【ロングインタビュー】今語られる、1980年代埼玉ロックシーンの悲喜交交
──そういう人たちとはその頃から付き合いがあったんですか?
森永:小学校の頃から一緒に遊んでたりしたんだけど、音楽に興味があるとかは分かんないから、お互い。で、中学行ったらバンドやってっから、この人たち不良なんだなと思って(笑)ほんとに悪いヤツだったの(笑)ノリさんなんか<外道>って書いてあるんだよ、つなぎに。で、俺も高校に上がって、同じ音楽好きのやつとバンドを組んだんだけど。
──それが初めてのバンドですか?
森永:そう。当然、ツェッペリンなのよ。ツェッペリンが好きな同級生が集まって。で、2年になったらね、1年に山田貢司が入ってきたんですよ、浦和南高校に。実家の山田電機はウチから30秒くらいだったからね。で、あいつもバンドが好きで、俺が卒業したと同時にバンドやろうぜということになった。実は妹がピアノ弾いてるんだけど、一緒にやりたいっていうんだけどって。それが山田信子(NOKKO)。まだ高校1年ぐらいなの、山田信子が(笑)当時からNOKKOって呼ばれていたね。
──じゃあ、NOKKOさんもバンドはそれが最初。
森永:うん。そう。それでNOKKOがキーボード、山田貢司と俺ともう一人、原くんってのがいて、ギターが3人。ブルー・オイスター・カルトみたいだけど。あとドラムとヴォーカルがいたんだけど、それでバンドやり始めたのね。当時はガキだからさ、生意気だから、俺がこんだけ練習してるのになんで練習してこないの?みたいなさ。ただいるだけなの。それで修学旅行に行ってる間にNOKKOをクビにしちゃったの(笑)ま、仲はいいんだけど。そしたらね、その半年後ぐらいに、埼玉で<ロックンロールセンター>ってのがあったんだけど、上の世代の人たちがいろいろなバンドを呼んでフリーコンサートをやったのを真似して、俺たちもやろうぜってみんなでお金出し合ってやったの。秋ヶ瀬っていう公園があるのね。河川敷で。そのときにNOKKOがさ、私は別のバンドで出るって女の子バンドで出てきて、UFOをやったの。それで歌を歌ったの。それが上手でさ、びっくりしちゃって、NOKKOこんなに歌歌えたんだと思って。みんな知らないんだよ、彼女が歌えるなんて。俺たちでさえ知らなかった。山田貢司に、なんでお前言わないの?って聞いたら、僕も知らなかっただって。
──NOKKOさんは、高校の頃に発声の本を買ってきて、独学で勉強したそうですよ。
森永:そのとき、田所のバンドとか木暮さんのバンドも出てて。木暮さんもこのへんに住んでたの。たぶん、木暮さんはそれを見てNOKKOを誘ったんだよ。
──そこが交流のきっかけだったんですか?
森永:初めてじゃないよ。みんなそこらへんで野球したり、いつも遊んでたわけ。ただバンドとして一緒にやったことがなかっただけで。
──シャケさんも?
森永:そうそうそうそう。みんなで集まって酒飲んだり。
──もともとはどういうつながりだったんですか?
▲上段左から。クリネックスのギター柳沢、ドラム国谷、ベース高橋喜一(サブラベルズ)、ギター木暮"SHAKE"武彦、山田貢司、NOKKO、下段左から。森永の当時のバンド、サインバイナウォーのドラム関口、ヴォーカル佐藤、ギター森永淳哉、ベース石塚。
森永:もともとはね、俺が高校のときやってたバンドがヤマハのコンテストに出たの、蕨かなんかの。審査員が四人囃子の岡井大二さんだった(※註:四人囃子も埼玉出身のバンド)。そんときに知り合ったの。木暮さんはクリネックスっていうバンドで、ゴミ袋みたいなのに目を開けてハッハァ~とかいって出てきて。めちゃくちゃなの、演奏とか。ギターもさ、弾いてんのか弾いてないのかわかんないぐらい。でもすごいなと思って。ちなみに、そのバンドのベースがね、後のサブラベルズのヴォーカルの高橋喜一くん。ジャパメタの。
──森永さん、今もダーティ・フィンガーズ(※註:現在の森永のバンド。カヴァー中心のセッションバンド)で一緒にやってるじゃないですか。もともとはベーシストなんですね。
森永:そうそうそう。俺のイメージはベースなの。そんで、木暮さんのバンドが優勝して、東京12チャンネルで「ロックおもしロック」って番組があって、そこに出たんだよね、彼らは。その後、木暮さんはストレートっていうバンドをやったりしてたんだけど、それがなくなってレベッカになるのかな。
──ほとんど地元の人脈なんですね。
森永:みんなでお金出し合って市民会館とか借りて(ライヴを)やってたのね。7~8バンド集めてやってたから、バンド(の数)がどうしても必要で、繋がったんだよ。今考えるとね、みんなそれぞれの道で皿(レコード)出してたりしてんだよね。
──狭いコミュニティーの中で、なかなかないですよね。
森永:誰かの助けで出したわけじゃなくて、それぞれが自分たちの力でやってたからね。
──森永さん自身は、高校の頃まではそんなに活発にやってたわけではないんですか?
