【インタビュー】長澤知之、『GIFT』完成「世界の見え方が変わる音楽にしたかった」

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■僕にとって曲を書くって
■デトックスなんですよ

──長澤さんが言うハプニングが加わった曲を挙げると?

長澤:2曲目の「舌」。スルドっていうブラジルのカーニバルで、抱えてトントコトントコ鳴らす打楽器を使ってもらったんですよ。キック(バスドラム)をドンドンドンと鳴らすのと似ているんですけど、スルドって長い筒状の打楽器だからやっぱり音の響きが違う。キックでやったりもしたんですけど、断然スルドの音のほうが良かったんです。

──「舌」のダンダンダンって、あの踊れるビートは何を鳴らしているんだろうって聴きながら不思議だったんですよ。ドラムのキック? いやキックじゃないし、でもフロアタムでもない、何なんだろうと思ったら、そういうことだったんですね。

長澤:そう。そういうことだったんです(笑)。ヒロ君はパーカッションフリークで、民族楽器がすごく好きなんですよ。だから、「あれもこれも」ってまるで、おもちゃ箱から持ってくるようにいろいろなパーカッションを持ってきてくれたので、いろいろ入れて遊んでみました。最後に入っている「無題」はカホンを叩きながら、足につけた鈴を鳴らしてましたね。だから今回の作品、リズムのアプローチは意外に多彩なんですよ。

──今回の『GIFT』はアコースティックな作品ではあるんですけど、いわゆるアンプラグドとか弾き語りとかとは違って、実は実験的な作品ではないかと思うんですよ。パーカッションをいろいろ試したっていうのもそうだと思うんですけど、実験的と言う意味では、人間の声がいっぱい入っているところもそうなんじゃないかと。長澤さんはこれまでもコーラスワークを追求してきましたが、今回は、その延長上で楽器に頼らずに人間の声で厚みや奥行きを曲に加えることがテーマの一つとしてあったんじゃないかと聴きながら想像しました。

長澤:声も楽器だと思っているんですよ。一番身近で、しかも言葉もできる。だから歌が好きなんですけど、楽器の場合、誰かから借りたほうがその曲にふさわしいってことがあるじゃないですか。それと同じようにコーラスを入れる時も自分の声だけだったら、わかりきったものになるから誰かに入れてもらったほうがいい時もある。たとえば、リズムギターをエピフォンで録って、リードギターもエピフォンで録ったら同じ音域になっちゃうからつまらない。それと同じように声も違う人に入れてもらったほうが厚みも増して、豊かになるから、今回声もそうやっていろいろ使ってますけど、特にテーマとしてあったわけではなく、僕としてはこれまでもずっとやってきたって感じなんです。

──楽器を変えるように声も変えたほうがいいという意味では、「風鈴の音色」という曲は村上紗由里さんがリードヴォーカルを取っています。シンガーソングライターの作品にもかかわらず、他のシンガーがリードヴォーカルを取っているってけっこう衝撃でした。

長澤:悪い衝撃でした?

──いや、そんなことはないです。

長澤:じゃあ、良かった(笑)。

──そこも実験的な作品だと思った理由の一つではあったんですけど。

長澤:一番はじめに自分の歌をガチャッて録って、自分の声を聴いたとき、うわっていうのはあったんだけど、10年以上やっていたらそれに慣れちゃって、今はもう自分の声がどんなふうに聴こえるか想像できるし。しかも、歳を重ねていったら段々自分の声も変わってきて、「風鈴の音色」って古い曲なんですけど、作った時は10代だったからきれいに伸びやかに歌えたんです。でもこの歳になると、高いキーを歌うときにけっこう気張らないと、声が出ない。それがこの曲の場合、不自然に聴こえる。もっと伸びやかに、がんばって歌っているみたいにではなく聴こえてほしいんです。かつては、そういうふうに歌えたのに、今は歌えない。じゃあ、少年のように歌ってくれる人に歌ってもらったらいいと思った時、村上さんのCDをたまたま聴いて、彼女に歌ってほしいと思ったんです。もちろん歌うのは好きなんですけど、自分が歌いたいからって曲の魅力を殺してしまったらもったいない。そこは音楽を一番に考えて今回は歌ってもらいました。

──「風鈴の音色」は、どうしても『GIFT』に入れたかったということですよね?

長澤:うん。ちょうどいいタイミングなんじゃないかと思いました。

──この曲に、どんな思い入れがあるんですか?

長澤:子供の頃、家族旅行で沖縄に行った時にひめゆりの塔を見たんですよ。そこにはきれいな青空と海というとても豊かな自然があって、かつて戦地になったことが信じられないくらい優しい世界が広がっていて……。小学生の時、ひめゆりの塔を題材にした映画を見たことがあったから、よけいにそう思ったのかもしれない。日本の戦争時代を生きてきた人達が、それは特攻隊もそうですけど、自分の思いとは別に戦争に巻き込まれていったという状況に置かれながら故郷の母親を思った気持ちを想像して、それを弔うと言ったらおこがましいかもしれないけど、そういう曲を書きたかったんですよ。そういう曲だから、僕が気張って歌うよりも、小学生が校歌を歌うように無垢な気持ちで村上さんに歌ってほしいと思いました。彼女の持ち味はいろいろあるんですけど、それよりも今回は彼女の声質がほしかったから、ヴィブラートは極力抑えてもらって、聖歌隊の子供たちが讃美歌を楽しそうに歌っているように歌ってほしいという話をして、そういうふうに歌ってもらったんです。

──昔からある「君だけだ Acoustic Ver.」はファン待望の音源化ですね?

長澤:小難しいことばかりじゃなくて、ちゃんとどストレートに丸裸で愛を歌えるものも欲しかったから入れました。そういうふうに思うのは、これは今回の作品全体に言えることなんですけど、人それぞれに生きていて、それぞれが自分であることが愛しくて素敵だと思うから、それを讃えるものを作りたかったからなんです。だから、愛を歌いたかった。それにはこの曲が必要だと思いました。

──「舌」の、挨拶するいろいろな人の声が入っているところがおもしろかったのですが、あれはどういう効果を狙っているんですか?

長澤:家族の一日の風景を描きたかったんです。なぜ家族の風景なのかは、すごく個人的な歌だから敢えて説明はしないですけど、僕が書く歌詞には伝わってほしいものと、伝わらなくてもいいと思う部分があるものがあって、伝わってほしいものも聴き手の想像力を狭めてしまうから説明はしないですけど、「舌」は全て伝わらなくてもいいタイプのものです。

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