チャラン・ポ・ランタン【インタビュー】予定調和の音楽にはない破壊力と怨念を紡ぐ唄とアコーディオンの姉妹ユニット

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チャラン・ポ・ランタンという姉妹ユニットがいま熱い。熱すぎる。9月12日にリリースされたアルバム『つがいの歯車』は1曲目「歯車 -a cappella-」から8曲目「歯車 -a ccordion-」まで、まるでミュージカルのように楽曲が展開していく。好きと嫌いの二者択一であろう、聴き手を選ぶ何にも似てないチャラン・ポ・ランタン流の不思議ワールドが全開のこの作品。アコーディオンと作詞作曲を担当する姉・小春の赤裸々な詞の世界に、ヴォーカルを担当する妹・もものミュージカル女優ばりの表現力豊かな歌唱。一度聴けばこの二人、タダモノではないと思わせる。そして、会ってみたら、やはりタダモノではなかったチャラン・ポ・ランタン。以後、お見知りおきを。

◆チャラン・ポ・ランタン~拡大画像~

■アコーディオンを弾いてるだけで稼げるじゃんって甘い考えで(小春)
■歌は何も考えずに引き受けた。なんで断らなかったのかわからない(もも)

――曲を聴いたときに、なぜこういう音楽性になったのか、どうやって作り上げていったのか、とても気になりました。二人は姉妹で、姉の小春さんはサーカスを観てアコーディオンに興味を持ったのが音楽を始めたきっかけ?

小春:そうですね。5歳からピアノをやっていたんですが、7歳のときに母にシルク・ドゥ・ソレイユに連れて行ってもらって(イラストレーターの母は2人の衣装やアートワークにも関わっている。ちなみに両親・親戚は絵描きなど、芸術家ばかり)。音楽がなければ、ただのウルサい人になってたんじゃないかなぁ。

もも:いや……うるさくもなってないんじゃない?

小春:そうだね。ただの閉鎖的な人かも。ネットでゲームしてる人とか。小学校の頃から大道芸人になりたかったんで。

――それでヘヴンアーティストのライセンス(東京都が認める大道芸人のライセンス)をとったのね。

小春:はい。17歳のときに。それからずっと大道芸やってて。アコーディオンを弾いてるだけで稼げるじゃんって、甘い考えでずっとやってたんです。

――小学生の頃から今までブレてないんですね。

小春:うん。軸はあまり変わってない。10歳のときにアコーディオンで行こうというのは決めていたんですよ。

もも:私、覚えてるよ。学級通信みたいなので、自分の夢を描くというのがあったじゃない?

小春:あぁ~。小学校4年生だから、みんな「お花屋さん」とか書いてる中で、私はアコーディオンを持ってボロボロの服を着た浮浪者の絵なの。将来の私、みたいな。私は人付き合いが苦手だったから、なるべく人と関わらないでお金を稼ごうと思ってたんです。まぁ、他の楽器でもそうかもしれないけど、アコーディオンって一つで完結する楽器だなぁとそのときに思ってて。私にはこれしかないって。フワフワした周りの10歳の方々を見ていたら、「今のうちに将来のことは決めたほうがいい」と思ったんだよね。

――そのときは、将来こうして姉妹一緒に音楽をやるなんて思ってなかったですよね?

もも:はい。私も一緒にサーカスを見に行ってたんですが、まだ2歳ですよ。私は姉と違って人付き合いは好きなので、友達とカラオケ行ったり。

小春:私はカラオケ大嫌いなんだよね。性格、まったく正反対なの。

――で、チャラン・ポ・ランタンを結成したのは、もともと音楽活動をしていた小春ちゃんが、「歌詞がついた曲が出来たから」って、ももちゃんに唄ってくれと頼んだのがきっかけ?

小春:そうそう。それまで、ももは音楽には興味なかったんだよね。

もも:あまりしゃべることもなかったよね。同じ部屋だったのに。

小春:そう。分かり合えない夫婦みたいな感じで。話すこともないんだもん。5歳離れていると、話題もクソも無いって感じじゃないですか?

もも:接触しないからケンカもしませんでしたし。

――なのに何故誘ったの?