森永:高校生バンドだね。コンテスト出たり、そういうことばっかり。ライヴハウスなんか出られないからさぁ。埼玉にはお店もないし、昔は。で、高校を卒業してから、木暮さんはレベッカやるっつって。で、その市民会館にみんなで集まってやったときに、ただの素人なんだけど名物男的なおかしな奴がいて、今度ソニーの人呼んでくるからって言うんだよ。そしたらほんとに来たんだよ。ド素人のアマチュアコンサートだよ? それを見てレベッカと契約したんだよ。そのアマチュアコンサートで。
──それ、ものすごい偶然ですね。
森永:NOKKOがいいと思ったんだろうね。でもその後、(シャケとNOKKOが)2人でいなくなっちゃってさ。アメリカ行っちゃったの。それあんまり言っちゃ…。
──あ、その話はけっこう知られてます(笑)
森永:あ、そうなの?(笑)(レベッカで)レコーディングするっていうのにアメリカ行っちゃったんだよ。メンバーはさ、山田貢司がベースで、ドラムはまた違う人だった。で、結局それはポシャっちゃって、でも1ヶ月もしないうちに帰ってきてまた始めてさ、別のメンバーで。
──その時に高橋教之さんが入って。
森永:うん、そう。ノリさん。
──ドラムの小田原さんはもっと後ですよね?
森永:そう。ドラムは誰だったかな…。小田原くんはね、なんとかボーイズってバンド(※註:BOYS CLUB)やってたんだよね。ほんとは木暮さんは(BOOWYの)高橋まことさんを誘ってたんだ、ずーっと。その頃、木暮さんとNOKKOが二人でね、ちょっと(BOOWYの)ライヴを見に行こうって。それ見に行った時に、最初に出てきたのがなんかアイドルみたいなヘンなバンドで(笑)、ドラムが小田原くんだったの。
──ロフトかなんかですか?
森永:エッグマン。で、次にヒムロックや布袋のBOOWYが出てきて。その関係じゃないかな。それともソニーの関係かな、小田原くんが使われるようになったのは。あ、(小田原さんの前の)ドラムは小沼(達也)さんだったじゃない。
──あ、そうだ。そうですよ。
森永:小沼さんは同じアマチュアコンサートで知り合って、最初、叩けないタイコだったの(笑)山田貢司ともう一人のドラムが辞めて、小沼さんとノリさんが入ったんだよね。ノリさんは杉本さんから紹介されたって言ってた。木暮さんにノリ使えばって。小沼さんは木暮さんがもともと知り合いだったはず。同じ川口だから。今でも覚えてるのは、(シャケが)アメリカから突然帰ってきて、お前、レベッカに入れよっていうのね、俺に。俺の代わりにギター弾けっていうの。音楽性も違うしさ、そんな無責任なこと言っちゃダメですよって。自分でも考えがまとまってなかったんだろうね。
──いやーそれはすごい話ですね。
森永:俺、高校卒業してから、イエローモンキーの広瀬(”HEESEY”洋一)くんとバンドやったりしてたのよ(ライオット、UFO、マイケル・シェンカーなどをやるセッションバンドだった模様)。広瀬くん、あいつ東京なんだけど、同じ年代の埼玉の奴らと一緒にバンドやってたから。フジトさんているんだけど、高橋不二人さん。
──デビルスの。
森永:そう。デビルスのあと組んだバンドがシルバードッグスっていったっけな。そこのギターの近江谷創一朗、OMMYっていうんだけど。そいつがその時のギターで、浦和に住んでる。
──シルバードッグスってフジトさんとジミーさん(五十嵐正彦)と。
森永:五十嵐くんと、近江谷創一朗っていうのと。
──みんなつながってるんですね。(※註:ヒーセとオミーにヴォーカルの岸本友彦、ドラムのダックス、ギターのゴウでやっていた浦和のバンドがムルバス。解散後、岸本はリアクションに加入し、脱退後、サブラベルズの松川純一郎、石橋茂雄と共にエモーションを結成。ヒーセ、オミー、ダックスにもう一人ギターを加えて結成されたのが16 LEGGS。解散後、ヒーセはイエロー・モンキー、ダックスはデビルスへ。デビルス解散後、フジト、ジミー、ダックスにオミーを加えて結成されたのがシルバー・ドッグス)
