【特集】Raphael:あれから13回目の秋。自分たちらしく決着をつける
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YUKI、YUKITO、HIRO(Raphael)インタビュー
インディーズ時代から絶対的な支持を受け、1998年4月7日に、ミニアルバム『LILAC』でデビューしたRaphael。最年少で武道館公演(2000年3月)を成し遂げ、聴き手の幅をますます広げようとしていた絶頂期だったRaphaelは、2000年10月31日リーダーの華月の急逝により、その活動を休止することとなった。
シーンの有望株でもあったRaphaelだけに、衝撃は大きかった。
そんな活動休止から12年。ボーカルのYUKI、ベースのYUKITO、ドラムのHIROは、華月の13回忌にあたる2012年の10月31日、11月1日にZepp Tokyoで再演し、「eternal wish〜届かぬ君へ〜」を再録音しリリースする。
彼らがRaphael として音と声を放つのは、華月が亡くなる前に決まっていたツアーのファイナルでもあった2001年1月に渋谷公会堂で行ったライヴ以来のこと。12年という長い沈黙を破り、彼らがこの日、Raphael として再演する理由とは――? そして。この日にRaphaelの代表曲でもある「eternal wish〜届かぬ君へ〜」をリリースする理由とは――――?
YUKI、YUKITO、HIROに話を訊いた。
◆ ◆ ◆
――活動休止から12年。いままで頑にRaphaelとして音を発することも、歌うこともしなかった3人が、今回再演という形でライヴを決意したのはどうして? まず、きっかけから聞いてもいい?
YUKI:2年くらい前から、自分の中で勝手に覚悟が出来ていったの。本当に勝手になんだけど。それで、華月の墓前で誓ったの。“13回忌にあたる2012年の10月31日と11月1日に、Raphaelとして舞台に立ち、音と唄を届けるね”って。YUKITOとHIROにその気持ちを打ち明けたのは、そこから更に1年後なんだけどね。
――2人に覚悟を話すまでに1年を要したってことだよね?
YUKI:そう。いろんなことを考えた。まず2人に伝えるときはどう言おうとか、2人がYESと答えてくれたら、そこからは実際にどういう動きをすべきなのか。もちろん、なによりもご遺族の気持ちもいろいろと考えたし。生半可な気持ちではやれないことだし、決意のいることだったから。
――そうだね。実際に2人にその気持ちを伝えたのはいつだったの?
YUKI:本当に偶然の奇跡が起きたの。毎年10月31日は、今一緒にriceをやってるHIROと華月のお墓参りに行ってるんだけど、去年、偶然そこでYUKITOに会うことが出来て。この偶然の奇跡のこのタイミングで話さないと、もう次はないって思って、思い切ってそこで2人に話したの。
――HIROとYUKITOは、最初そのYUKIの言葉をどう受けとめたの?
HIRO:最初はびっくりした。突然だったからね。だから、言われた瞬間はただ“解った”って答えた。そこからゆっくり自分の中で考えて。ずっと何処かでちゃんと気持ちの整理をつけたいと思っていたのもあったから、いい機会をもらったのかなって。
YUKITO:僕もずっとやりたいっていう気持ちが強かったから、やっとその日がくるのか………って。やっぱりRaphaelは自分の人生でもあるから。YUKIに言われたときは、すごく素直な気持ちで“解った。やろう”って思えた。けど、後からじわじわといろんな想いが沸き上がってきたし、いろんなことを考えたというか。
――なるほど。それぞれいろんな想いを抱えてのことだったんだね。今回、「eternal wish〜届かぬ君へ〜」を再録してリリースすることにしたのはどうして?
YUKI:「eternal wish〜届かぬ君へ〜」は、インディーズでもメジャーでも、過去に2回音源という形でリリースされている楽曲なんだけど、最初に作ったオリジナル曲だから、どうしても表題曲にしたかったの。でも、一番は、カップリングの3曲をちゃんとした形で世に出してあげたかったのが目的。カップリングの「拝啓ナーバス」と「Dear」と「エルフの憂鬱」の3曲は、これまでライヴでしかお披露目出来ていないし、形になっているモノでも、ライヴ映像の中に収録されているだけで、正式に音源化されていないのね。前に、華月のお母さんが数年前に、“曲のタイトルはちゃんと覚えているのに、日に日に歌詞も曲もおぼろげになっていってしまう自分が悲しい”って嘆いてたことがあったの。その言葉がずっと心に残っていたのもあって、こんな機会は次いつあるか分からないし、ちゃんと形に残してあげたいなって思ったのがきっかけだったの。だから、そこも含め、今回の再演っていう感じ。
――なるほど。ギターは華月の音なの?
