広沢タダシ、“やっぱり50kg”だった真実を明かす
よく通る凛とした歌声とブルージーなギター。孤高のシンガー・ソングライター/広沢タダシが7月11日にデビュー10周年を迎える。それを記念して現在、広沢のHPでは特設サイトをオープン。8月には大阪と東京でスペシャル・ライヴを開催。秋には待望のニュー・アルバムも予定している。時代にも何ものにも媚びることなくストイックに“本物”を追求してきた彼にとって、この10年とはどんなものだったのか。本人に話を訊いた。また、ウィキペディアにも載るほど少ない体脂肪についても“おまけ”インタビュー。そちらも併せてどうぞ!
取材・文●赤木まみ
――振り返ってみて、この10年は長かったですか? それとも、あっという間でした?
広沢タダシ(以下、広沢):長かったですね。いろんなことがあって、どれも人生で初めて経験することばっかりやったし。すごく身が詰まっていて、そのぶん長かったです、今思うと。
――広沢くんは元々、アーティストになりたいと思ってたんでしたっけ。
広沢:いや、思ってないです。初めてギターを弾いたのは17歳の時で、最初は単なる暇つぶしやったんですよ。で、20歳の時に初めてオリジナルを書いて、そこで“ものを創る”喜びみたいなのを感じて。そこからライヴも始めたりして、東京へ行くぞ!と思ったのが22歳の時。それでデビューが23歳ですからね。あれよあれよという感じで、心の準備も十分できてないままデビューしたと思いますね。
――私が初めて広沢くんと会ったのは、デビュー曲「手のなるほうへ」の取材時でしたけど、確かに広沢くん、心の準備はできてなかった気がする(笑)。あんまりしゃべらないというか、しゃべれない人だったし。
広沢:ははは。自分では必要なことをしゃべってるつもりやったんやけど。
――全然(笑)。
広沢:たぶんね、感じてることは今とそんなに変わってないと思うんですけど、それを言葉にする引き出しがなかったり、言葉にするとチープになってしまう感じがあったり。あと、言わんでもわかるやろう、というのもあって。
――言わなきゃわかんないよ!(笑)
広沢:はははは。若かったんでしょうね(笑)。
――でも、途中からは結構しゃべれるようにもなり。
広沢:たぶん(3rdアルバム)『FRIENDS UNPULUGGED』で人とセッションしたり、ストリートでも2ヶ月歌ってみたり。そういうことから変わってきた部分はあったと思いますね。
――何がどう変わったと思います?
広沢:それこそデビューの時は、亀田誠治さんがプロデュースしてくれて、自分はスタジオに行けばもう歌うだけの状況で。曲作りにしても、デビューから2枚目の『理想郷』ぐらいまでは、何も考えてなかったと思うんです。ただ内側からあふれ出てくるどうしようもない想いを吐き出しているだけで。でも、そんなんでも共感してくれる人がいて、“自分も同じことを感じてます”とか、そういう反応が返ってきた時に“あ、同じ景色を見てる人がおんのや?”と思って。それはすごく嬉しかったし、人と繋がれた気がしたというか。
――そういうところからリスナーの存在を意識するようになった?
広沢:そうですね、徐々に。で、3枚目に行く時に……たいがいのアーティストはアルバムを1、2枚出すと枯渇するんですよね。自分の中身をいったん全部出してしまったような感覚……というのかな? 僕もそういう感覚に陥って。“これから何を歌っていこう?”と思った時に、たまたまセッション・アルバムの話があって、それがさっき言った『FRIENDS UNPLUGGED』という作品になるんですけど。そこで人と接することだったり、他のアーティストの良さを引き出すことだったり、プロデュースすることだったり……いろいろ学んだ気はしますね。
――あの、広沢くんはよく“孤高のシンガー・ソングライター”って言われるけど、実はそうやってセッション・アルバムを出したり、ライヴでも人と一緒にやったりしてますよね?
