MUSIC LIFE+ Vol.4 QUEEN特集「日本とクイーンの関係性」
iPhone、iPad用の無料アプリとして好評配信中の「MUSIC LIFE+(ミュージック・ライフ・プラス)」。洋楽ロック雑誌の草分けである「ミュージック・ライフ(1951-1998)」のデジタル版として貴重な写真・記事の宝庫であるとともに新たなコンテンツもプラスした音楽ファン必見の内容だ。そのVol.02はQUEENの徹底特集。その記事の中で『ミュージック・ライフ』の名誉編集長、東郷かおる子は日本とQUEENの関係について興味深い発言をしている。
『当時、日本国内で最初のクイーンの評判というのは?』
当時は、マニアを自認するならば輸入盤を買わないと、コアなロック・ファンじゃなかったのね。日本で発売する前に話題のバンドを聴いておかなきゃいけない。だからデビュー盤の日本での発売前に輸入盤ファンにはクイーンのことが少しずつ話題になっていた。特にギター少年の間では、「クイーンというバンドのギターはすごい」と言われ始めていた。当時の日本では、レッド・ツェッペリン、EL&P、ディープ・パープル等の、ブリティッシュ・バンドが人気を集めていた。当時の日本のファンって、分かりやすいカッコ良さに惹かれていたし…。ブリティッシュ系のハード・ロックって、今も当時も根強い人気があるし、第一、ブリティッシュ・バンドは絵になるのね。そこにクイーンを置いて考えても、ああ、なるほどこれはイギリスのバンドねと思える感じだった。今でも覚えているけど、当時のレコード評に「イエスのコーラスとレッド・ツェッペリンのハードさを混ぜたバンドだ」みたいなことを書いた。これは、あながちトンチンカンなことじゃないのね。ブリティッシュ・ロックのいいとこ取りバンドだなと思った。曲もいいし、音の作りが斬新。そして、それ以上に何か、歪んでいるような、ねじれたようなヘンなバンドだと思った。それが何なのかは分からなかったけど、心にひっかかったのね。
『クイーン・ファンの女の子もまた変わっていた?』
ビートルズの時は「ポールがかわいい!」とか、アイドルを疑似恋愛の対象として見るファン意識よね。もちろん、そういうクイーン・ファンもいたけれど、クイーンの場合は、少女の幼いセクシュアリティを、もっと刺激するというかな。官能的なヤバイ気配を、彼女たちは嗅ぎ取ったのだと思う。これは、クイーンが他のバンドと一番違うところね。理屈じゃないのよね。男性に説明しても分からない部分だと思う。女性だったら、なんとなく分かるはずよ。男性は分からないから、ミーハーだとか、ルックスがいいから好きなんだろうとか言いたがるのよね。でも実は、彼女達はそんなに単純じゃない。
クイーン以前に、バンドのメンバーをマンガやイラストに描いたり、メンバー同士が恋愛関係になるストーリーを作ったりしちゃうなんていう現象はなかった。これはクイーン以降に起きた現象だと思う。デヴィッド・ボウイもその風穴を開けたところがあるけれど、ボウイの場合は一般人じゃなくて、スタイリストやデザイナーたちによってアーティスティックに語られていた。そのバリヤを一気に普通の女の子達のレベルにまで引き下げたのがクイーンだったのね。それまで17~18才だったロック・ファンの年齢層が、クイーンの登場で一気に14~15才まで下がったのよ。
クイーンは「ああ、いけないものを見た」「いやらしくて、ステキ」って感じる10代の少女のセクシャリティを刺激してソフトランディングさせた、最初のロック・バンドなんじゃないかな。それまでギター好きなロック少年はいたけれど、ロック少女というものは存在していなかった。クイーン以降、誇り高いロック少女という存在が生まれたんだと思う。これは今こうして言葉に出来るけれど、私やロック少女達が当時感じていたのは、こういうことだったんだと思う。クイーンのメンバー自身も意識していなかったでしょうけど。
『クイーンと初めて会ったのはいつ頃ですか?』
1974年5月にモット・ザ・フープルを取材するためにニューヨークへ初めて行った時に、クイーンが前座として出演していたの。日本ではまだ2枚目のアルバム『クイーンII』は発売されていなかったけど、デビュー・アルバムは売れ始めていたし、女性ファンからの問い合わせが多かったことにも密かに期待していた部分があったのね。前座としてのステージを見てみると、サウンドはもちろん、メンバーのルックスも良かった。何より、その辺のロック・バンドにありがちなマッチョな感じが皆無だったのが良かった。後に白鷺ロックとか呼ばれちゃうことになるヒラヒラのコスチュームや、フレディの黒のマニキュアやメイク。この妖艶な危うさが、日本の女性ファンに受け入れられると思った。