HIRO:そう。デモで残っていたモノがあったからね。「拝啓ナーバス」とかは、ライヴの音から引っぱってきてるの。
YUKI:当時のアナログデータをプロデューサーの平井さんに、サウンドプロデューサーとしての観点でちゃんと聴いてもらって、デジタル補正してもらったの。華月のギター編集について任せられるのは平井さんしかいないと思ったから。だから、紛れも無い華月の弾いたギターだよ。音も歌詞もリーダーである華月の残したまま。4トラックとも本当にそのままだよ。「拝啓ナーバス」は2回目のワンマンライヴでやった曲。1998年6月27日、目黒鹿鳴館『LILAC』のリリース記念でやったライヴでお披露目したんだよね。
――「Dear」はあんまりRaphaelっぽくない印象を持った1曲だったけど。少し新しいRaphaelを感じたというか。
YUKITO:なるほど。うん。そうかもね。当時はあんまりこういうタイプの曲はやっていなかったからね。
HIRO:うん。そうだね。
YUKI:「Dear」は1997年12月24日に横浜のCLUB24ってライヴハウスで初めてやった曲。4バンドの対バンで、人生2回目のライヴだった。“初期のL’Arc〜en〜Cielさんみたいな曲が作りたい!”って華月が作った曲なの。激しいだけじゃない一面も見せたいって言って一生懸命作ってた。小田急線から見える桜並木がイメージって言ってたな。
――よく覚えてるね、YUKI。すごい記憶力。というか、忘れたくない記憶でもあるんだろうね。
YUKITO:本当にそうだと思う。でも、YUKIは本当によく覚えてる。ちっちゃなことでも全部覚えているからね。
――それだけ想いが強いし深いんだろうね……。「エルフの憂鬱」は?
YUKI:「エルフの憂鬱」は5回目のライヴ。恵比寿ギルティでRaphael初のワンマンで、華月の誕生日にやったライヴのダブルアンコールの最後にやった曲だったの。
――すごく作り込んだ世界を感じる楽曲でもあるけど。
YUKI:うん。華月の中では明確なヴィジョンが出来てたみたいだった。“こういう感じのこういう曲が作りたいから、YUKI、歌メロよろしく!”って言われて。“サビは裏声から始まるメロディでよろしくね!”って、具体的にお願いされたからね。
YUKITO:曲自体は、スタジオでジャムってノリで作ったみたいな感じだったよね、当初。
HIRO:うん。結構すんなりというか、本当にノリで作れた感じだったね。でも、そこも、やっぱりYUKIが言ったみたいに、華月の中に明確なヴィジョンがあったからこそだったのかもなって、今になって思うね。
YUKI:当時音楽的な原理をちゃんと解っていたのは華月だけだったと思うからね。俺が「eternal wish〜届かぬ君へ〜」を作ったときも、作曲なんてものはまったく解っていなくて。ただ鍵盤に手を置いて、なんとなく右手と左手で鍵盤を押さえていって出来たメロディーとコードで、華月に、“これって作曲ってやつかな?”って聴いてもらったら、“いやいや、これが作曲っていうんだよ! すごいよ! YUKI! すごくいい曲だよ! こんなメロディ聴いたことないよ!”って、すごく喜んでくれて、次の日にはもうそのメロディに歌詞を付けてきてくれたの。それが「eternal wish〜届かぬ君へ〜」。Raphael初のオリジナル曲になったんだよ。
――そんな誕生だったんだね、「eternal wish〜届かぬ君へ〜」は。華月はYUKIの感性は天性だってよく言ってたからね。自分はすごく努力しているけど、YUKIは天性だから羨ましいって。
