【インタビュー】浜田麻里「ハード・ロック・アルバムって自分で思えるものを作りたいなって」

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■ちゃんとハード・ロック・アルバムって自分で思えるものを作りたいなって
■幼い頃から歌うことが当たり前と思ってきた

――さて、その『LOUD PARK』のときには制作が着々と進行していたのが、今回の『Mission』というアルバムですね。具体的にはいつ頃から準備に取り掛かったのでしょう? 曲作りは常に行っているとも言えるかもしれませんが。

浜田:ちょうど1年強前という感じですね。そのぐらいから、自分のストックを「次作のため」という意識をしながら溜め始めて、確か周りのミュージシャンたちに(曲を)発注したのは、今年(2015年)の頭ぐらいだったと思います。もしかしたら、その前から声をかけていた人もいるかもしれないですけど。レコーディングが始まったのは4月からで、まずはアメリカで現地のミュージシャンのパートを録って。それまではプリプロを詰めて、詰めてやってましたね。

――“Mission”というタイトルが、制作を始める段階ですでに浮かんでいたのではないかと思える、力強い内容でもありますよね。

浜田:でも、最初からあったわけではなくて、途中でいくつか候補が出てきたんですね。それが音が仕上がってくる中で、だんだん決まってきたというか。

――なぜ、この言葉を選んだのでしょう? 歌詞を読み込んでみると、意味合いが伝わってくるものではありますが。

浜田:聴く方によって捉え方は全然違うと思いますけど、もう一回、ヘヴィ・ロックというものをしっかりやってみたいなという気持ちも当初はあったんです。結果的には、もう少しヴァラエティに富んだ形にはなりましたけど。というのは、やっぱり、ヘヴィ・メタルの何とかって形でデビューして、その初期にできたアルバムも気に入ってはいるんですけど、どこか幼さの残る自分が作っていたので、しっかりと大人になってから、ちゃんとハード・ロック・アルバムって自分で思えるものを作りたいなって。それが一つの“Mission”であったというのはありますね。あとは、もう一つ、天職という意味があるんですけど、ホントに私は幼い頃から歌うことが当たり前と思ってきたんですね。大げさでなく、何か使命感のようなものも、ある時期から感じてずっとやってきましたので。アルバム・デビューは20歳のときですけど、実際、15歳ぐらいの頃からプロとして活動はしていて、今の年代まできて、やっと、みなさんに「ホントに一生をかけたでしょ?」って言えるようになったので(笑)、そういう意味合いも込めて、“Mission”にしました。これからもみなさんに歌を通して何かを伝えていく、そういう意思表明でもあります。

――その「何かを伝えていく」という部分に関しては、具体的な物事も何かあるんですか?

浜田:いや、特に思想的なことや政治的なことに対して何かということはないですけど、私みたいなアルバムの作り方をしていると、どうしても時代背景だとか、社会の風潮とか、流行りモノに対することとか、いろいろと個人的に思うところが、自然に歌詞になってくるのはありますので、1ロックシンガーとしての目線から見た日本なり世界なり人なりというのは、どうしてもアルバムに出てくる。もうそれだけのことなんですけどね。

――なるほど。このアルバムにおいて、何か核になった曲もあったんですか?

浜田:やっぱり1曲目の「Sparks」ですね。今回はハードなものをベースにしつつも、前作(『Legenda』/2012年)ではかなりダークな世界にいったんですよ。特に震災後だったりして、みなさんが優しい曲を作るところだったので、私はあえて、それこそロック的な目線で、ダークにしたいと思ったんですね、そこでカタルシスを感じて欲しいみたいな部分で。今回はそれを超えて、より突き抜けた、音楽的にすごく難しくて圧倒するようなものを作りたかったんですね。具体的に言うと、変拍子を多用したり、ユニゾン・フレーズを多用したり。そういうことで、みなさんに(楽曲を)発注はしたりしてたんですけど、そこで上がってきたのが、若井(望)くんの「Sparks」だったんですね。元々はもっと変拍子がいっぱい入った、かなり難解な曲だったんですけど(笑)、歌ものにするために少しシンプルにして、私がメロディをのせてという形に仕上げて。全曲がそうではあるんですけど、その中でもかなり気持ちが入っている曲ではあります。

