【座談会】FEST VAINQUEUR×岡野ハジメ、「不安はなくて、むしろ期待」

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■そうですね……でも
■トーンはいいけど滑舌が悪い」って(笑)

──そんな音楽の悲喜こもごもを織り込みながら作られる作品なのに、近年ではCDが売れないと嘆かれているわけです。その点、岡野さんはどう捉えていますか?

岡野:そういう話もメンバーとしたよね。売れないどころかCDが絶滅しそうなときにデビューした君たちって、何に向かっていけばいいと思う?って。そういう微妙な時代に彼らはデビューしようとしていて、これから大きくなっていかなきゃいけない。そもそも“大きくなる”って何? 昔のようにCDセールスで何億円もの収益を得るという夢は、物理的に無理になっている。配信って言われても、定額制でどれだけ売れてるかわかんなくて、チャリ銭が入ってくるような感じ。メジャーも俺レベルの人間もその回答を出せないでジタバタしてあがいている。どこ行っても景気のいい話は聞かないしね。でもね、景気がいい話を聞かないほうが、むしろ俺は楽しくなってくる方なんですよ。

──それは変態だ(笑)。

岡野:面白くなってくる(笑)。荒野のように何もなくなっちゃうけど、音楽は絶対に存在し続ける。バンドを演りたい人も絶対にいる。だから何かしらの沙汰があるわけですよ、きっと。それが2年後なのか5年後なのか10年後なのかわかりませんが、何かしら世の中が沙汰を作ると思うんです。それを俺は楽しみにしています。カッコいい音楽を作るというのは衝動のようなもの。音楽でグッとくるとか涙が出るとか、これは本能です。だからこそ今は“好きだからやっている”という光合成のようなメンタルに立ち返りやすいんです。儲からなくても好きだからこそ、生きがいを感じ、楽しくて仕方がない。今は、そういうピュアな気持ちになりやすいですよ。

──同感です。

岡野:売れているときは仕事的になって「本当はこれはやりたくないけど売れるからやらざるを得ないよね」っていう空気感で何となく前に進んじゃうんです。後々振り返ると「あれは何だったんだろうね」ってなってしまう。だからこそ、今の状況は悪いことではない。楽しいこと、好きなことをやろうってピュアに思える。そもそもCDの前にカセットとかアナログレコードの時代があったけど、それがビジネスになりだしたのは戦後ですよね。つまり1950年代ぐらいから1990年代ぐらいまでの短いタームなんです。じゃあ、その前では、音楽がどうやって稼いでいたのか、プロのミュージシャンたちは何で稼いでいたのかといったら、江戸時代のストリートミュージシャン……語り部的なものだった。きっとそこでは、江戸の町にもヒット曲はあったと思うんですよ。それでお金をもらって、日銭を稼いでいた。今は昔に戻った状態なんじゃないかな。

──確かに江戸時代でもミュージシャンはいたはずですから。

岡野:絶対にいた。音楽はあったはずだから。

──三味線とか尺八とか。

岡野:それでキャーキャー言われていた町のスターがいたはずですよ。そういう時代に彼らはどうやって食ってたんだろうと考えると、大工さんとか魚屋さんと同じく、演奏をしてお金をもらっていたわけです。いち職業として。今は偉そうにしているクラシックワールドも、CDもレコードもない生演奏だけの世界で、当時のモーツアルトとか有名な人たちは政治と関係してパトロンからオーダーを受けて音楽を作っていたと思う。そのようにね、昔に戻ったと思えば慌てる必要はないんじゃないかなと思うんですよね。だったらライヴでお客さんを100万人集めればいいじゃんって。

メンバー:たしかに。

岡野:グッズで1日2億円売ればいいんじゃない?(笑)。ウッドストックのように何十万人も集まるような、そういうパワーが音楽にはあるんだという基本に立ち返るんです。それがロックミュージックの醍醐味なんじゃないかなと。そういうふうに俺はメンタルがシフトしたから、むしろ攻撃的ですよ。

──ボーカルに対しての岡野ハジメ・プロデュースワークというのはどういうものでしょうか。ボイトレの必要性とかはどうお考えですか?