YUKI:言ってくれてたね。でも、今になって思えば、ウチらも含め4人でRaphaelだったけど、やっぱり自分がリーダーとして歌詞は一環して書かねばって頑張っていたし、曲もヴィジョンも全部華月が先導してくれていたし、すごく負担が大きかったし、すごい責任感だったと思う。さっきも言ったけど、最初の頃なんて、ちゃんとした音楽原理を解って音楽をやっていたのは華月だけだったからね。そこと対等に話そうと思ったら、俺なんかはまずそこを否定することで対等であるって勘違いしてた時期もあったし。反論することで対話になるから、ちゃんと対等な立場で話をしてる気になってたというかね。本当にお互い子供だったところもあったから。今回レコーディングをしてみて、12年ぶりにRaphaelとして音と歌を発してみて、改めてそんなことを振り返ったりもしたよ――。実際ね、YUKITOは少し音楽から離れていたから、最初の方は随分気負ってたみたいに見えたけど、やっていくうちに感覚を取り戻したみたいで、すぐに当時のままの自分たちに戻れた。純粋に楽しく出来たよ。歌もメロディも、はっきり覚えていたからね。本当に自分たちの人生の一部だったのかなって。染み着いてるんだよね。
YUKITO:本当にそうだね。最初にも、Raphaelは僕の人生そのものでもあるからって言ったように、本当に今回音を重ねてみて改めてそう思ったというか。最初はYUKIが言ったように気負いはあったな。Raphaelとして音を放つのも12年ぶりだからね。そこへの気持ちもいろいろと思うところもあって。でも、音を放ってみたら、自分が思っていたよりも、本当に純粋に音に向き合えて。HIROとの呼吸も時間を要することなく、すぐに昔の自分たちに戻れたたというか。本当に体に染み着いているんだなって改めて感じたからね。
HIRO:そうだね。俺も、今回やってみて改めて思ったんだけど、本当に頭ももちろんなんだけど、体が覚えてるんだよね。不思議と当時に戻った感覚で叩けたしね。すごくスムーズに出来た。ライヴでもありのままの等身大の自分たちを見せられたらいいなと思ってる。
――今、再演に向けての想いを改めて聞いてもいい? そこには本当に深い決心と、ずっと胸に秘めてきた計り知れない深い想いがあると思うから。
YUKI:うん。音源もありのままであるように、ライヴもありのままを届けたい。チケットはもう完売してしまっているけど、いろんな人にちゃんとまっすぐにメッセージを届けられたらなって思う。リアルタイムで華月の言葉も含めRaphaelを知ってくれてる人にももちろん、噂だけでRaphaelを知ってくれていて、この機会に初めてRaphaelに触れてくれる人たちに向けても、ちゃんとまっすぐに華月が残してくれメッセージを、伝えたかった本当のところを、現存する3人でしっかりRaphaelとして届けたいと思ってる。華月は自分たちのメンバーながら、本当に才能があったし、あの若さでたくさん素晴しいモノを残してくれた人であると思うし、そこをすごいって思ってくれて、その才能に対して神格化されているのは素晴しいことだと思うけど、若くしての死を変に神格化するのとは違うから。そこを間違えないでほしい。華月が伝えたかったのは、そんなことじゃないから。誤解を恐れずに、Raphaelのメンバーとして、華月のために言いたいんだけど、自分の存在や生きてることを確かめるために自分に痛みを与えたり、必要以上に薬に頼ってみたり、それをダーティーでそれをカッコイイと思っている人たちが少なからず居て、自分が大好きだった華月がそうしていたからこそ、同じことをして華月に近づきたいって思っている人たちも居て。でもね、それは絶対に違うと思うし、華月はそんなことをしても喜ばない。逆にすごく悲しむと思う。腕を切るのは美しくない。痛いでしょ。そこに苦しみがあるでしょ。そんな苦しみはしてほしくないんだよ。それを正当化しちゃいけない。華月は、自分が苦しんで、同じ傷を持つ人や、みんなの想いを代弁するためにRaphaelを通して彼は必死に伝えてきたのに、それを真逆に受け取られたら悲しいでしょ。あまりにも惨いよ。自分の想いとは真逆なんだから。だから、今一度、Raphaelの歌詞と曲をまっすぐに受け取ってほしい。ずっと沈黙していたから、いろいろと曲がって受け取られてしまったことがどんどん蔓延してしまって、曲がった方向だけが目立って広がってしまっている傾向もあって、とても悲しく想うことがあるから、そこをちゃんと伝えるためにも、華月が伝えたかった本当のメッセージを現存するウチら3人でちゃんと伝えるべきだって思っての決心でもあったから。