しかも、現地のレストランで偶然ロジャーと出会ったんだから運が良かった。持っていた彼らの写真が載っているML(ミュージック・ライフ)を見せると、「僕らの泊まっているホテルにおいで」ってマネージャー抜きで翌日インタビューの約束まで取りつけられたんだもの。これが彼らとの関係の記念すべき始まりだった。その時は、フレディは買い物で外出中で、ブライアンは病気。ロジャーとジョンの2人との対面だったけれど、ロジャーのルックスは日本の女の子に受けるなと確信したわ。
『クイーンと日本の少女マンガ文化との関係についてどう思われますか?』
いわゆる「24年組」と呼ばれる1970年代に活躍した革新的な少女マンガ家達~大島弓子や木原敏江には、ロックの両性具有的なイメージの影響があるわよね。青池保子の『イブの息子たち』なんかまさにそうでしょう。あれは主役がロバート・プラントとキース・エマーソンもどきだけど。クイーンやボウイは、ロックの両性具有的な要素を少女マンガ文化に取り込ませたファクターだったと思う。そして、当時のクイーン・ファンもまた、そういう匂いを嗅ぎ取っていたのよね。ロックと少女マンガの相乗効果で1970年代のカウンター・カルチャーの一部が育まれたとも言える。
ロック黄金期の始まりは、少女マンガの時代にとっても、活気のある時代の始まりだったんじゃないの? マンガのコマの隅っこに、フレディみたいなキャラクターが描れていて、クスッと笑っちゃうように暗号化していたものね。わかる人にしか、わからないという意味で…。今でこそ少女マンガ文化をバカにする人はいないけど、当時は少女マンガなんてバカにされていたのよね。クイーンも当時「宝塚ロック」なんて言われて、バカにされているフシはあったんだけど(笑)。言いたい人には言わせておけばいいの。好きなものを追求し続けると、それは文化になるのよ。
◆ ◆ ◆
この他にもQUEENにまつわる記事が満載の「MUSIC LIFE+ Vol.02」。以下サイトよりアプリを無料ダウンロードの上、各コンテンツをぜひチェック。
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『当時、日本国内で最初のクイーンの評判というのは?』
当時は、マニアを自認するならば輸入盤を買わないと、コアなロック・ファンじゃなかったのね。日本で発売する前に話題のバンドを聴いておかなきゃいけない。だからデビュー盤の日本での発売前に輸入盤ファンにはクイーンのことが少しずつ話題になっていた。特にギター少年の間では、「クイーンというバンドのギターはすごい」と言われ始めていた。当時の日本では、レッド・ツェッペリン、EL&P、ディープ・パープル等の、ブリティッシュ・バンドが人気を集めていた。当時の日本のファンって、分かりやすいカッコ良さに惹かれていたし…。ブリティッシュ系のハード・ロックって、今も当時も根強い人気があるし、第一、ブリティッシュ・バンドは絵になるのね。そこにクイーンを置いて考えても、ああ、なるほどこれはイギリスのバンドねと思える感じだった。今でも覚えているけど、当時のレコード評に「イエスのコーラスとレッド・ツェッペリンのハードさを混ぜたバンドだ」みたいなことを書いた。これは、あながちトンチンカンなことじゃないのね。ブリティッシュ・ロックのいいとこ取りバンドだなと思った。曲もいいし、音の作りが斬新。そして、それ以上に何か、歪んでいるような、ねじれたようなヘンなバンドだと思った。それが何なのかは分からなかったけど、心にひっかかったのね。
『クイーン・ファンの女の子もまた変わっていた?』
ビートルズの時は「ポールがかわいい!」とか、アイドルを疑似恋愛の対象として見るファン意識よね。もちろん、そういうクイーン・ファンもいたけれど、クイーンの場合は、少女の幼いセクシュアリティを、もっと刺激するというかな。官能的なヤバイ気配を、彼女たちは嗅ぎ取ったのだと思う。これは、クイーンが他のバンドと一番違うところね。理屈じゃないのよね。男性に説明しても分からない部分だと思う。女性だったら、なんとなく分かるはずよ。男性は分からないから、ミーハーだとか、ルックスがいいから好きなんだろうとか言いたがるのよね。でも実は、彼女達はそんなに単純じゃない。