広沢:そうですね。別に友達がいないわけではない(笑)。いない風に見えるだけで(笑)。
――ではどういうことから“孤高のシンガー・ソングライター”と言われるようになったと思いますか?
広沢:そうやなぁ、音楽的にどこにも属してないから……じゃないですかね?
――あぁ確かに。実際、凛とした姿勢で自分だけの地平に立ってストイックに音楽を追究してるしね。
広沢:そうですね。ヘンにジャンル分けされるのも嫌やし、もっと広く……とはいつも思ってますね。
――なるほど。で、また話を“流れ”的なところに戻すと……『FRIENDS UNPLUGGED』を出した後、一回レコード会社を離れて独立しますよね。この時っていうのは、広沢くんにとって1つの転機になったんじゃないですか?
広沢:そうですね。一般的にはここで辞めるパターンも結構あるんですよね。でも僕は音楽以外にやりたいことはなかったし、自分の魂が喜ぶことは何か?って考えると、やっぱり音楽しかなかった。だから、ある意味ここで本当の覚悟が決まったんだと思います。
――そこに迷いや不安はありませんでした?
広沢:正直、ちょっとはありましたけど。音楽業界自体がもう、こう(低迷状態に)なっていた時期やったので。でも、いろんな人に会って相談したら、いろいろ助言をいただいて……それが自分の覚悟に繋がったし、そうやって人と関わることが自分の人生にとって何か大きな要素になった気はしますね。
――それが作風にも影響を与えたと思いますか?
広沢:そうですね。人との繋がりであったり、感謝の気持ちであったり……そういうことを歌にする人は多いですけど、僕の作品にもそういう要素がその辺から入ってきたと思います。まぁでもその後“これはホンマに人の心を打つものなのか?”っていう疑問も自分の中で生まれてはいくんですけど……。やっぱり、自分の作品とは何か?って考えると、僕の作品は“言葉”やと思うんですね。それも今まであったような言葉ではなく、新しいものを生み出したい。そう考えると、ただ感謝を歌にするっていうのはどうなんだろう?と。もっと深い表現があるんじゃないか、もっといい作品を聴かせなきゃ、っていう……何か強迫観念めいたものが僕の中にあるんですよ。
――さっきも言ってたように広沢くんは小さい頃からアーティストを目指してたわけじゃないですよね? それが今、そこまで取り憑かれた音楽の魅力って何だと思いますか?
広沢:なんやろな……芸術とかって深いじゃないですか。例えば絵画にしても、1つの作品の奥には積み重ねてきた歴史があって、それを経てきたからこそ、今こういう表現があるんだなって思う。で、その深さ自体にも感動するし、深さを持った作品に圧倒されるし……そもそも深いものって飽きないじゃないですか。もちろん僕らがやってる音楽は芸術とは違うかもしれないけど、そういう深いものを自分も作りたいなって思うんです。表面的じゃない、深いもの。となると、1枚作り終えた時に“もっと”という気持ちになってしまうんですよね。もっと突き詰められるんじゃないか、もっといい音で録れるんじゃないか、もっといい歌詞の表現があるんじゃないか……って。その積み重ねで10年、来てしまった気がします。
――去年出した『雷鳴』は、それこそ広沢タダシの世界観を突き詰めたアルバムになっていると思うんですが。
広沢:そうですね。『雷鳴』はブルースだったりソウルだったり、自分の原点を掘り下げたアルバムで。掘り下げたことによって、それまで見えなかったものが見えてきたし、自分の新たな土台ができたと思ってます。だからこれからはこの土台の上にもっともっといろんなものを積み上げていけるなって。
――じゃあ……この夏は10周年を記念したスペシャル・ライヴがあったり、秋にはニューアルバムの発売も予定されてますけど、そういったものもその土台の上に。
広沢:うん、積み上げていけそうだなと。で、8月のライヴでは、みんなが聴きたいと思う3曲をホームページの10周年特設ページに投票してもらって、投票の多かった曲を優先的にやるっていう企画を立ててるんですけど、それプラス、その先の新しいものも見せたいと思ってるし。アルバムは、『雷鳴』の次に作るものとして“アコースティックギターと自分”という音像を基本にしつつ、シンプルで深くて、何百回、何千回聴いても飽きないもの、100年経っても聴けるものを作りたいと思ってます。もう曲はそろっていて、手応えもあるので、ぜひ期待しててほしいですね。
――今後、向かっていきたいところは見えていますか?
