【ロングインタビュー】今語られる、1980年代埼玉ロックシーンの悲喜交交
森永淳哉という人を知っている人は少ないかもしれない。1980年代後期にパッセンジャーズというバンドのギタリスト/コンポーザーとしてメジャーデビュー。その後は、多くの(主にロック系の)アーティストのライヴのサポートやレコーディングの場で活動してきたが、その立場はいわゆるスタジオ・ミュージシャンとも少し違うように思う。そして実は、のちにメジャーアーティストを数多く輩出する埼玉のロックシーンにことごとく関わっている重要人物なのだ。
パッセンジャーズは1987年にポニーキャニオンからデビュー。ヴォーカルの大野美樹、ギターの森永淳哉、ベースの松原剛、ドラムズの水梨隆による4人組。当時のシーンには珍しく、カラッと乾いた土の匂いを感じさせるサウンドと物語性の強い歌詞を打ち出したバンドで、アルバムを4枚リリースした後、解散した。そこでブレーンとして、ほとんどの曲を書き、演奏面でもバンドを引っ張ってきたのが森永だった。ギタープレイヤーとしても、王道のアメリカンロックのようでいて、ジャズやカントリー、ブリティッシュフォークなどのエッセンスを取り入れたプレイは、当時の日本のロックの中でも(かなり地味に)一味違う個性を発揮していた。
ある日、森永が1枚の写真をツイッターにアップした。それはまだ若かりし頃、後にレッド・ウォーリアーズ(以降、レッズと表記)などで活躍する木暮“シャケ”武彦や田所“ダイヤモンド☆ユカイ”豊らと撮ったものだった。ツイッターの書き込みを通して、現在もレッズのメンバーたちとライヴやセッションを行っていることは知っていたが(ちなみに森永は、レッズ解散後のユカイのソロ作のレコーディングやツアーにも参加)、その繋がりはもちろん、森永自身の出自やパッセンジャーズの成り立ちも不明だった。パッセンジャーズが活動していた当時のインタビューなどに踏み込んだ内容のものが少なかったからということもあるが、この隠れた名ギタリストのことをもっと掘り下げてみる必要があると思った。
▲左から、NOKKO、木暮"SHAKE"武彦、森永淳哉。レベッカ結成から間もなく、機材車に便乗したときのもの。
インタビューでは自身についてやパッセンジャーズのことはもちろん、彼の出自である埼玉のロックシーンのこと、そこから生まれたレベッカやレッド・ウォーリアーズとの話など、今だから話せる内容も多く聞くことができた。
インタビューを行ってからしばらく経ったある日、レベッカの再結成が伝えられた。タイミングとしては出来過ぎだが、それと共に、この名手を知ってもらういい機会になればと思う。
■NOKKOが修学旅行に行ってる間にバンドをクビにしちゃった(笑)
──森永さんは1960年生まれですよね。
森永:9月5日。生まれは熊本だね。
──音楽のルーツはどういうところにあるんですか?
森永:中学に入るか入らないかって頃からラジオを聴いてて、スージー・クアトロとかさ、ベイ・シティ・ローラーズ、クリームなんかがよく流れてたんだよ。AMラジオ。それでカッコいいなぁと思って。ホーンセクションとかストリングスが入ってる音楽が嫌いで、映画音楽みたいなね。バンドだけでやるやつが好きで。「銀座NOW」って番組はロックバンドも出てて、(それを見て)自分もギター弾きたいなと思ったのが最初。最初は洋楽ばっかり…まぁ洋楽っつっても流行りものだよね。それで中学校2年のとき、レッド・ツェッペリンをラジオで聴いて、これはもうギターを買うしかないと思って。
──来日した頃(1972年)ですか?
森永:だと思うよ。ぜんぜん詳しくなかったけど、なんだこの音楽すごいな、なんだか分からないけどって。で、いろいろ雑誌買って、このギター、レスポールっていうんだって知って。
──知り初めっていちばんわくわくする頃ですよね。
森永:ベイ・シティ・ローラーズをラジオで聴いたときはカッコいいなと思ったんだけど、シングルを買いに行ったらさ、女の子がキャーキャーいっている写真が出てるのね。もしかしたらアイドルなのかな、おれは間違ったものを買ってるんじゃないかって疑心暗鬼になって。ナヨナヨしたやつらが嫌いだったから。小僧だったから(笑)じゃあ、クイーンとかもいっしょかなって。でも結局、曲がよければいいんだって分かったんだよね。
──クイーンも最初はアイドル扱いでしたもんね。
森永:そうだよね。それで今度はスージー・クアトロ。これは完璧だ。カッコいいじゃないって。
──その当時はまだ熊本に住んでたんですか?
森永:もうこっち(埼玉)。育ちはほとんどこっちだから。浦和なの、ずっと。それで中学校の時、小学校からの1つ上の先輩がいるんだけど、その人達が外道とかやってて、それがノリさん(高橋教之)なの、レベッカの。小学校、中学校の先輩で、すぐ近所なのよ。子供会とかも一緒でさ。で、小学校の頃からすごい悪いヤツがいて、その人が今のバックステージ(・プロジェクト)の社長で、TBSの小屋あるじゃない、なんだっけ?。
──赤坂BLITZですか?
森永:そう。の社長やってる杉本圭司。その人達がバンドやってて、こりゃ自分もやるしかねぇだろって」(※註:正しくは、杉本氏が社長を務めているのはZepp Tokyo。杉本は高橋のバンドのギタリストだった)