【倉木麻衣×BARKS連載対談】第一回(幼少期~1999年)「今振り返ると、みんなはバイトや部活に打ち込んでいたんですけど、自分は部活もやりつつデモテープを作って」
■部活は2つ掛け持ちしてまして(笑)、あともう1つ幽霊部員としても
■音楽や演劇、美術を使って、自分を表現したかったんだと思います
烏丸:そこからBeingさんに認められて、やがてデビューに至るわけですけど、それはどういう経緯で?
倉木:歌手になろうと思った時から、デモテープ作りを始めたんですけど、当時はカセットテープでしたね。それで、当時流行っていたローリン・ヒルさんを真似して歌って、いろんな事務所に送ってみたんです。
烏丸:カセットテープって、昔のラジカセみたいな、ガッチャンコって押すやつ?
倉木:そうです(笑)。学校から帰るとすぐに、うしろで音を流して、それを聴きながら歌って、録音して。いい感じになるまで何回も歌って、「よし、できた!」というものを送って。
烏丸:やっぱり、おかしな子ですね。
倉木:ふふふ(笑)。
烏丸:相当マニアックですよ。それから?
倉木:それをBeingの方に聴いていただいて、当時のBeing音楽振興会(現在のBeing Music School)というボーカル・スクールに入りまして。そこで本格的に歌のレッスンを始めました。そのスクールでやっていたオーディションで歌った時に、認めてくださって、デビューしようという話になったんです。本当に運が良かったと思います。
烏丸:でも、きっかけは単なる偶然ではなくて、能動的にテープを録音して送ったことですよね。最初に歌ったのがローリン・ヒルでしたっけ。
倉木:そうです。
烏丸:スクールに入ったあとは、どんな歌を歌っていたんですか。
倉木:オーディションを受けた時は、MAXさんの「Grace of my heart」を歌いました。
烏丸:やっと日本の曲が出てきた(笑)。それが高校生の時ですか。
倉木:高校1年です。
烏丸:普通の高校生は部活が楽しいとか、友達と遊びたいとか、彼氏と一緒にいたいとか、それが普通ですよね。そういうものとは違う生活が、もう始まっていたわけですか。
倉木:いえ、部活は2つ掛け持ちしてまして(笑)。合唱部と演劇部。あとは、美術部にも入っていました、幽霊部員として(笑)。もともと、自分を表現することが得意なタイプではなかったので、音楽や演劇、美術を使って、自分を表現したかったんだと思います。
烏丸:美術部というのは、絵を描いたり。
倉木:油絵を描いたり、石膏を使って作品を作ってみたり。
烏丸:合唱部はわかりますけど、演劇部は?
倉木:高校で私の好きな授業があって、数学だったんですけど、担当の先生がとても面白い人で、ギターを弾きながら数式を教えてくれたりするんですよ。
烏丸:それは、軽く流せない話ですね(笑)。すごい先生だな。
倉木:音楽好きの私としては、そんなふうに教えてくれる先生がすごく面白いなと思ったんですね。その先生が、映画や演劇に詳しい人で、今までにはなかった演劇部という部活を作ったので、「みんなで入ろう」と言って、友達を誘って入りました。
烏丸:とても活発で、積極的な子だったんですね。
倉木:アクティブなほうだったと思います。友達は少ないけれど、そういうものに参加するのは好きでした。クラスの学級委員をやったりとか。
烏丸:その時に、歌手になりたいということは、友達に言っていたんですか。
倉木:いえ。デモテープを作っていることや、家に帰ると歌の練習をしているということは、誰にも言っていませんでした。クラスの中では普通で、隅っこにいるような、地味な感じの子だったと思います。
烏丸:そういうふうに演出していた?
倉木:いえ、違います(笑)。本当にそういうタイプの子なんだって、みんなの中では認識されていたと思います。高校時代は、どちらかといえば暗い子だったと思うんですけど。
烏丸:話を聞いていると、とてもアクティブで明るい高校生にしか見えないですね(笑)。家でデモテープを吹き込んでる時には、ご家族はどんな反応を?
倉木:「とにかく宿題を先にやりなさい」って、いつも言われてました。それでも、あまりにも歌にのめりこんで、ご飯も食べずにやっていたので、だんだん放っておかれるようになったんですけど(笑)。
烏丸:それはきっと、倉木さんが自分で思う以上に、トンガってた生活だったんじゃないですか。たとえばギタリストの人と話して、「1日どのぐらい練習してます?」って聞くと、たいてい「練習は特にしてないです」って言うんですよ。それは嘘じゃなくて、本人は本当にそのつもりで言ってるんだけど、そばで見てると1日中ギターを弾いてる(笑)。練習してる自覚がないんですよ。楽しいからやってるだけ。
倉木:ああ~。
烏丸:そういう話は、よく聞くんですよ。たぶん高校時代の倉木さんも、生活の中での歌の割合は、相当大きかったんじゃないですか。
倉木:そうかもしれないです。今振り返ってみると、みんなはバイトや部活に打ち込んだりしていたんですけど、自分は部活もやりつつ、歌を歌ってデモテープを作って、歌手になりたいという気持ちが一番強かったので。練習しているという自覚はなかったと思います。
烏丸:そのデモテープって、今でも残ってるんですか。
倉木:探せばあると思います。オーディションを受けた時の映像も、どこかに残ってると思います。
烏丸:今どきだったら、それを自分でニコニコ動画に上げたりして、それがデビューのきっかけになったりしますよね。
倉木:そうですね。
西室:当時はそれがなかったですからね。
烏丸:今の若い人たちは「ええっ?」と思うかもしれないけど、当時はYouTubeもないし、iPodもない、インターネットはなくはないけど、これほど普及はしていなかったし。プロになりたいと思った時のきっかけとしては、デモテープを送るぐらいしか手段がなかった。たった15年だけど、ずいぶんと時代背景は違いますよね。
倉木:当時はカセットテープで、それからMDが出てきて。スタジオで歌ったものをMDに録ってもらって、持って帰って聴いたりしてました。
西室:最初の頃はカセットでしたね。
倉木:「Love, Day After Tomorrow」も、最初はカセットで渡してもらいました。
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