岡野:ボイトレに関しては、俺は何とも言えないかな。ボイトレに行ってよくなくなった人も知っているので。技術的なことを知らずに歌っている方がカッコよかった人もいる。それはノドをつぶすからダメなんだろうなって思いつつも。僕は、その曲がカッコよくなるなら、血ヘド吐いてもらってもかまわないと思うので(笑)。先生に習うことで、良いトゲみたいなものがヤスリかけられちゃうって場合もありますから、必ずしもは勧めないですね。ただ、ノドの筋トレ的なこととか、ツアーが連日続くときのケアの仕方とかをプロに学ぶのはありだと思います。でも、メンタルとか歌心を学ぶのはどうなのかなと。演歌じゃないからね、別に人に学ばなくてもいいんじゃないかな。

HAL:僕は一度、前やっていたバンドの時に、オペラの先生から練習を受けていたことがあるんです。きれいに歌を届けようとしていたんですけど、周りからはトゲがないって言われていたので、しばらくは習うのをやめて、自分でやってみようと思った。もちろん、ケアとかはボイトレの先生にしてもらうのがいいと思うんですけど。どちらが正解とはわからない。

岡野:でも俺、歌はほめたよね?

HAL:そうですね……でも、トーンはいいけど滑舌が悪いって(笑)。

──岡野さんは滑舌も指摘するんですか?

岡野:滑舌のことを一番言いますね。

──それはビート感とかリズムに関係するからですか?

岡野:日本語で歌ってるんだから日本語に聴こえたいってところはあります。何語かわからない音があったりすると、それだけで眠くなっちゃうんですよ。ビートの中で歌うので、スネアとかキックにマスキングされる。例えば、“た”なのか“ら”なのかがわからない。日本語をネイティブに使っていると「おはようございます」もちゃんと言ってないじゃないですか。「はよーざーまーす」みたいな。「ざーす」みたいな(笑)。それで通じちゃうわけで。でもその感じで歌っちゃうとわからなくなる。特に子音が“H”とか“K”とか“W”とか。そのへんは英語の歌をずっと歌ってきたボーカリストの方が、英語の発音の口ができているのでちゃんと発音しているんです。だから帰国子女の日本語ってすごくきれいなんですよね。ネイティブの日本人だと子音が短く、それだと聞こえにくいっていう話をしたりします。滑舌が悪いというよりはテクニックだけどね。あくまでもロックの音圧の中でエンタテインメントできるためのものですし、それも俺流のテクニックなので、他の人がボーカルを録ったらまた違うことを言うと思うけど。

──そういう20~30年も積み上げてきたノウハウを教わるのって嬉しいですね。

HAL:本当にありがたいです。ロックサウンドに乗るわかりやすい歌メロの滑舌の乗り方とかを、はっきり具体的にわかっていたわけではないんですけど、岡野さんが携わっていた作品を聴いていて、自分はそういうところが好きだったりもしていたんですよ。だから今回、それに直接ふれることができた気がして、素直にうれしかったです。

──いい経験になりましたね。

KAZI:実は、あとから岡野さんにぶっちゃけ話をしたんです。僕たちは、厳しい部分もあった以上にスムーズにレコーディングが進んだので、すごくうれしかった。でも岡野さんは本当はどう考えていたのかな?って思って。タテマエなしの本音の部分を知りたくて、「岡野さん、実際に僕たちはどうでしたか?」って聞いたら、岡野さんは「今の時代に合ったものを、予算という現実を考えたうえでベストを尽くした」と。その中で俺たちはそのレベルには達していて、今の世代だと上手なほうだと思うと言ってくれたんです。でも、10年~20年以上前の時代だったら通用していたのかどうかを考えると、それはまだまだ、だと。可能性はすごくあるけど、もっと精進するべきだと。その“精進”っていう言葉に僕はすごく重みを感じたんです。7時間、8時間は血ヘド吐くくらいのことをやるのは当たり前だと。

岡野:「志を高く持て」と言ったんですよ。

KAZI:本当に掴みたいものは常にイメージしていてほしい、そしたらいつか絶対に掴める、と。欲しいものがある時「“欲しい”ではなくて、“自分はなんで持ってないんだ。持っているのが当たり前だろ”という志を持っていたほうがいいよ」って言われたときに、そういうところから向上心というのは出てくるのかなと思いました。岡野さんは俺らよりも考えが若いというか……熱いんですよ。

岡野:キッズ的でしょ?

KAZI:僕らの10代のころのような気持ちを岡野さんが今でも持っている。やっぱりすごいなと感じましたし、裏を返せば、まだまだだなって言われているようでもあった。だから、今回のレコーディングもスムーズにうまくいったけど、これで満足しちゃダメなんだろうなって思いました。次にまた岡野さんとお仕事をさせていただくときに、岡野さんが「おぉー、そうきたか!」と言わせるぐらいじゃないとね。

──お金では買えない経験ですね。

岡野:いや、お金はくれてもいいよ(笑)。

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