森永:うん。サブラみたいにヘビメタのやつもいれば、シルバードッグスみたいな人も、レッズみたいなのもいる。ジャズ・フュージョンみたいなのはいないけど。そういう土壌じゃないことはことは確か。なんでかっつったら、俺たちが子供の頃は、埼玉大学とかの無料コンサートみたいなのに行ってて、そこではさっき言った<浦和ロックンロールセンター>って人たちが(近田春夫と)ハルヲフォンとか安全バンドとかそういった人たちを呼んでたから、四人囃子とか。そういう土壌があるんだよね。
──浦和ロックンロールセンターってのは、ライヴの運営組織みたいなものなんですか?
森永:営利目的じゃないんだけど、ほんとにいいロックのコンサートをやるっていう。ちょっと左っぽいんだけど。
──まぁ、そういう時代なんでしょうね。
森永:だけど、そういう人たちのコンサートを見てきたから。だから、ユカイくん(のライヴ)で長沢(ヒロ。安全バンドのベーシスト)さんとやったときは、俺はアマチュアの頃ずっと長沢さんのバンド見てたから、なんて挨拶すればいいんだろなーとか思ってたの。世代がちょっと上だからさ、大先輩なわけ。
──長沢ヒロさんは、高橋まことさんとも一緒にやってましたよね。
森永:そうそうそう。ヒーローっての。安全バンドの後ね。
森永:小学校の頃から一緒に遊んでたりしたんだけど、音楽に興味があるとかは分かんないから、お互い。で、中学行ったらバンドやってっから、この人たち不良なんだなと思って(笑)ほんとに悪いヤツだったの(笑)ノリさんなんか<外道>って書いてあるんだよ、つなぎに。で、俺も高校に上がって、同じ音楽好きのやつとバンドを組んだんだけど。
──それが初めてのバンドですか?
森永:そう。当然、ツェッペリンなのよ。ツェッペリンが好きな同級生が集まって。で、2年になったらね、1年に山田貢司が入ってきたんですよ、浦和南高校に。実家の山田電機はウチから30秒くらいだったからね。で、あいつもバンドが好きで、俺が卒業したと同時にバンドやろうぜということになった。実は妹がピアノ弾いてるんだけど、一緒にやりたいっていうんだけどって。それが山田信子(NOKKO)。まだ高校1年ぐらいなの、山田信子が(笑)当時からNOKKOって呼ばれていたね。
──じゃあ、NOKKOさんもバンドはそれが最初。
森永:うん。そう。それでNOKKOがキーボード、山田貢司と俺ともう一人、原くんってのがいて、ギターが3人。ブルー・オイスター・カルトみたいだけど。あとドラムとヴォーカルがいたんだけど、それでバンドやり始めたのね。当時はガキだからさ、生意気だから、俺がこんだけ練習してるのになんで練習してこないの?みたいなさ。ただいるだけなの。それで修学旅行に行ってる間にNOKKOをクビにしちゃったの(笑)ま、仲はいいんだけど。そしたらね、その半年後ぐらいに、埼玉で<ロックンロールセンター>ってのがあったんだけど、上の世代の人たちがいろいろなバンドを呼んでフリーコンサートをやったのを真似して、俺たちもやろうぜってみんなでお金出し合ってやったの。秋ヶ瀬っていう公園があるのね。河川敷で。そのときにNOKKOがさ、私は別のバンドで出るって女の子バンドで出てきて、UFOをやったの。それで歌を歌ったの。それが上手でさ、びっくりしちゃって、NOKKOこんなに歌歌えたんだと思って。みんな知らないんだよ、彼女が歌えるなんて。俺たちでさえ知らなかった。山田貢司に、なんでお前言わないの?って聞いたら、僕も知らなかっただって。
──NOKKOさんは、高校の頃に発声の本を買ってきて、独学で勉強したそうですよ。
森永:そのとき、田所のバンドとか木暮さんのバンドも出てて。木暮さんもこのへんに住んでたの。たぶん、木暮さんはそれを見てNOKKOを誘ったんだよ。
──そこが交流のきっかけだったんですか?
