【インタビュー】清木場俊介「自分の中で一貫して決めているのは自分に嘘をつかないこと。筋は通してきていると思う」
ソロ・デビュー10年目を迎えた清木場俊介から届いた、存在証明としてのベストアルバム。シングル・ヒット集ではなくあくまで彼自身を代表する曲ばかりを、アコースティック編成で新たに唄い直した楽曲たちは、過去ではなく確かに未来を向いたものばかりだ。EXILE ATSUSHIと久々の再会を果たした「羽1/2」も含め、すべての楽曲の中に、唄い屋・清木場俊介のまっすぐな生き方が息づいているのが聴こえるだろうか?
◆清木場俊介『唄い屋・BEST Vol.1』拡大画像
■売るためにこの曲を入れようとかそういうことじゃなくて
■どの曲も思い入れがあるからみんなで選ぶことが今回のやり方
──まだEXILE在籍中だったソロ・デビュー曲「いつか…」から、いろんな時期があったんだなぁと実感します。このベストを聴いていると。
清木場俊介(以下、清木場):グループを離れてから、自分の中で一貫して決めているのは、自分に嘘をつかないこと。10年たって振り返ると、少しの妥協はあったかもしれないけど、筋は通してきていると思うので。ベストを作るにあたって、ビジネス的なベストだけは絶対に作りたくないって、まず最初にレコード会社さんと約束したんですよ。売るとか売らないとか、そういうレベルで作品は残したくない。もちろん売らなきゃいけないんだけど、売ること先行のビジネスだけは嫌だと。売るためにこの曲を入れようとか、そういうことじゃなくて、どの曲も思い入れがあるから。その代わり、みんなで選ぼうと。それが今回のやり方でした。10年間ベストを尽くしてきたという自分の思いもあって、今やっと出せることになりましたね。
──選曲については?
清木場:これが『Vol.1』で、このあと『Vol.2』『Vol.3』と続けていくつもりなので。最初の1枚は、清木場俊介の人間的な深さとか、これまで歩いてきた道とか、そういうものが大まかに見えるような作品にしたいと思ってました。「これが清木場俊介です」という、名刺代わりの1枚ですね。
──演奏はすべて、アコースティック編成にアレンジし直されていて。
清木場:自分としては、よりボーカルが前に来るようなシンプルなアレンジで唄いたかったのもあるし。ようやくギター1本でも伝えられるようになれたのかな? と思うんですよ、唄い手として。最初の頃は、バンドがないと曲に入り込めないところがあったので。あと、10年前のアレンジだとどうしても、今の声に合わないとか、趣味も違ってきてるんで、さらなる10年後にも新鮮に聴くためには、シンプルに戻すことがベストだと思った。何も加えないという状況で録音しました。
──一番古いのは「いつか…」と…。
清木場:「いつか…」と「なにもできない」が同じ時期ですね。あとは「そのままで…。」これはデビュー前に作っていた曲。一番最初の武道館の時に、急きょその日、唄いたくなってやった曲です。
──「そのままで…。」はCD初収録。これはもっと前の曲ですよね。
清木場:路上ライブをしてる時にできた曲で、当時16、17歳だったと思うんですけど。今歌詞を読むと、何をそんなに焦っていたのか? と(笑)。メロディと歌詞が一緒に出てきて、そのままできた曲で、一番しかない。新たに二番をつけようかという話になったんですが、何も浮かばなかったんで、これはこれで完結してるんだなと思います。
──この曲もそうですけど、どの曲を聴いても、俊さんのその時の気持ちがリアルにわかる。
清木場:そうですね。
──日記と言うと何ですけど。そういうふうに唄を作る人なんだなぁと。
清木場:ずっと、そういうものを描いてきたので。テーマを掲げて歌詞を書くこともあるんですが、ロックとかアップテンポの曲の時は、「自分はこうありたい」という書き方になることが多いです。
──実は昨日、「いつか…」の時にインタビューさせてもらった原稿を、読み返してみたんですけど…。
清木場:まだ粗いでしょ(笑)。
──いや、むしろ変わらない部分が目についたんですよね。僕の印象として、「いつか…」「なにもできない」は“カッコ悪い男の素顔をさらけ出したような歌詞で”という言い方をしたら、“いや、僕にとってカッコ悪いというのは、カッコつけてること。弱さをさらけ出すほうが、むしろ強いと思う”と言っていて。今と言ってること変わらないじゃん、と。
清木場:覚えてますよ。ほんと、そうですよね。カッコつけてカッコいいなんて、当たり前。カッコ悪いことを堂々とできるほうが、カッコいいと思う。未だに、高い車に乗ってスーツで決めて、カッコいいことを言ってる奴よりは、汚い格好で、情けねぇな俺、とか言いながら、家族を養ってる奴のほうが俺はカッコいいと思う。それがカッコいいと思える自分でいたい。どんなものに置き換えても、そうじゃないですか?
