【特集】Raphael:あれから13回目の秋。自分たちらしく決着をつける

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RUKA(NIGHTMARE)インタビュー


2000年の1月に、地元仙台で結成されているナイトメアと、1997年に東京で結成されたRaphaelとのバンドとしての接点は無い。
しかし。ドラムのRUKAは、ナイトメアに加入する前から、Raphaelというバンドに興味を持っていたと言う(ナイトメアには2000年11月に加入)。

また、RUKA以外のナイトメアのメンバー(YOMI、咲人、柩、Ni〜ya)は、Raphaelのメンバーと同じ歳だったことから、2000年3月にRaphaelが最年少で武道館ライヴを成功させたことをバネに、バンド活動に本腰を入れようと決心したという話を、後に彼らの口から聞かされたことがある。

同じ時代を、アーティストとして共に生きたRUKAとRaphael。RUKAはRaphaelの何処に惹かれたのだろう?

RUKAとRaphaelとの出逢いを訊いた。

 ◆  ◆  ◆

――RUKAがRaphaelに興味を持ったのはいつ?

RUKA:最初。一番最初から。1998年の4月にリリースされたアルバム『LILAC』も買って持ってるからね。

――Raphaelを知ったきっかけは?

RUKA:雑誌だったと思う。たぶん『SHOXX』。まず、ヴィジュアルのインパクトにひっかかって。その頃のヴィジュアル系って、ほとんどが黒だったし、ソフトヴィジュアル系って呼ばれてたバンドも多かったから、ガッツリメイクしてる上に、白でまとめてたヴィジュアルにすごく興味が沸いて。新鮮だったね。それと、当時ツインギターの5人バンドっていうのが主流でもあった中で、4人編成っていうのにも惹かれた。そんでもって、いろいろと調べたら、年下で。トリプルで驚いたっていうか、とにかく何もかもが衝撃だったね。それで音を聴いてみたくなって。そんで『LILAC』買ったの。

――どうだった? 実際音を聴いてみて。

RUKA:衝撃だったね。最初の印象は、“ボーカル、歌うめぇな!”だった。楽曲的にも、激しいけど、ちゃんとメロが立っててすごく好きな曲調だったし。『LILAC』の中では「Sacrifice」が一番好きだったな。でも、とにかく独自の世界を突っ走ってるなって思ったね。すごく個性の強いバンドだったから、賛否があったバンドだったけど、そこに動じず自分たちを貫きとおしてたバンドスタイルは本当にすごいと思ってた。当時周りにいろんなバンドが居て、やっぱどこでもRaphaelって話題になってたけど、やっぱ賛否あったよね。こういう言い方すると語弊があるかもしれないけど、そのときRaphaelを否定してたオレの周りのバンドは見事に消えてった。それを見て、あ、俺の感性は間違ってねぇんだなって思ったんだよね。



――アーティストらしい観点だね。RUKAは華月の歌詞にも惹かれていたと言ってたよね。

RUKA:そう。歌詞、いいよね。まず、インタビュー読んで、華月って人間に興味が沸いて。また言い方悪いかもしんないけど、なんて自己中な人なんだろう、この人はって思ってたんだよね(笑)。でも、そこがたまらなく好きだった。あんなにも自分を持ってて、非難されることを恐れず、やりたいことを貫けるすごさは尊敬したね。バンドのコンセプトにしても、他とまったく被ってなかったからね。本当のオリジナルだったし。歌詞もそう。すごくリアルだったし。あの歌詞に救われた人、多かったと思うよ。俺、ちょうど「White Love Story」がリリースされた頃、素行が悪過ぎて、親が見かねて、当時つるんでた仲間から引き離すために、仙台から東京の知り合いん家に預けたことがあったんだけど、周りには友達もいないし、バンドもしたいけど出来ないし、性格的に働くなんて無理だったしっていう状況の中で本当にひとりぼっちだったとき、ずっと「White Love Story」聴いてたんだよね(笑)。今も「White Love Story」聴くと、新宿の高島屋のクリスマスのイルミネーションを思い出すんだよね。本当に毎日聴いてたからね。

――華月の歌詞は苦しみの中にあるモノも多いけど、本当に幸せに導いてくれる歌詞も多いからね。私も「夢より素敵な」には本当に救われた。“まだ頑張れる――”そう思えた曲だった。

RUKA:いい歌詞多いよね。すげぇ好きだ。今読み返してもそう思うよ。Raphaelの曲の中で一番好きな曲は、「症状3.×××症」。音源的にも、この曲が入ってたミニアルバム『Sick〜×××患者のカルテ〜』(1999年2月20日リリース)が一番好き。

――RUKA自身、作詞作曲を手掛ける人でもあるから、影響を受けたところがあったりするのかな?

RUKA:少なからずあると思う。けど、俺には書けない歌詞だと思う。だからこそ惹かれたんだと思うし。「Lost in Blue」の歌詞は、“華月なら、どう想うだろうな?”って気持ちで書いたんだよね。華月が歌詞にしてたことって、特別なことじゃなくて、誰もが感じることだと思うんだよね。それを素直に歌詞に出来てたのはすごいなって思う。無理に背中を押すようなこともないし。だからこそ、素直に入ってくるんだと思う。俺自身、今だにRaphaelを思い出して聴きたくなるときは、迷いがあるときだったりするからね。まさに、「Lost in Blue」の歌詞を書いたときはそうだった。すごく迷ってたときだったからね。俺は昔は歌詞を書いてなかったんだけど、歌詞を書くようになったのも、華月の歌詞、Raphaelの存在は大きいと思う。そういう意味では、すごく影響を受けてると思うな。

――なるほどね。Raphaelの楽曲にはピアノも多く使われていたけど、RUKAも必ずと言っていいほど曲を作るときピアノを入れてるよね。そこもRaphaelの影響は大きいのかな?

RUKA:そうかもね。ピアノの音は昔からすごく好きだったんだけど、Raphaelの影響は大きいと思うよ。うん。

――YUKI、華月、YUKITO、HIROが、Raphaelとして残した音と歌は、すごく大きなモノだったんだなって、改めて思うよね。

RUKA:本当にそう思うよ。神格化されてしまうのはしかたないことではあると思うし、俺が「症状3.×××症」の歌詞を自分なりの解釈で受け取ったように、聴き手が自分の思うままに解釈すればいいと思うんだけど、自分も歌詞を書く人間として1つ思うのは、真意ではない間違った解釈で受け取られてしまうことはとても残念だし悲しいから、Raphaelが残してくれたモノ、華月が残してくれた歌詞を真っ直ぐに受け取って、いつまでも大事にしてほしいなって思う。本当にいい楽曲と歌を残してくれた、本当にいいバンドだったと思うからね。年下とか関係なく、アーティストとして、物を生み出すコンポーザーとしても、本当に尊敬すべきバンドだし、存在であることは、俺の中でこの先もずっと変わらないから。


取材・文●武市尚子


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