森永:初めてじゃないよ。みんなそこらへんで野球したり、いつも遊んでたわけ。ただバンドとして一緒にやったことがなかっただけで。
──シャケさんも?
森永:そうそうそうそう。みんなで集まって酒飲んだり。
──もともとはどういうつながりだったんですか?
▲上段左から。クリネックスのギター柳沢、ドラム国谷、ベース高橋喜一(サブラベルズ)、ギター木暮"SHAKE"武彦、山田貢司、NOKKO、下段左から。森永の当時のバンド、サインバイナウォーのドラム関口、ヴォーカル佐藤、ギター森永淳哉、ベース石塚。
森永:もともとはね、俺が高校のときやってたバンドがヤマハのコンテストに出たの、蕨かなんかの。審査員が四人囃子の岡井大二さんだった(※註:四人囃子も埼玉出身のバンド)。そんときに知り合ったの。木暮さんはクリネックスっていうバンドで、ゴミ袋みたいなのに目を開けてハッハァ~とかいって出てきて。めちゃくちゃなの、演奏とか。ギターもさ、弾いてんのか弾いてないのかわかんないぐらい。でもすごいなと思って。ちなみに、そのバンドのベースがね、後のサブラベルズのヴォーカルの高橋喜一くん。ジャパメタの。
──森永さん、今もダーティ・フィンガーズ(※註:現在の森永のバンド。カヴァー中心のセッションバンド)で一緒にやってるじゃないですか。もともとはベーシストなんですね。
森永:そうそうそう。俺のイメージはベースなの。そんで、木暮さんのバンドが優勝して、東京12チャンネルで「ロックおもしロック」って番組があって、そこに出たんだよね、彼らは。その後、木暮さんはストレートっていうバンドをやったりしてたんだけど、それがなくなってレベッカになるのかな。
──ほとんど地元の人脈なんですね。
森永:みんなでお金出し合って市民会館とか借りて(ライヴを)やってたのね。7~8バンド集めてやってたから、バンド(の数)がどうしても必要で、繋がったんだよ。今考えるとね、みんなそれぞれの道で皿(レコード)出してたりしてんだよね。
──狭いコミュニティーの中で、なかなかないですよね。
森永:誰かの助けで出したわけじゃなくて、それぞれが自分たちの力でやってたからね。
──森永さん自身は、高校の頃まではそんなに活発にやってたわけではないんですか?
森永:高校生バンドだね。コンテスト出たり、そういうことばっかり。ライヴハウスなんか出られないからさぁ。埼玉にはお店もないし、昔は。で、高校を卒業してから、木暮さんはレベッカやるっつって。で、その市民会館にみんなで集まってやったときに、ただの素人なんだけど名物男的なおかしな奴がいて、今度ソニーの人呼んでくるからって言うんだよ。そしたらほんとに来たんだよ。ド素人のアマチュアコンサートだよ? それを見てレベッカと契約したんだよ。そのアマチュアコンサートで。
──それ、ものすごい偶然ですね。
森永:NOKKOがいいと思ったんだろうね。でもその後、(シャケとNOKKOが)2人でいなくなっちゃってさ。アメリカ行っちゃったの。それあんまり言っちゃ…。
──あ、その話はけっこう知られてます(笑)
森永:あ、そうなの?(笑)(レベッカで)レコーディングするっていうのにアメリカ行っちゃったんだよ。メンバーはさ、山田貢司がベースで、ドラムはまた違う人だった。で、結局それはポシャっちゃって、でも1ヶ月もしないうちに帰ってきてまた始めてさ、別のメンバーで。
──その時に高橋教之さんが入って。
森永:うん、そう。ノリさん。
──ドラムの小田原さんはもっと後ですよね?