小春:一番何もなさそうだったからかな? 他のヴォーカリストに頼むと、もうその人の色ができ上がってたりするじゃないですか。そういう人に頼んで違う色が入ってくるのが嫌だったんですよ。ももは無色透明だったから。その頃の写真とか見せたいくらいです。完全にテニスの子だったから。

もも:部活で日焼けして顔真っ黒だったもんね。服も短パンとかジャージで。

小春:ファッションのファの字もなかったよ。

もも:だから、何も考えずに引き受けたよね。なんで断らなかったのかわからない。

小春:ノリもせず、乗らないわけでもなく、みたいな微妙な感じだったよね。こっちが「○○唄ってよ」って言っても、それ自体に興味もないから、「あ、うん」みたいな。全部とりあえず呑むみたいな。ライヴで「豚のぬいぐるみ持って」って言ったら持つし。出で立ちは完全に素人で、目が泳いでるから、「ミラーボールを見て!」って言ったら、ミラーボール以外見ないし。だから最初はハートのサングラスをかけさせてたんだよね。近未来みたいな格好してたよね。

もも:あんなヘンテコな格好させられてるのに、ちょっとぐらい「嫌だ」って言えばいいのにね。本当に何も考えてなかった。「わぁ~!刺激的!」みたいなのもなかった。チャラン・ポ・ランタンをやる前に、お母さんと一緒に、小春が路上でアコーディオンを弾いてるのを観に行ったこともあったんだけど、小春の活動には興味なかったんですよね。

小春:今思うと、なんで今仲良くやれているのか不思議なんだよね。

――その色がないももちゃんが、今みたいなミュージカル女優ばりの表現力豊かな唄い手になるために一体何をしたの!?

もも:ミュージカルとかは大好きだったんです。観に行くと影響されて、そこから抜け出せず家で一人ミュージカルごっことかして真似したりとかはしていました。

小春:最初はカラオケの延長みたいな感じだったから、「参考にして!」って色々聴かせたよね。ただ、同じ部屋だったから、私が聴いてたジプシー音楽とかそういうのを一緒に聴いてたの。だから意見の共有がラクだった。才能が云々ではなく、同じ部屋で良かった。

もも:そう。聴こうとしなくても流れてたからね。

――音楽性はどうやって培ってきたの?

小春:好きなことをやってるだけなんだけどね。それがちょっとズレるっていう(笑)。他の人よりちょっと渋いかなぁって。

――でも、そういう好きな音楽をやっていて、小春さんは、イギリスのお金持ちに呼ばれてイギリスでライヴをやったり、ピンク・フロイドのデイビッド・ギルモアからのセッションオファーを断ったりしてる……。

小春:おかしな話だよね。そのイギリスのお金持ちは、私がやってたバンドのYoutubeの動画を見て「イベントで弾いて欲しい」って言ってきたの。だまされて臓器売られるかと思ったよ。それが初海外。

――デイビッド・ギルモアの件は?

小春:ちょうどそのイギリスのお金持ちとメールのやり取りをしているときに、「このYoutubeの動画見てよ。この曲でセッションしたいって言ってるんだけど」って言われたの。その映像はライヴかなんかのだったんだけど、ピンク・フロイドのことも知らないし、新人バンドだと思ってたの。しかも何のコード弾いてるかわかんないし、「また今度にする」ってメールを送っちゃったんだよね…。で、よくわからないままイギリスに行ったら、ピンク・フロイドのコンサートを一番良い席で見せてもらえたの。いろいろ衝撃を受けて、「なんか良かったねぇ」みたいな感じで帰ったんだけど、そのときの様子をブログに載せたら、私のお客さんが「マジかい!?」みたいになって。ピンク・フロイドって割と知られてるんだーと。家に帰ったら、うちのお父さんも知ってるんだよ。実はファンだったみたいで、CDあるんだよって見せられ。帰国してからピンク・フロイドの偉大さを知り、むしろセッションを断ってよかったと。

――面白すぎる……。知らないって最強ですね(笑)。

小春:完全に無知だよね。まぁ、帰国後、さんざんネタにはさせてもらったけどね。もうあとの祭りだよね。

もも:とりあえず、ライヴを見られて良かったよね!

◆チャラン・ポ・ランタン~インタビュー続きへ~

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