【対談】zopp×Jean-Ken Johnny(MAN WITH A MISSION)×清水翔太、“作詞”を通して探る言葉のチカラ

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■クリエイターとして、清水翔太として表現するところではない場所で、楽曲や歌詞を表現してみたいという願望があるんです。(清水翔太)

──自分が歌うということで歌詞を書くのではなく、誰かに歌詞を提供するとなると、歌詞の書き方がいつもと変わってくるっていうのはあるんですかね?

清水翔太:変わると思いますね。まさに、自分ではない人に楽曲と歌詞を提供するというのは、今、自分でもやってみたいことの1つではあるんです。またそこで、まったく違った世界感が描ける気がして。

──それは、自分が歌う歌詞の中ではやれないことだったりするの?

清水翔太:やれないことなんですよ。なんていうのかな、いままでずっと歌ってきて、自分の想いのままを言葉にして歌ってきてはいるんだけど、やっぱりそれは、素顔の僕ではないというか、清水翔太というアーティストだったりするんです。みんなの思う清水翔太というか。だから、そこを崩す訳にもいかないし。だから、そことは別に、クリエイターとして、清水翔太として表現するところではない場所で、楽曲や歌詞を表現してみたいという願望があるんです。例えば、女の子のアーティストに、女の子の目線で書いた歌詞を提供してみるとか。清水翔太では出来ないことをやってみたいというか。同じようなアーティストや、清水翔太とアーティスト性が近い人に提供しても、あまり意味のないことだと思うので、とにかく、かけ離れたところに提供して自分を試してみたいんですよね。

Jean-Ken Johnny:タシカニ。ソウイウ願望ハアリマスヨネ。ワタクシモソレハスゴクアリマスネ。コンナオオカミノ曲デ良ケレバイツデモ!(笑)!ワタクシトシテハ、逆ニ同業ノ方カラ、楽曲提供シテホシイトカ言ワレルト、スゴク認メテ頂ケタヨウナ気持チガシテ嬉シイデスネ。デモ、器用ナ方デハナイノデ、マッタク普段ト違ウモノトイウノハ難シイト思ウノデ、自分タチノ畑カラ出来ルモノデ良ケレバイツデモ!ッテ感ジデスネ。

──うんうん。というか、今お話聞いてて思ったんですけど、そこもバンドとソロアーティストの違いかもしれないですね。バンドが他の人に楽曲提供する場合、やはり、そのバンドの色が欲しくて依頼されると思うんですよね。でも、翔太くんのようにシンガーソングライターが他の人に楽曲提供をする場合は、まったく違った世界感を魅せるというところこそ、魅力になっていくモノでもあると思うし。面白いなぁって。

zopp:うんうん。たしかにね。自分で言いたいことって限られてると思うから、時にはそういう刺激があったりするのもいいことなのかもしれないですね。

Jean-Ken Johnny:YES。デモ、ホントソウソウ。ワタクシナンカ結構枯レチャッテルカモシレナイモン(笑)。

zopp:あははは。言いたいこととか伝えたいことって、そうそう多くはない(笑)。いくら究極の生命体とはいえ、経験出来ることってそうそう多くもないでしょうし。

Jean-Ken Johnny:YES。YES。ホントホント。

zopp:そういう意味では、僕なんか、いろんなレパートリー出し過ぎちゃって疲れてる感はありますね(笑)。僕は役者さんと同じで、いろんな世界観を作ってその中で演じているんで、本当の自分がどんなんだったかを忘れてたりします。本当の自分で歌詞を書くなら、どういう歌詞を書きますか? って言われたら、ん~、特に……って感じ(笑)。求めてもらわないと書けないんだけど……みたいなね。お互い、隣りの芝生は良く見えがちだけど、結構両方とも同じくらいキツイんでしょうね(笑)。