Raphaelの本質の部分を、曲がることなく、まっすぐに伝えるつもりだから、純粋にありのままを受け取ってほしい。そう思います。“ウチの誇れるべきリーダー華月が伝えたかったのはね、そういうことじゃないんだよ、こういうことなんだよ。これがオフィシャルなんだよ。オマエ等、忘れるなよ。ちゃんと心に焼き付けておいてくれよ”っていう2日間であり、音源なの。ちゃんとまっすぐに伝わってくれたら、長い歳月みんながずっと愛し続けてくれている楽曲たち、作品たちもまた報われると思うし、愛され方も変わってくれると思うんだよね。4人でRaphaelだけど、本当に華月が残してくれた素敵な作品たちを、そして言葉たちを、そして想いを、まっすぐに愛してほしいから。本当にそう思います。僕たちは、そのために、全力でプレイし、全力で歌いたいと思います。精一杯、まっすぐに愛して下さい。
◆ ◆ ◆
再演を決意したという2年前――。
思い返してみれば、それは2010年10月31日。
10年という歳月を経たその日、いままで頑に口を閉ざしてきたYUKIがアメブロ(会員限定ブログ)に、これまでの胸の内を吐き出したことがあった。それは、読むのに相当な時間を要するかなりの長文だった。
彼がHIROとやっているriceというユニット名の本当の意味も、私自身、10年という歳月を経て、その文章から本心を知ることになったのだ。
彼らがriceを立ち上げたとき、何故riceというユニット名にしたのか? と訊ねると、そこに特に意味はないと答えた2人。当時YUKIは、“HIROと、たまたまお寿司屋さんに居た時に考えたから、米でいっか! ってなったんだよ”と話していたのだ。
しかし、それは本心ではなかったのだ――。
彼はそのブログの中で、“頭文字をどうしてもRにしたかった”と書いていたのだ。そこには、当時言葉にすべきではないと秘めた、深い深い想いが隠されていたのだ。
その後、Rという文字に込めた想いを直接本人に聞き返してはいないが、きっとそれは、大きな決意の証だったのだと思う。
華月が愛してくれた自分の歌を、音楽家として歌い続けていくことを、歌う喜びを教えてくれた最愛なる友人華月への想いを、Raphaelへの想いを、彼はRに全て注ぎ込み、歌い続けてきたのだと思う。
ブログには、目をそらしたくなるような現実が書かれていた。
“オマエが死ねば良かったのに――”
“華月くんのお葬式の日から、YUKIは一度も華月のところへ顔を出していないらしいですね。最低です。それでもメンバーですか?”
そんな言葉が毎日のように届いていたという。
10年間。彼はそれをずっと誰にも言わず1人で受けとめてきたことを知った。もちろん、YUKITOもHIROもRaphaelであるのだが、ボーカリストとしてフロントに立ち、声を通して華月の想いを直接伝え届けてきたYUKIへの曲がった感情は、想像以上のモノだった。行き場のない曲がった感情たちを、ずっと黙って受けとめてきたYUKI。
その心中を思うと胸が苦しくなる。
華月が愛したYUKIを、どうして攻めるのだろう――? 華月の想いとはまったく違うところで一人歩きを始めた曲がった感情たちを悲しく想った。3人が華月を忘れた日など1日もない。ご遺族はもちろんのこと、一番辛かったのは、華月の最も近くに居た彼ら本人なのだから――。
そして。2年前である2010年10月31日。3日も4日もかかって、書いては消し、書いては消し、アップすべきか悩み抜いて綴った想いを、YUKIは初めて文章にして届けたのだ。彼のその想いの奥には、今回の再演への想いがあったのだ。ずっと苦しんでいたYUKIの想いを、YUKITOもHIROも言葉にせずともちゃんと感じていたことだろう。
3人の深い想いが詰まった2日間。
まぎれもない4人の音と歌が詰め込まれた再録の「eternal wish〜届かぬ君へ〜」。
彼らの想いと願いが、まっすぐに伝わってくれることを切に願う。
取材・文●武市尚子
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