広沢:今、音楽界は混沌としてるじゃないですか。“いいもの”の基準も曖昧で、売れているものが“いいもの”とされている。もちろん売れているものの中にもいい音楽はいっぱいあるけど、僕は本当に価値のある音楽を作っていきたいんですよね。一言で言うなら、“本物”を発信し続けていきたい。そこはブレずにやっていこうと思ってます。
<10周年記念☆おまけインタビュー>
――広沢くんと言えば、ウィキペディアにも体脂肪のことが載るほど細身ですけど、今も変わらず体脂肪は7%?
広沢:最近は計ってないですけど、まぁ一桁ですね。身長175センチで、体重は50キロ。デビューの時はそれでも、52キロぐらいあったんですよ。でもデビューしてキャンペーンで全国を廻って、毎日、初対面の人と次々しゃべらなアカン状況になって。それでなくてもしゃべられへんのに(笑)。そういうのを続けてたら……よく覚えてるのが九州のどっかで体重計があって、計ったら46キロになってたんです。で、当時のマネージャーさんに『アカン広沢! このままじゃ死ぬぞ! 食え!』って言われて。頑張って食べたんですけど、やっぱり50キロ以上にはなりませんでしたね。
――次なる10年に向けて、体作りを、とは思いませんか?
広沢:僕はやり出すと、“プロになるんか!?”ぐらいやっちゃう方なんですよ。極端にバランスが悪い人間で、“適当”というのができない。例えばランニングとか始めたら、本気でオリンピックのマラソンランナーとか目指しそうで、自分でも怖いのでやめときます(笑)。
<歌とギター>
7月17日 渋谷7th floor
<鶴 2011年AKDの旅~マジで恋する4日間 in 福岡~>
7月27日 福岡ROOMS
◆広沢タダシオフィシャル・サイト
取材・文●赤木まみ
――振り返ってみて、この10年は長かったですか? それとも、あっという間でした?
広沢タダシ(以下、広沢):長かったですね。いろんなことがあって、どれも人生で初めて経験することばっかりやったし。すごく身が詰まっていて、そのぶん長かったです、今思うと。
――広沢くんは元々、アーティストになりたいと思ってたんでしたっけ。
広沢:いや、思ってないです。初めてギターを弾いたのは17歳の時で、最初は単なる暇つぶしやったんですよ。で、20歳の時に初めてオリジナルを書いて、そこで“ものを創る”喜びみたいなのを感じて。そこからライヴも始めたりして、東京へ行くぞ!と思ったのが22歳の時。それでデビューが23歳ですからね。あれよあれよという感じで、心の準備も十分できてないままデビューしたと思いますね。
――私が初めて広沢くんと会ったのは、デビュー曲「手のなるほうへ」の取材時でしたけど、確かに広沢くん、心の準備はできてなかった気がする(笑)。あんまりしゃべらないというか、しゃべれない人だったし。
広沢:ははは。自分では必要なことをしゃべってるつもりやったんやけど。
――全然(笑)。
広沢:たぶんね、感じてることは今とそんなに変わってないと思うんですけど、それを言葉にする引き出しがなかったり、言葉にするとチープになってしまう感じがあったり。あと、言わんでもわかるやろう、というのもあって。
――言わなきゃわかんないよ!(笑)
広沢:はははは。若かったんでしょうね(笑)。
――でも、途中からは結構しゃべれるようにもなり。
広沢:たぶん(3rdアルバム)『FRIENDS UNPULUGGED』で人とセッションしたり、ストリートでも2ヶ月歌ってみたり。そういうことから変わってきた部分はあったと思いますね。
――何がどう変わったと思います?
