれるつもりはなかったんだろうけど、利用されてしまったことがあって。もう歌の世界はいいかなと思って、一度マイクを置いた。でも結局、シングル・マザーになって戻ってきてからも、やっぱりこの仕事しかなかったんですね。この『A BEST~Rolling 50~』というアルバムは、50代を迎えて、最初にマイクを下ろした時からの、To Be Continuedですよというメッセージが入ってるんです。50歳という記念で、半世紀の足跡という意味合いも込めて。

鈴木:あゆみさん、50歳?

中村:そうよ。だからRolling 50。みのる君、いくつよ。

鈴木:48。……っていうことは、そりゃそうだ(笑)。そりゃそうなんだけど、俺はいつまでも15歳の気持ちでいるから、俺の中のあゆみさんは、ずーっと18、19歳のまま。ポニーテールで、バイクの後ろに乗ってる感じですよ。

中村:私にとってのみのる君も、あの頃のままだから。最初はすごいシャイな人で、目を合わせずに“おっす”みたいな感じだったよね。“鈴木みのる君っていうのね。はじめまして。頑張ってね”というところから始まってるんだけど。

鈴木:まだ20代ですよ。

中村:でも私が途中で音楽をやめて、戻ってきた頃には、どんどん大きくなっていた。“こんな大きなところで、メイン・イベントで出れるようになってるんだ”って。それで、“東京ドームで生で歌ってくれませんか?”って、ひとりではできないだろうと思ってた場所に連れていってくれたりもした。

鈴木:あゆみさんが東京ドームに来てくれた時、99%のお客さんが「風になれ」を知ってるんですよ。大合唱してくれた。

中村:「翼の折れたエンジェル」とは、別のヒット曲ね。

鈴木:方向が別なんですよ。プロレスファンという限定された世界だけど、みんな知ってる。

中村:「風になれ」は、どうやったら鈴木みのるがかっこよく見えるか、それだけを考えて作った曲。猪木さんみたいな、延々とリフが続くような曲も有りだと思ったけど、ほかの人と差をつけたかったの。オンリーワンにしたかった。そうすると、このぐらい癖のある曲じゃないと、オンリーワンになっていかないのね。時代と共に風化しちゃう。

鈴木:最近お客さんから、“これは悪者の歌じゃない。ヒーローの歌だ”って言われます。うるせえなって言ってやりますけどね(笑)。

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