中しまりんと景山聖子による箏語り「鼓くらべ」

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川崎市立日本民家園にて2011年4月30日に行なわれた「箏語り」。正直、箏語りって?という気持ちを持ちつつ会場へ。箏語りが行なわれるのは、民家園を入ってすぐの「原家」。古民家で行なわれるイベントとあって、演出は完璧。

◆箏語り画像

赤い毛氈のうえに置かれた箏。それだけで絵になります。そして、今回の箏語りの題目は、山本周五郎著「鼓くらべ」。ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、簡単にストーリーを。これは今回の箏語りの告知文から引用させていただいたものです。

「絹問屋の娘のお留伊は金沢城でやる鼓くらべの稽古に打ち込んでいた。ある日、旅をしている絵師と名乗る老人と出会うが、老人の余命は少なくなっていた。お留伊が鼓を聞かせたり、老人から様々な話を聞いたりと交流していく中で、老人がお留伊に伝えたかった言葉とは?そして衝撃の事実をお留伊は知る事となる。芸術の真髄を伝える感動の物語」

鼓という楽器がキーになるこの物語。音楽に関わる者には気になる内容。どんな物語が繰り広げられるのか?

時間になり、語りの景山聖子、箏の「東風-TONFU-」中しまりん、ギターの高井城治が登場。そう、今回の箏語りは、箏だけでなくギターの音も入る。まさに和と洋のコラボ。そして今回の音楽は、すべて中しまりんのオリジナル曲だ。

冒頭、景山聖子から挨拶。「鼓くらべ」の語りには音楽が付くものだが、通常は語りに音楽が寄りそう感じだそう。しかし、箏語りでは、語りと箏が重なり合うことで意識していると伝えてくれる。そう、足し算でなくかけ算の効果だ。

景山聖子がタイトルを読み上げたあと、太い音で箏が響きメロディへ繋がる。物語には抑揚がある、それをリズムというならば、まさに箏との掛け合いで物語が立体的になる。正直、語りは初めての体験。声色と表情によって、一瞬で違う人物になる景山聖子の力を感じることになる。少女、老人、そして娘。客は、迷うことがない。そこに、中しまりんの箏と高井城治のギターが絶妙に絡みあう。時に静かに、時にダイナミックに。

物語のラストは、音楽を含めた芸術についての深い言葉。老人は言う「音楽はもっと美しいものでございます」そして「人と優劣を争うようなことは、おやめなさいまし」と。これは、老人が過去に自ら経験したことから語る言葉。

この思いはいつの時代も同じかもしれない。ただ、日々楽曲には順位が付けられ、世界中でコンクールが行なわれている。いつか音楽は商業的に扱われるようになった。しかし競うことで音楽はレベルを上げてきた。とても難しいことなのかもしれない。

しかし、きっと本来の音楽には正解はなく、受け取った人が感じたものが答え。だが自分も含め、自らの感覚だけでジャッジすることを恐れる現代人。誰かが付けた順位に従うのは楽なのだ。

でも思う。きっと誰にでも、どうしても好きで仕方がない音楽や絵、陶芸などさまざまな芸術作品があるはず。その感覚こそを大事にすべきなのだろう。好きであることに理由などない。理由がないことが答えだから。もっと自分の感覚に自信を持っていいのだ。そして音楽は、ビジネスとして成長と芸術としての成長、2つの道を歩いている。

「箏語り」という新しいスタイルで活動を始めた彼ら。ゼロからものを作るのは、不安や恐れとの闘いだけれど、これほど醍醐味があるものはない。箏も語りも、日本の文化であるのに敷居が高いと思っている人が多い。その人たちに「箏語り」が届くことを信じている。

いつかライブハウスで、とても身近なものとして「箏語り」を聴く日が来るかもしれない。

◆東風-TONFU-オフィシャルサイト
◆中しま りんBlog「My life as a cat」
◆景山聖子オフィシャルサイト
◆景山聖子Blog
◆川崎市立日本民家園サイト

伊藤緑 http://www.midoriito.jp/
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