【インタビュー】黒木渚、快作『自由律』であらゆる定型を破る。「捨てる覚悟をした女としては、後戻りできない」
■“黒木渚はこうあったら素敵だ”という型を作ってきた1年半だったけど、
■ここでまたぶっ壊したくなってきた
黒木:そうですね。でも間にシングル2枚出してるから、私はずっと稼働してるイメージがあるんですけど。
── その間に小説「壁の鹿」も書いていたし。この1年半は、さっき言ってたみたいに、自分の本質を見つけるための時間だったんですか。
黒木:そうですね。どんどん忙しくなっていく中で、逃げたくても逃げられなかったし、妄想する時間もどんどん限られてくるというか……ハイペースで作品を作ったり、小説を書いたりする中で、いろんな気づきみたいなものを見つけていかないと、曲ができていかないんですけど、その中で身近なものや自分自身にフォーカスが当たるようになったというか。今までは妄想のストックの中でやりくりしていたものが、その時リアルタイムで起きていることもがんがん材料として使っていくというか。
── ある意味、使わざるを得ない。
黒木:うん。それをやっていくと、自分のこともすごく見えるし。やっぱりソロ活動って、逃げられないですね。自分で自分をどんな人かわかっていかないと。でもよくわかんないじゃないですか。
── 自分のことなんて、たぶん自分が一番わからないですよ。
黒木:俯瞰で自分を探すのが一番難しくて…。まだ全然100%の答えは出てないと思うけど、この1年半でちょっと近づいたものがあって。近づくためにいろんなルールを積み上げてきたし、“黒木渚はこうあったら素敵だ”という型を作ってきた1年半だったけど、ここでまたぶっ壊したくなってきたんですよね。せっかく型ができあがってきてるのにぶっ壊すという、そういう進み方をするタイプなんだなと思いました。破壊と再生の繰り返しでしか生きられないタイプなんだなということにも気づきました。
── シヴァ神ですね。
黒木:そう(笑)。いつも節目節目で何かをぶっ壊してきたんですけど、その痛みを感じてないわけじゃなくて、そこで生まれた感情のエモさを持って次の場所へ行くタイプだなと思うので。破滅型といえば破滅型の女なんですけどね。切り捨てるしかない、壊していくしかないというのは。でもまだ昇っていってるうちは、捨て続けたり壊し続けても大丈夫なのかなと。
── たとえば、どういうものを捨ててきたんですか。
── 背負ってますね。業みたいなものを。
黒木:最終的には、孤独に強いタイプでよかったなと思います。結局最後の最後は絶対みんなひとりぼっちだと思ってるから。これがもし、最後はきっと誰かとわかりあえるはずだという希望を持ってるタイプだったとしたら、捨てるという作業はすごくつらいことだと思うんですけど、私は最後の最後は全然一人で大丈夫、だってみんなそうじゃん?という思想のもとに、方針を作っていくことが向いてるんだなという感じがしますね。
── あらためて、今回のアルバムのトータル・コンセプトというと、“壊す”ということになりますか。
黒木:そうです。定型を破るということですね。『自由律』の律というのは、黒木渚像の中で絶対に揺らいではいけないものことで、それが律として存在していて、でもそのほかは解放されるべきだということです。メロディと歌詞は脈々と続いている黒木渚節みたいなものが存在してると思うんですけど、サウンドは無茶苦茶やってみるという。黒木渚は生演奏というイメージがすごくあると思うんですけど、「テンプレート」みたいに“え、打ち込みやるの?”とか、それがいいふうに取られるかどうか、まったくわからないですけど、とにかく定型を破りたかったし、裏切っていくことも必要だと思うんですよね。スパイスとして。
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