──そう思いますよ。
清木場:でもそんなこと、24ぐらいの時に言ってたんですね。偉そうに(笑)。おまえに何がわかるんや!と、引っ張り出したいですよ(笑)。
──その時に、「なにもできない」は、EXILEのツアー中の、大阪の楽屋で書いた曲だと言ってましたけど。
清木場:そうそう。いいライブをした時は、メンバーとどんちゃんするんで。でも悪いライブをした時は、飲みに行ってる場合じゃない。ホテルに帰って、ひとりでコノヤローとか思って、歌詞を書いたり曲を書いたりしていました。
──“何をしてもダメな夜だった”という書き出しとか、あまりにリアルでヒリヒリした感情が、今聴いても伝わってきて。当時俊さんが「これをリード曲にしたい」と言って、スタッフに止められたというエピソードがありますけど、僕がスタッフでも止めてたと思う(笑)。どっちの言い分も、わかるんですけど。
清木場:でもこの曲、人気あるんですよ。特に男に(笑)。面白いですよね。
──こういう曲って、今唄っても、当時のことを思い出しちゃう?
清木場:いや、もう完全に洗っちゃってるんで。まったくないです。むしろ「ほら見たか」ぐらいの感じ。どっちが幸せですか?という話になってくるじゃないですか、当時の自分に対して。「くすぶってる場合じゃないぞ」というのは、今思いますね。当時の自分がくすぶってくれたから、今の自分があるんですけど。
──確かに。
清木場:過去の自分と今の自分のどっちが幸せか? って、僕は思うんですね。何かする時に必ず。10年前の自分だったら何を選ぶだろう? とか。若さゆえの選択もあるし、年をとったがゆえの選択もあるし。本当の自分は何を選ぶのか? ということは、今でも考えます。世間的なことではなく、「自分が本当にやりたいことは何だ」って。それはたぶん、10年前と変わってないだろうなと思います。ただ、今は「なにもできない」と言うぐらいに、落ち込むことがないですからね。そういう、ヘタを打たない。若い頃は、知らず知らずのうちにハマッてしまうものって、あるじゃないですか。わからないから。たどり着いた先が、暗闇だったりするし。
──ですね。
清木場:今はだいたい、「こっちに行ったら危ない」って、匂いでわかってくるから。それを経験と言うんだろうけど、ただ、暗闇に行かないとわからないものもあるから。それを知っていれば、わざとそっちにも行ける。人生を左右するような選択の時は、経験値から来る直感で、「こっちに行けば新しい体験ができる」というほうに行きます。
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■売るためにこの曲を入れようとかそういうことじゃなくて
■どの曲も思い入れがあるからみんなで選ぶことが今回のやり方
──まだEXILE在籍中だったソロ・デビュー曲「いつか…」から、いろんな時期があったんだなぁと実感します。このベストを聴いていると。
清木場俊介(以下、清木場):グループを離れてから、自分の中で一貫して決めているのは、自分に嘘をつかないこと。10年たって振り返ると、少しの妥協はあったかもしれないけど、筋は通してきていると思うので。ベストを作るにあたって、ビジネス的なベストだけは絶対に作りたくないって、まず最初にレコード会社さんと約束したんですよ。売るとか売らないとか、そういうレベルで作品は残したくない。もちろん売らなきゃいけないんだけど、売ること先行のビジネスだけは嫌だと。売るためにこの曲を入れようとか、そういうことじゃなくて、どの曲も思い入れがあるから。その代わり、みんなで選ぼうと。それが今回のやり方でした。10年間ベストを尽くしてきたという自分の思いもあって、今やっと出せることになりましたね。
──選曲については?