──生み出していくという作業は本当に大変な作業だと思いますからね。

zopp:本当にそう。吐き出す分、いろんなところから吸収していかないとね。僕の畑も真っ黒になっちゃいますから(笑)。

──常に産みの苦しみはありますよね。

清水翔太:そう。やっぱり、さっきもちょっと言ったけど、リスナーからみた“清水翔太像”というモノもあって、そこを崩しちゃいけないって思うところもあるんですよ。長くやっているとシステマティックに歌詞を書くことも覚えてくるので、たまにそんな書き方に逃げたりもしてしまうんですけど、やっぱりそういうのは後々自分が歌っていてもグッとこないというか。やっぱり、自分が作っている段階から“あ、これ、すごくいい曲になりそうだな”って思ったモノに関しては、ずっと残るモノになるし、歌っていてもグッとくるモノんですよね。やっぱり、楽しく書けないと意味がないのかなって。

Jean-Ken Johnny:ソレハアリマスネ。歌詞トシテハ、言葉トシテハ、チャント法則ニ基ヅイテ伝ワルヨウニ書イタ方ガイインデショウケド、バンドナンデ、ソウイウトコデハナク、ソウイウ法則ヲ無視シテ勢イデ書イタ方ガイイナンテ場合モアッテ。バンドダカラ、ソコマデシステマティックニナンナクテモイイノカナッテ思ッタリモシテ。YES。

──すごくわかります。原稿や文章も同じだと思うんです。上手い文章なんていくらでもあって。でも、読み手に響かなければ意味がないと思うんです。アーティストの歌詞でもそうだけど、文章も、ありきたりの文章ではまったく面白くない。書き手の人物像や、その場の景色が見えてこそ、初めて面白みが出ると私は思っているんです。私は歌詞を書く人間ではないけど、文章を書く上で一番大事にしているのって、実はリズム感だったりするんですよ。

zopp:あ、それ、すごくわかります。そこって一番大事なところですからね。聴き手や読み手が、いかにリズムに乗って読めるかって、すごく重要なポイントだと思うんです。

──ですよね。でも、zoppさんは楽曲ありきで、そこに当て嵌めて言葉を選んでいく訳ですよね? 自分たちで作っている楽曲ならば、1音くらい言葉に合わせて後から変更すればいいけど、そこも叶わない訳ですよね?

zopp:そう。本当にそうで。逆に、僕なんかは、すごくシステマティックに歌詞を書いてます。でも、そんな中でも、やっぱりリズム感っていうのは大切にしています。伸びてる音には、伸びる言葉を選んで乗せるし、跳ねてる音には、跳ねる言葉を選んで乗せるように意識してます。もはや、作詞を数学の方程式としてとらえている感が強いです。クリエイターって言うのもおこがましいくらい、いかに効率的に良い作品を作るか、ビジネスライクに捉えています。

──もう完全に割り切っている感覚というか?

zopp:そう。今までは、それってどうなんだろうって迷いもあったんです。けど、今回小説を書いたことで、そっちは全くビジネスと関係なく言葉を吐き出すことが出来たので、今、すごくいいバランスが取れてる感じがしますね。両方にいい影響を与えてくれたというか。

──やっぱり翔太、小説書いたら?

zopp:あははは。勧めますねぇ(笑)。

Jean-Ken Johnny:書イテミマス(笑)?

清水翔太:いや、もういいです(笑)。

──Johnnyさんは? 小説書いてみたいなって思ったりしますか?

Jean-Ken Johnny:イヤァ~。ワタクシハ、zoppサンガ書イテタノヲ近クデ見テタリモシタンデ、コンナ大変ソウナコトハ、僕ニハ無理ダナッテ思イマシタネ。読ムノハ好キナンデスケド、書クノハネ……。ワタクシハ、キット、翔太サン以上ニ、自分ニ幻滅スルト思イマスヨ(笑)。
ソリャネェ~ダロ!オマエ!ッテ突ッ込ミ入レチャイソウデスモン(笑)。絶対ニ恥ズカシイ!

