DETROXが『DETROX V』に注ぐ、新旧ファンを納得させる説得力
「成長がないのはイヤだから、自分が当たり前に作るのものに対して疑問を持つんだ」。栄喜は、WeROCK 021のインタヴューで、こう発言した。
◆DETROX画像
進化するミュージシャンと王道を突き進むミュージシャン。どちらも正しい。それでこそアーティストと言えるし、産みの苦しみを知っているからこそ、成し得るものがある。問題は、ミュージシャンたるもの、マスターベーションのためだけに音楽を作り続けることが難しいということだろう。
そこには、ファンが待っており、さらに新しいリスナーを開拓していかなくてはならない。DETROXは栄喜を中心としたバンドであり、永遠とシャム・シェイドの幻影が付きまとってしまう。それは、決してネガティヴ・ファクターではなく、だからこそ注目度や期待が他のバンドよりも高いとも言えるのだ。
現在、活躍する多くのミュージシャンにも影響を与え続けるシャム・シェイドの存在は、栄喜にとって大きな存在であることは間違いない。もちろん、彼はそこにこだわっているわけでもないし、過去の栄光にしがみついているわけでもない。
ところが、ファン心理というのは、そうは問屋が卸さない。シャム・シェイドのフロント・マンであった栄喜に、その幻影を求めてしまう人達は少なくないのだ。あの時代の栄喜を求める人、逆にその反動で、あの栄喜とは違う要素を求める人…相反することに対して、アーティストは苦悩し回答しなくてはならない。
冒頭の栄喜の発言は、シャム・シェイドの幻影を求めているファンからしてみれば、最新アルバム『DETROX V』が、よりシャム・シェイドとは離れた音楽性と想像させてしまうかもしれない。しかし、DETROXが提示した『DETROX V』は、幻影を求めていたシャム・シェイドのファンも納得のメロディが前面に推し出されていた。
「当たり前に作るものに対して疑問を持ち」、「自分では思いつかないところに行き着くように、そこからいじくっていくんだよ」と栄喜は続けた。
新しいスタイルや自分では思いつかない部分を突き詰めれば突き詰めるほど、通常は原点とはかけ離れたところに行きがちだ。それなのに『DETROX V』には、栄喜の原点とも言えるメロディが見え隠れしているのだ。
思えば、DETROXはチャレンジの連続だったように思う。ファースト・アルバム『DETROX』で提示したスタイルは、ヘヴィでありながら超テクニカルで、時には難解なプレイも存在していた。そして、アルバムを重ねるにつれ、それがDETROXのスタイルとして昇華し進化していった。
サード・アルバムをリリースしたあたりからは、ライヴやイヴェントなどを繰り返し、さらにバンドは熟成していき、そのままのスタイルが4枚目のアルバムにも反映されるのかと思いきや、ここで彼らに転機が訪れた。ライヴやイヴェントを繰り返すことで、DETROXは感じたのだ。『DETROX IV』リリース時に、K-A-Zがこう発言していた。
「この1年半、ずっとライヴをやってきて、ウチらの足りない部分、欲しい部分が見えてきたんだ。それは“ライヴで盛り上がれる曲”で、そのまま今回(『DETROX IV』)のテーマにもなった。あえて難しい仕掛けを散りばめるより、みんなで盛り上がれる曲ってことで、トリックなことは考えずストレートになったんだよ」。
サード・アルバムまでで確立しつつあったDETROXならではの超絶テクニックや展開を抑え、わかりやすくシンプルな楽曲を提示してくれたのだ。
続けて栄喜が語ってくれた。「難しい曲だと、初めてライヴに来るお客さんは入ってこれないから、1~2回ライヴを見たら入ってこれるくらいの曲にしてね。DETROXにとって、そこが足りない部分だったんだよね」。
客観的に見れば、『DETROX IV』の楽曲は、足りない部分というよりも“足りすぎる部分”をそぎ落としてシンプルでわかりやすい作りになっていた。これこそ“成長”であり“進化”と感じ取れる部分だ。そして、このアルバムの“進化”が、今回の『DETROX V』の呼び水になったと言っても過言ではないだろう。
同じ方向性のアルバムではないが、一聴した時にメロディが耳に残ってくれる。まさしく、栄喜の原点である“あの時代”のメロディが。新しいスタイルを追求し続けたDETROXの、ある種開き直りを感じさせる作品になっているのだ。
「開き直りっていうか、時代が難しい時には簡単なことがしたくなったり、その逆だったりは常に頭の中にあって。こういう時代で難しいことをやったら、世間の解釈的にちょっとウザイ。今は時代が難しいから、ちょっとわかりやすいことをやりたいなっていう矛盾があるんだけど」
おもしろいのは、だからと言って決してシンプルすぎるというわけではない。贅肉は削ぎ落とされているのだが、聴けば聴くほど至るところにフックが隠されているのだ。それも、一筋縄ではいかない…。普通ではないのだ。ここに、栄喜の言う“当たり前に作るのものに対して疑問を持つ”部分が見え隠れする。そして、一筋縄どころか数十本の縄があっても足らないんじゃないかと思わせるプレイを浴びせてくれるのがK-A-Zを中心としたバック陣だ。ギター・ソロもふんだんに入っていると思いきや、とにかくバッキングが凄まじい。そこは、サード・アルバムまでにやっていたDETROXのスタイルを継承しているのだが、さらに難しくなっている部分も感じられる。
なのに、全体的には複雑に聴こえさせない…。
このバックにして、このメロディを乗せさせる栄喜の妙技が見事なのかもしれない。K-A-Zをして、“天才”と言わしてしまうその妙技。
