【倉木麻衣×BARKS連載対談】第三回(2001年~2002年)「十代の頃の私はませた歌詞を書いていたなと思うんです。早く大人になりたいと」
倉木麻衣が2014年12月、デビュー15周年を迎える。BARKSでは15年の歴史を振り返るべく、倉木麻衣、BARKS編集長の烏丸哲也、デビュー当時からのディレクター西室斗紀子を迎え、約1年間にわたって大型連載企画を展開中だ。前回は、当時ノンタイアップとしては異例のミリオンヒットを達成したデビューシングル「Love, Day After Tomorrow」リリース直後の激動の時代を赤裸々に語ってもらった。そして、第三回目となる今回は2001年から2002年、待望の“初ライブ”をはじめ、大ヒットを記録し続ける倉木麻衣の“十代の作詞”についてが明かされる。
◆倉木麻衣 画像
レコーディングスタジオで綿密に作り込まれた音が、初めて生身の姿をさらす場所、それがライブだ。「Love, Day After Tomorrow」に続いて、2ndシングル「Stay by my side」もオリコン初登場1位を獲得、1stアルバム『delicious way』は出荷枚数400万枚を突破する空前の大ヒットを記録した。しかし当時の倉木は歌番組をはじめとするメディアへの露出がほぼないに等しい状態だった。1999年12月8日のデビューから2年目を迎えた2001年夏、ファンの渇望感を満たすと同時にアーティスト/シンガーとして大きく成長した瞬間、初ライブから振り返ってみたい。
【連載対談第三回:2001年~2002年 <初めてのライブ、さらに広がる表現の幅>】
■キャッチボールができることがすごく楽しくて
■“ライブっていいな”と思ったのが最初の気持ちでした
▲『Mai Kuraki & Experience First Live 2001 in Zepp Osaka 』前日リハーサル(2001.08.17) |
▲『Mai Kuraki & Experience First Live 2001 in Zepp Osaka 』本番(2001.08.19) |
倉木:ツアーの初日はZepp Osaka(<You & Mai Groove 2001>2001.08.18)で、お客さんとの距離がすごく近くて、ステージの袖で“こんなに近い! どうしよう”って思ってました。ここから逃げ出したいけど逃げられない、みたいな。それと“しっかり歌詞を間違えずに歌おう”という、その気持ちだけでいっぱいでしたね。実際にステージに上がっても、お客さんの顔を見る余裕もなく、ひたすら真正面を見据えて歌ってました。
烏丸:歌詞は間違えなかった?
倉木:大丈夫でした(笑)。それが、初ツアー(<爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy live>2001.08.19-09.04)が終わる頃には“楽しい”という気持ちが生まれてきたんですよ。緊張もしてるんだけど、楽しいという、それまでは知らなかった思いを感じることができて、そこで“もっとライブで自分を表現したい”という意欲が湧いてきたのが、その次の<Mai Kuraki Loving You... Tour 2002>(2002.01.12-02.27)でした。それは冬のアリーナツアーで、札幌では雪まつりをやっていたのを覚えてます。
烏丸:普通に考えると、アーティストがツアーをやることは、僕らオーディエンス側からすると当たり前のことに感じられるんですよ。でもデビューからレコーディングとリリースを繰り返す多忙の中で、ライブをやらずに音源だけ出して行くアーティストのあり方もあるわけで。“ライブをやりたい”という意識は、昔からあったんですか。
倉木:いえ、デビュー当時はライブをやりたい、みんなの前で披露したいということよりは、自分の歌った歌をいろんな人に聴いてもらいたいという思いだけだったんですよね。それが、ライブをやってみようかという話になった時には、スタジオでの制作にも慣れてきて、学校との両立にも慣れてきて。
烏丸:そうか、まだ学校に行ってるのか。
倉木:はい(笑)。だから余裕がなかったということもあって、ライブ活動に辿り着くまでに時間がかかったんです。
烏丸:そもそも学生だと、ライブのスケジュールも簡単には切れないですよね。
西室:そうなんです。夏休み、冬休みとか、休みを利用しないとツアーが組めないという。
烏丸:そこにレコーディングも入れるとすると、本当に時間がないですね。
倉木:それで2001年に初めてライブを体感するという経緯に至ったんです。
烏丸:実際にライブをやってみて、音源とライブでは同じだと思うことと、全然違うと思うことと、いろいろ学んでいくわけですよね。倉木さんにとってライブとは、どういうものだったんですか?
倉木:ライブをすることによって、直接みんなから思いが返ってくるんですよ。そのキャッチボールができることがすごく楽しくて、“ライブっていいな”と思ったのが最初の気持ちでした。それから、曲が育っていくことも感じられて、“この曲は、こんなに手を振ってくれて盛り上がるんだ”とか、そういう曲が生まれることがわかってくると、制作も“ライブで歌いたい曲を作ろう”というふうに変わってくるんですよね。
烏丸:はいはい。なるほど。
倉木:それはライブをすることによって発見できた、楽曲制作のやり方でした。あとは“出待ち”といって、ライブが終わった後にみんなが楽屋の外で待っていてくれるんですよ。最初は4人ぐらいで、雨が降っているのに傘をさして待っていてくださって、“こんなに待ってくれて、すごくうれしい”と思って、挨拶しに行ったら、すごく喜んでくれて。「パワーをもらいました」とか、ライブの感想もそこで直接聞けて、“ライブっていいな”と改めて思いましたね。で、どんどん回を重ねていくうちに、出待ちの人が増えていって。そこで直接やりとりをすることで、制作意欲も高まるし、歌手にとって必要不可欠なエネルギーをもらえるんですよ。そういうこともあって、どんどんライブにのめりこんでいってる感じです。
烏丸:それはいいですね。デビューする時になんとなくイメージしていた、これからの活動形態のシナリオにはなかった側面でしょう。
倉木:なかったです。考えてもいなかったことが生まれてきて、そのひとつひとつが目標になって、それを目指してやってこれたかなと思います。
烏丸:面白いですね。本当にいろんなことに興味を示していたんですね。
倉木:そうですね。その時々で好きなものはあったりしつつ、でも自分の生活の大半は歌うこと、制作することだったので。
烏丸:何をやるにしても、もともとアーティストとしての自分がいて、そこにどうやって違った刺激が当たるか?という発想で見ていることがすごく興味深いです。たとえば歌詞ひとつ書くにしても、自分の中から何が出てくるか?という、自分磨きの面がありますよね。
倉木:はい。そうですね。
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