──でも、歌詞では結構パーソナルなこと書いてるのに、その違いはどこなんですかね?

清水翔太:歌詞と小説は、同じ文章を書くというところではあるけど、全然違うんですよ。やっぱり歌詞っていうのは、ある意味すっごく難しくもあり、ある意味すごく簡単でもあるんですよ。初めて歌詞を書いた人の歌詞が、すごく胸を打つモノであることもあるけど、小説は、やっぱりちゃんと文章の基礎が出来てないと書けない気がしますからね。やっぱり歌詞とは大きく違うんじゃないかな。それこそ、僕も前にちょっと書いてみたとき、書いていくうちにどんどん矛盾が出て来ちゃうんですよ。自分が作ろうとした物語に、想像力が追いついていかなくなっちゃうというか。でも、歌詞は、センスで持っていけるというか。小説は積み上げて行くロジックが必要だと思いますからね。似てるようでまったく違うモノだと思いますね。

zopp:うんうん。つじつまが合わないっていうね。どんどん糸が絡んでいっちゃう感じなんですよね。うん。僕もそうでしたよ。助詞1つ1つが重要になってくるしね。でも、歌詞って、治外法権なんですよね。間違った日本語だったとしても、それで成り立ってしまうところがあるから。でも、小説って俯瞰で見る必要があるし、つじつまが合わなくちゃいけないし。正しい日本語でなくてはいけないし、っていう、歌詞とは違うその世界のルールみたいなのが存在するモノだと思いますね。でも、そんな中でも、歌詞にも小説にも共通して大事なのは、リズム感だったりするんですよね。

──なるほど。

Jean-Ken Johnny:深クテイイ話シデスネ。

──すごく勉強になりますよ、今日の対談!

zopp:いい対談になって良かった(笑)。僕ね、大人になって最近よく思うんですけど、今日、一番最初に話したことと繋がる部分でもあるんですが、最初は模倣であってもいいけど、それを自分のモノにしていかないといけないなって。そのためにはね、いろんなことを知るんじゃなくて、理解していかなくちゃいけないと思うんです。

──ほほぉ。“知る”と“理解する”は違うんですね。

zopp:そう。“知る”っていうのは、覚えた時点で、もう知ったことになるんです。けど、“理解する”というのは、聞いたことを応用できて、自分のモノにできたら、初めて“理解した”っていうことになるんです。日本は覚えることが大事で、アメリカは経験することが大事なんです。アメリカでは在学中に、実際に会社を作って年間1億くらい稼げ、っていうのを授業にしていたりしますからね。それが学生のうちに出来ないヤツは、卒業してビジネスやっても成功しないよ、っていう考え方なんですよ。でも、日本は、そこに行くまでの準備を大学で一生懸命するっていうスタイルですからね。そういうスタイルは、やっぱり歌詞を書く上でも、日常の色んなところでも伺える感じはしますよね。翔太さんは、歌詞を書いてて、何も浮かばないときとかあるんですか?

清水翔太:ありますよ! アーティスト清水翔太でなければ書けることはいっぱいあるのに、アーティスト清水翔太となると書けないっていう。そこが難しいというか。アーティスト清水翔太として歌っていることは、本質ではないところもありますからね。それこそ、本質の清水翔太で歌詞を書いてしまうと、ビジネスにならない部分も出て来てしまうんです。だから、そういう歌詞は書けないんです。ある程度の年月をかけて培ってきた、1つのブランドとしては、崩せない部分もあったりするんです。自分の中でそのボーダーライン的なモノがあって。すごく身近なスタッフですら、そのボーダーラインに達していない歌詞は見せないですからね。年齢を重ねていけば、今は出せないものも、少しずつ出していけるようになるのかもしれないですけどね。今は出すときじゃないというかね。ブレてるように見られるのも嫌ですし。

──なるほどね。

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