広沢:それこそデビューの時は、亀田誠治さんがプロデュースしてくれて、自分はスタジオに行けばもう歌うだけの状況で。曲作りにしても、デビューから2枚目の『理想郷』ぐらいまでは、何も考えてなかったと思うんです。ただ内側からあふれ出てくるどうしようもない想いを吐き出しているだけで。でも、そんなんでも共感してくれる人がいて、“自分も同じことを感じてます”とか、そういう反応が返ってきた時に“あ、同じ景色を見てる人がおんのや?”と思って。それはすごく嬉しかったし、人と繋がれた気がしたというか。
――そういうところからリスナーの存在を意識するようになった?
広沢:そうですね、徐々に。で、3枚目に行く時に……たいがいのアーティストはアルバムを1、2枚出すと枯渇するんですよね。自分の中身をいったん全部出してしまったような感覚……というのかな? 僕もそういう感覚に陥って。“これから何を歌っていこう?”と思った時に、たまたまセッション・アルバムの話があって、それがさっき言った『FRIENDS UNPLUGGED』という作品になるんですけど。そこで人と接することだったり、他のアーティストの良さを引き出すことだったり、プロデュースすることだったり……いろいろ学んだ気はしますね。
――あの、広沢くんはよく“孤高のシンガー・ソングライター”って言われるけど、実はそうやってセッション・アルバムを出したり、ライヴでも人と一緒にやったりしてますよね?
広沢:そうですね。別に友達がいないわけではない(笑)。いない風に見えるだけで(笑)。
――ではどういうことから“孤高のシンガー・ソングライター”と言われるようになったと思いますか?
広沢:そうやなぁ、音楽的にどこにも属してないから……じゃないですかね?
――あぁ確かに。実際、凛とした姿勢で自分だけの地平に立ってストイックに音楽を追究してるしね。
広沢:そうですね。ヘンにジャンル分けされるのも嫌やし、もっと広く……とはいつも思ってますね。
――なるほど。で、また話を“流れ”的なところに戻すと……『FRIENDS UNPLUGGED』を出した後、一回レコード会社を離れて独立しますよね。この時っていうのは、広沢くんにとって1つの転機になったんじゃないですか?
広沢:そうですね。一般的にはここで辞めるパターンも結構あるんですよね。でも僕は音楽以外にやりたいことはなかったし、自分の魂が喜ぶことは何か?って考えると、やっぱり音楽しかなかった。だから、ある意味ここで本当の覚悟が決まったんだと思います。
――そこに迷いや不安はありませんでした?
広沢:正直、ちょっとはありましたけど。音楽業界自体がもう、こう(低迷状態に)なっていた時期やったので。でも、いろんな人に会って相談したら、いろいろ助言をいただいて……それが自分の覚悟に繋がったし、そうやって人と関わることが自分の人生にとって何か大きな要素になった気はしますね。
――それが作風にも影響を与えたと思いますか?
広沢:そうですね。人との繋がりであったり、感謝の気持ちであったり……そういうことを歌にする人は多いですけど、僕の作品にもそういう要素がその辺から入ってきたと思います。まぁでもその後“これはホンマに人の心を打つものなのか?”っていう疑問も自分の中で生まれてはいくんですけど……。やっぱり、自分の作品とは何か?って考えると、僕の作品は“言葉”やと思うんですね。それも今まであったような言葉ではなく、新しいものを生み出したい。そう考えると、ただ感謝を歌にするっていうのはどうなんだろう?と。もっと深い表現があるんじゃないか、もっといい作品を聴かせなきゃ、っていう……何か強迫観念めいたものが僕の中にあるんですよ。
――さっきも言ってたように広沢くんは小さい頃からアーティストを目指してたわけじゃないですよね? それが今、そこまで取り憑かれた音楽の魅力って何だと思いますか?