森永:そう。ドラムは誰だったかな…。小田原くんはね、なんとかボーイズってバンド(※註:BOYS CLUB)やってたんだよね。ほんとは木暮さんは(BOOWYの)高橋まことさんを誘ってたんだ、ずーっと。その頃、木暮さんとNOKKOが二人でね、ちょっと(BOOWYの)ライヴを見に行こうって。それ見に行った時に、最初に出てきたのがなんかアイドルみたいなヘンなバンドで(笑)、ドラムが小田原くんだったの。
──ロフトかなんかですか?
森永:エッグマン。で、次にヒムロックや布袋のBOOWYが出てきて。その関係じゃないかな。それともソニーの関係かな、小田原くんが使われるようになったのは。あ、(小田原さんの前の)ドラムは小沼(達也)さんだったじゃない。
──あ、そうだ。そうですよ。
森永:小沼さんは同じアマチュアコンサートで知り合って、最初、叩けないタイコだったの(笑)山田貢司ともう一人のドラムが辞めて、小沼さんとノリさんが入ったんだよね。ノリさんは杉本さんから紹介されたって言ってた。木暮さんにノリ使えばって。小沼さんは木暮さんがもともと知り合いだったはず。同じ川口だから。今でも覚えてるのは、(シャケが)アメリカから突然帰ってきて、お前、レベッカに入れよっていうのね、俺に。俺の代わりにギター弾けっていうの。音楽性も違うしさ、そんな無責任なこと言っちゃダメですよって。自分でも考えがまとまってなかったんだろうね。
──いやーそれはすごい話ですね。
森永:俺、高校卒業してから、イエローモンキーの広瀬(”HEESEY”洋一)くんとバンドやったりしてたのよ(ライオット、UFO、マイケル・シェンカーなどをやるセッションバンドだった模様)。広瀬くん、あいつ東京なんだけど、同じ年代の埼玉の奴らと一緒にバンドやってたから。フジトさんているんだけど、高橋不二人さん。
──デビルスの。
森永:そう。デビルスのあと組んだバンドがシルバードッグスっていったっけな。そこのギターの近江谷創一朗、OMMYっていうんだけど。そいつがその時のギターで、浦和に住んでる。
──シルバードッグスってフジトさんとジミーさん(五十嵐正彦)と。
森永:五十嵐くんと、近江谷創一朗っていうのと。
──みんなつながってるんですね。(※註:ヒーセとオミーにヴォーカルの岸本友彦、ドラムのダックス、ギターのゴウでやっていた浦和のバンドがムルバス。解散後、岸本はリアクションに加入し、脱退後、サブラベルズの松川純一郎、石橋茂雄と共にエモーションを結成。ヒーセ、オミー、ダックスにもう一人ギターを加えて結成されたのが16 LEGGS。解散後、ヒーセはイエロー・モンキー、ダックスはデビルスへ。デビルス解散後、フジト、ジミー、ダックスにオミーを加えて結成されたのがシルバー・ドッグス)
森永:うん。サブラみたいにヘビメタのやつもいれば、シルバードッグスみたいな人も、レッズみたいなのもいる。ジャズ・フュージョンみたいなのはいないけど。そういう土壌じゃないことはことは確か。なんでかっつったら、俺たちが子供の頃は、埼玉大学とかの無料コンサートみたいなのに行ってて、そこではさっき言った<浦和ロックンロールセンター>って人たちが(近田春夫と)ハルヲフォンとか安全バンドとかそういった人たちを呼んでたから、四人囃子とか。そういう土壌があるんだよね。
──浦和ロックンロールセンターってのは、ライヴの運営組織みたいなものなんですか?
森永:営利目的じゃないんだけど、ほんとにいいロックのコンサートをやるっていう。ちょっと左っぽいんだけど。
──まぁ、そういう時代なんでしょうね。
森永:だけど、そういう人たちのコンサートを見てきたから。だから、ユカイくん(のライヴ)で長沢(ヒロ。安全バンドのベーシスト)さんとやったときは、俺はアマチュアの頃ずっと長沢さんのバンド見てたから、なんて挨拶すればいいんだろなーとか思ってたの。世代がちょっと上だからさ、大先輩なわけ。
──長沢ヒロさんは、高橋まことさんとも一緒にやってましたよね。
森永:そうそうそう。ヒーローっての。安全バンドの後ね。