クイーン以前に、バンドのメンバーをマンガやイラストに描いたり、メンバー同士が恋愛関係になるストーリーを作ったりしちゃうなんていう現象はなかった。これはクイーン以降に起きた現象だと思う。デヴィッド・ボウイもその風穴を開けたところがあるけれど、ボウイの場合は一般人じゃなくて、スタイリストやデザイナーたちによってアーティスティックに語られていた。そのバリヤを一気に普通の女の子達のレベルにまで引き下げたのがクイーンだったのね。それまで17~18才だったロック・ファンの年齢層が、クイーンの登場で一気に14~15才まで下がったのよ。
クイーンは「ああ、いけないものを見た」「いやらしくて、ステキ」って感じる10代の少女のセクシャリティを刺激してソフトランディングさせた、最初のロック・バンドなんじゃないかな。それまでギター好きなロック少年はいたけれど、ロック少女というものは存在していなかった。クイーン以降、誇り高いロック少女という存在が生まれたんだと思う。これは今こうして言葉に出来るけれど、私やロック少女達が当時感じていたのは、こういうことだったんだと思う。クイーンのメンバー自身も意識していなかったでしょうけど。
『クイーンと初めて会ったのはいつ頃ですか?』
1974年5月にモット・ザ・フープルを取材するためにニューヨークへ初めて行った時に、クイーンが前座として出演していたの。日本ではまだ2枚目のアルバム『クイーンII』は発売されていなかったけど、デビュー・アルバムは売れ始めていたし、女性ファンからの問い合わせが多かったことにも密かに期待していた部分があったのね。前座としてのステージを見てみると、サウンドはもちろん、メンバーのルックスも良かった。何より、その辺のロック・バンドにありがちなマッチョな感じが皆無だったのが良かった。後に白鷺ロックとか呼ばれちゃうことになるヒラヒラのコスチュームや、フレディの黒のマニキュアやメイク。この妖艶な危うさが、日本の女性ファンに受け入れられると思った。
しかも、現地のレストランで偶然ロジャーと出会ったんだから運が良かった。持っていた彼らの写真が載っているML(ミュージック・ライフ)を見せると、「僕らの泊まっているホテルにおいで」ってマネージャー抜きで翌日インタビューの約束まで取りつけられたんだもの。これが彼らとの関係の記念すべき始まりだった。その時は、フレディは買い物で外出中で、ブライアンは病気。ロジャーとジョンの2人との対面だったけれど、ロジャーのルックスは日本の女の子に受けるなと確信したわ。
『クイーンと日本の少女マンガ文化との関係についてどう思われますか?』
いわゆる「24年組」と呼ばれる1970年代に活躍した革新的な少女マンガ家達~大島弓子や木原敏江には、ロックの両性具有的なイメージの影響があるわよね。青池保子の『イブの息子たち』なんかまさにそうでしょう。あれは主役がロバート・プラントとキース・エマーソンもどきだけど。クイーンやボウイは、ロックの両性具有的な要素を少女マンガ文化に取り込ませたファクターだったと思う。そして、当時のクイーン・ファンもまた、そういう匂いを嗅ぎ取っていたのよね。ロックと少女マンガの相乗効果で1970年代のカウンター・カルチャーの一部が育まれたとも言える。
ロック黄金期の始まりは、少女マンガの時代にとっても、活気のある時代の始まりだったんじゃないの? マンガのコマの隅っこに、フレディみたいなキャラクターが描れていて、クスッと笑っちゃうように暗号化していたものね。わかる人にしか、わからないという意味で…。今でこそ少女マンガ文化をバカにする人はいないけど、当時は少女マンガなんてバカにされていたのよね。クイーンも当時「宝塚ロック」なんて言われて、バカにされているフシはあったんだけど(笑)。言いたい人には言わせておけばいいの。好きなものを追求し続けると、それは文化になるのよ。
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この他にもQUEENにまつわる記事が満載の「MUSIC LIFE+ Vol.02」。以下サイトよりアプリを無料ダウンロードの上、各コンテンツをぜひチェック。
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