広沢:なんやろな……芸術とかって深いじゃないですか。例えば絵画にしても、1つの作品の奥には積み重ねてきた歴史があって、それを経てきたからこそ、今こういう表現があるんだなって思う。で、その深さ自体にも感動するし、深さを持った作品に圧倒されるし……そもそも深いものって飽きないじゃないですか。もちろん僕らがやってる音楽は芸術とは違うかもしれないけど、そういう深いものを自分も作りたいなって思うんです。表面的じゃない、深いもの。となると、1枚作り終えた時に“もっと”という気持ちになってしまうんですよね。もっと突き詰められるんじゃないか、もっといい音で録れるんじゃないか、もっといい歌詞の表現があるんじゃないか……って。その積み重ねで10年、来てしまった気がします。
――去年出した『雷鳴』は、それこそ広沢タダシの世界観を突き詰めたアルバムになっていると思うんですが。
広沢:そうですね。『雷鳴』はブルースだったりソウルだったり、自分の原点を掘り下げたアルバムで。掘り下げたことによって、それまで見えなかったものが見えてきたし、自分の新たな土台ができたと思ってます。だからこれからはこの土台の上にもっともっといろんなものを積み上げていけるなって。
――じゃあ……この夏は10周年を記念したスペシャル・ライヴがあったり、秋にはニューアルバムの発売も予定されてますけど、そういったものもその土台の上に。
広沢:うん、積み上げていけそうだなと。で、8月のライヴでは、みんなが聴きたいと思う3曲をホームページの10周年特設ページに投票してもらって、投票の多かった曲を優先的にやるっていう企画を立ててるんですけど、それプラス、その先の新しいものも見せたいと思ってるし。アルバムは、『雷鳴』の次に作るものとして“アコースティックギターと自分”という音像を基本にしつつ、シンプルで深くて、何百回、何千回聴いても飽きないもの、100年経っても聴けるものを作りたいと思ってます。もう曲はそろっていて、手応えもあるので、ぜひ期待しててほしいですね。
――今後、向かっていきたいところは見えていますか?
広沢:今、音楽界は混沌としてるじゃないですか。“いいもの”の基準も曖昧で、売れているものが“いいもの”とされている。もちろん売れているものの中にもいい音楽はいっぱいあるけど、僕は本当に価値のある音楽を作っていきたいんですよね。一言で言うなら、“本物”を発信し続けていきたい。そこはブレずにやっていこうと思ってます。
<10周年記念☆おまけインタビュー>
――広沢くんと言えば、ウィキペディアにも体脂肪のことが載るほど細身ですけど、今も変わらず体脂肪は7%?
広沢:最近は計ってないですけど、まぁ一桁ですね。身長175センチで、体重は50キロ。デビューの時はそれでも、52キロぐらいあったんですよ。でもデビューしてキャンペーンで全国を廻って、毎日、初対面の人と次々しゃべらなアカン状況になって。それでなくてもしゃべられへんのに(笑)。そういうのを続けてたら……よく覚えてるのが九州のどっかで体重計があって、計ったら46キロになってたんです。で、当時のマネージャーさんに『アカン広沢! このままじゃ死ぬぞ! 食え!』って言われて。頑張って食べたんですけど、やっぱり50キロ以上にはなりませんでしたね。
――次なる10年に向けて、体作りを、とは思いませんか?
広沢:僕はやり出すと、“プロになるんか!?”ぐらいやっちゃう方なんですよ。極端にバランスが悪い人間で、“適当”というのができない。例えばランニングとか始めたら、本気でオリンピックのマラソンランナーとか目指しそうで、自分でも怖いのでやめときます(笑)。
<歌とギター>
7月17日 渋谷7th floor
<鶴 2011年AKDの旅~マジで恋する4日間 in 福岡~>
7月27日 福岡ROOMS
◆広沢タダシオフィシャル・サイト
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