――確かに特に間奏の凄まじいプレイには驚かされますよね。どうやって組み上げたんだろうって思うぐらいに(笑)。

浜田:そうですね(笑)。若井くんも相当、気持ちを入れて作ったと思いますし。だからこそ、最初は「これ、ちょっと難し過ぎるよ!」ってものにもなっていたと思うんですね。あえてそれをリクエストしたところもあるんですけど(笑)。

――『Legenda』のリリース時に、麻里さんが「Crimson」や「Get Together」を書いた彼に対して、「若井望という新しい才能が出てきた」という趣旨の話をされていましたので、当然、次のアルバムでも起用されるだろうなと思ってはいたんですが、今回はトータル・サウンド・ディレクションまで彼が担当していますよね。ただ、今までそういった立場に誰かを置くことは、特にしてこなかったと思うんですよ。

浜田:それこそ、初期の樋口(宗孝)さん以来かもしれないですね。その後はアメリカ人のプロデューサーをずっと立ててましたけど、実際はマーケットが日本なわけですから、自分でやらざるを得なかったですし……まぁ、珍しいことで、(スタッフや他の参加ミュージシャンなども)みんな驚いてますね(笑)。

――そうでしょうね。なぜ、彼を抜擢したんですか?

浜田:多分、私よりよくご存知だと思いますけど、まずはあの積極性ですよね、押しの強さ(笑)。

――ええ、個人的に彼をよく知る立場ですので、すごく納得するところです(笑)。

浜田:ホントにどんな方なのか、音楽性としてはどうなのかというのは、まだ『Legenda』の時点では詳しくは知らなかったんですよ。その後、いろいろお会いするようになり、曲もたくさんプレゼンしていただく中で、その積極性と押し、それから音楽に対する意欲ですね。それを知る中で、「この人、面白いな」とだんだん思うようになってきて(笑)。しかも、今回も曲がいいものが多かったので、そのアレンジのやりとりをしていく中で……まぁ、私が精神的に、この1年の中で曲作りや何やらで、ちょっと停滞したような時期があったんですけど、そんなときに、すごく引っ張ってもくれるんですよ(笑)。だから私も「あぁ、若井くんも頑張ってるから、私も頑張らなきゃ」「メール、待ってるだろうな」みたいな(笑)。そんな日々の積み重ねで、これは未来も考えると、音楽的なコラボレーションとしていい相手だなと思ったんですよね。ホントに音楽に対して純粋ですよね。始めはそれが本物なのかどうかわからなかったんですけど、今は本物なんだとわかって、その安心感もありますし。それに耳がいいんですよね。

――確かにかなり細かなところまで耳を届かせますね。

浜田:いい意味でも悪い意味でも、完璧主義者で……私もそうなので、喧嘩したら終わっちゃうところなんですけど(笑)、その分、任せられたんです。たとえば、『LOUD PARK』の最中もそうでしたけど、機材面のことや、スタジオ的な問題があった時期があったりして、私が手一杯になっちゃったときに、半分作業を手伝ってくれたり。そんなときに、私と同じ完璧主義者だなとわかったんですよね。最終的にはやっぱり、ハード・サウンドにしたかったというところで、彼の得意分野でアドバイスしてもらえるかなと思ったので。結果的には(ミックスを行った)アメリカでも、ずっと一緒にいることになりましたけど(笑)。

当初は「勉強したいので、ミックスの現場を見せてもらえませんか」って言われたんですよ。いつもは私は一人で行って、寂しく、エンジニアと毎日仕事をして仕上げていくんですけど、それなら、(ベーシックな部分をまとめる)始めの3日間、ホントに新しいハード・サウンドになるかどうか、一緒に聴いてくださいって約束で行ったんですけね。でも、そこですごく頑張ってくれたんで、結局、最後までいてもらうことになりました(笑)。ギターも現地で弾いてもらったりもしましたし(笑)、すごく助かりました。面白かったです。

――そうだったんですね。自作曲以外にも、麻里さんからのオーダーに基づく曲がどんどん寄せられたと思いますが、実際にはどれぐらいの数が集まっていたんですか?

浜田:数えてないですけど、1ミュージシャンにつき、何曲もいただくので……でも、いつもよりはわりと(楽曲提供者が)集中したほうですし、自分のストックもたくさんありますので、収録された曲の3倍ぐらいですかね。ただ、今回は若井くんと岸井(将)くんという、私から見たら若い世代の人たちの曲がほぼ9割ぐらいを占めてますので、そういう意味でも新鮮ではあると思います。

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