清木場:これが『Vol.1』で、このあと『Vol.2』『Vol.3』と続けていくつもりなので。最初の1枚は、清木場俊介の人間的な深さとか、これまで歩いてきた道とか、そういうものが大まかに見えるような作品にしたいと思ってました。「これが清木場俊介です」という、名刺代わりの1枚ですね。
──演奏はすべて、アコースティック編成にアレンジし直されていて。
清木場:自分としては、よりボーカルが前に来るようなシンプルなアレンジで唄いたかったのもあるし。ようやくギター1本でも伝えられるようになれたのかな? と思うんですよ、唄い手として。最初の頃は、バンドがないと曲に入り込めないところがあったので。あと、10年前のアレンジだとどうしても、今の声に合わないとか、趣味も違ってきてるんで、さらなる10年後にも新鮮に聴くためには、シンプルに戻すことがベストだと思った。何も加えないという状況で録音しました。
──一番古いのは「いつか…」と…。
清木場:「いつか…」と「なにもできない」が同じ時期ですね。あとは「そのままで…。」これはデビュー前に作っていた曲。一番最初の武道館の時に、急きょその日、唄いたくなってやった曲です。
──「そのままで…。」はCD初収録。これはもっと前の曲ですよね。
清木場:路上ライブをしてる時にできた曲で、当時16、17歳だったと思うんですけど。今歌詞を読むと、何をそんなに焦っていたのか? と(笑)。メロディと歌詞が一緒に出てきて、そのままできた曲で、一番しかない。新たに二番をつけようかという話になったんですが、何も浮かばなかったんで、これはこれで完結してるんだなと思います。
──この曲もそうですけど、どの曲を聴いても、俊さんのその時の気持ちがリアルにわかる。
清木場:そうですね。
──日記と言うと何ですけど。そういうふうに唄を作る人なんだなぁと。
清木場:ずっと、そういうものを描いてきたので。テーマを掲げて歌詞を書くこともあるんですが、ロックとかアップテンポの曲の時は、「自分はこうありたい」という書き方になることが多いです。
──実は昨日、「いつか…」の時にインタビューさせてもらった原稿を、読み返してみたんですけど…。
清木場:まだ粗いでしょ(笑)。
──いや、むしろ変わらない部分が目についたんですよね。僕の印象として、「いつか…」「なにもできない」は“カッコ悪い男の素顔をさらけ出したような歌詞で”という言い方をしたら、“いや、僕にとってカッコ悪いというのは、カッコつけてること。弱さをさらけ出すほうが、むしろ強いと思う”と言っていて。今と言ってること変わらないじゃん、と。
清木場:覚えてますよ。ほんと、そうですよね。カッコつけてカッコいいなんて、当たり前。カッコ悪いことを堂々とできるほうが、カッコいいと思う。未だに、高い車に乗ってスーツで決めて、カッコいいことを言ってる奴よりは、汚い格好で、情けねぇな俺、とか言いながら、家族を養ってる奴のほうが俺はカッコいいと思う。それがカッコいいと思える自分でいたい。どんなものに置き換えても、そうじゃないですか?
──そう思いますよ。
清木場:でもそんなこと、24ぐらいの時に言ってたんですね。偉そうに(笑)。おまえに何がわかるんや!と、引っ張り出したいですよ(笑)。
──その時に、「なにもできない」は、EXILEのツアー中の、大阪の楽屋で書いた曲だと言ってましたけど。
清木場:そうそう。いいライブをした時は、メンバーとどんちゃんするんで。でも悪いライブをした時は、飲みに行ってる場合じゃない。ホテルに帰って、ひとりでコノヤローとか思って、歌詞を書いたり曲を書いたりしていました。
──“何をしてもダメな夜だった”という書き出しとか、あまりにリアルでヒリヒリした感情が、今聴いても伝わってきて。当時俊さんが「これをリード曲にしたい」と言って、スタッフに止められたというエピソードがありますけど、僕がスタッフでも止めてたと思う(笑)。どっちの言い分も、わかるんですけど。
清木場:でもこの曲、人気あるんですよ。特に男に(笑)。面白いですよね。
──こういう曲って、今唄っても、当時のことを思い出しちゃう?
清木場:いや、もう完全に洗っちゃってるんで。まったくないです。むしろ「ほら見たか」ぐらいの感じ。どっちが幸せですか?という話になってくるじゃないですか、当時の自分に対して。「くすぶってる場合じゃないぞ」というのは、今思いますね。当時の自分がくすぶってくれたから、今の自分があるんですけど。
──確かに。
清木場:過去の自分と今の自分のどっちが幸せか? って、僕は思うんですね。何かする時に必ず。10年前の自分だったら何を選ぶだろう? とか。若さゆえの選択もあるし、年をとったがゆえの選択もあるし。本当の自分は何を選ぶのか? ということは、今でも考えます。世間的なことではなく、「自分が本当にやりたいことは何だ」って。それはたぶん、10年前と変わってないだろうなと思います。ただ、今は「なにもできない」と言うぐらいに、落ち込むことがないですからね。そういう、ヘタを打たない。若い頃は、知らず知らずのうちにハマッてしまうものって、あるじゃないですか。わからないから。たどり着いた先が、暗闇だったりするし。
──ですね。
清木場:今はだいたい、「こっちに行ったら危ない」って、匂いでわかってくるから。それを経験と言うんだろうけど、ただ、暗闇に行かないとわからないものもあるから。それを知っていれば、わざとそっちにも行ける。人生を左右するような選択の時は、経験値から来る直感で、「こっちに行けば新しい体験ができる」というほうに行きます。
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