「そういうの、超うまいんだよ!天才的!栄喜がソロ名義でやっていた時から、それは思っていたんだけど」──K-A-Z。
うれしいことに、方向性こそ違えど、ここにもシャム・シェイドを感じてしまう部分が見え隠れする。時には変拍子を使ったバックと歌…シャム・シェイドのファンなら思わずニヤリとしてしまうはずだろう。
超絶なバック陣がDETROXらしく思う存分にプレイしているのに、それを複雑に感じさせない栄喜ならではのメロディ。当たり前に作ることに疑問を感じているからこそ到達したDETROXのサウンドは、素晴らしき幻影を求めるファンにも、新しいものを求めるファンにも、納得させる説得力がある。『DETROX V』の中で、きっとそれを確認できるはずだ。
また、もうすぐ<DETROX TOUR “V”2011>と題したライブツアーが始まる。このアルバムを耳にして、ライブで体感してみるのが本当のDETROXの存在理由があることを感じて欲しい。
ライター:「We ROCK」より
◆DETROX画像
進化するミュージシャンと王道を突き進むミュージシャン。どちらも正しい。それでこそアーティストと言えるし、産みの苦しみを知っているからこそ、成し得るものがある。問題は、ミュージシャンたるもの、マスターベーションのためだけに音楽を作り続けることが難しいということだろう。
そこには、ファンが待っており、さらに新しいリスナーを開拓していかなくてはならない。DETROXは栄喜を中心としたバンドであり、永遠とシャム・シェイドの幻影が付きまとってしまう。それは、決してネガティヴ・ファクターではなく、だからこそ注目度や期待が他のバンドよりも高いとも言えるのだ。
現在、活躍する多くのミュージシャンにも影響を与え続けるシャム・シェイドの存在は、栄喜にとって大きな存在であることは間違いない。もちろん、彼はそこにこだわっているわけでもないし、過去の栄光にしがみついているわけでもない。
ところが、ファン心理というのは、そうは問屋が卸さない。シャム・シェイドのフロント・マンであった栄喜に、その幻影を求めてしまう人達は少なくないのだ。あの時代の栄喜を求める人、逆にその反動で、あの栄喜とは違う要素を求める人…相反することに対して、アーティストは苦悩し回答しなくてはならない。
冒頭の栄喜の発言は、シャム・シェイドの幻影を求めているファンからしてみれば、最新アルバム『DETROX V』が、よりシャム・シェイドとは離れた音楽性と想像させてしまうかもしれない。しかし、DETROXが提示した『DETROX V』は、幻影を求めていたシャム・シェイドのファンも納得のメロディが前面に推し出されていた。
「当たり前に作るものに対して疑問を持ち」、「自分では思いつかないところに行き着くように、そこからいじくっていくんだよ」と栄喜は続けた。
新しいスタイルや自分では思いつかない部分を突き詰めれば突き詰めるほど、通常は原点とはかけ離れたところに行きがちだ。それなのに『DETROX V』には、栄喜の原点とも言えるメロディが見え隠れしているのだ。
思えば、DETROXはチャレンジの連続だったように思う。ファースト・アルバム『DETROX』で提示したスタイルは、ヘヴィでありながら超テクニカルで、時には難解なプレイも存在していた。そして、アルバムを重ねるにつれ、それがDETROXのスタイルとして昇華し進化していった。
サード・アルバムをリリースしたあたりからは、ライヴやイヴェントなどを繰り返し、さらにバンドは熟成していき、そのままのスタイルが4枚目のアルバムにも反映されるのかと思いきや、ここで彼らに転機が訪れた。ライヴやイヴェントを繰り返すことで、DETROXは感じたのだ。『DETROX IV』リリース時に、K-A-Zがこう発言していた。
「この1年半、ずっとライヴをやってきて、ウチらの足りない部分、欲しい部分が見えてきたんだ。それは“ライヴで盛り上がれる曲”で、そのまま今回(『DETROX IV』)のテーマにもなった。あえて難しい仕掛けを散りばめるより、みんなで盛り上がれる曲ってことで、トリックなことは考えずストレートになったんだよ」。
サード・アルバムまでで確立しつつあったDETROXならではの超絶テクニックや展開を抑え、わかりやすくシンプルな楽曲を提示してくれたのだ。
続けて栄喜が語ってくれた。「難しい曲だと、初めてライヴに来るお客さんは入ってこれないから、1~2回ライヴを見たら入ってこれるくらいの曲にしてね。DETROXにとって、そこが足りない部分だったんだよね」。
客観的に見れば、『DETROX IV』の楽曲は、足りない部分というよりも“足りすぎる部分”をそぎ落としてシンプルでわかりやすい作りになっていた。これこそ“成長”であり“進化”と感じ取れる部分だ。そして、このアルバムの“進化”が、今回の『DETROX V』の呼び水になったと言っても過言ではないだろう。
同じ方向性のアルバムではないが、一聴した時にメロディが耳に残ってくれる。まさしく、栄喜の原点である“あの時代”のメロディが。新しいスタイルを追求し続けたDETROXの、ある種開き直りを感じさせる作品になっているのだ。
「開き直りっていうか、時代が難しい時には簡単なことがしたくなったり、その逆だったりは常に頭の中にあって。こういう時代で難しいことをやったら、世間の解釈的にちょっとウザイ。今は時代が難しいから、ちょっとわかりやすいことをやりたいなっていう矛盾があるんだけど」
おもしろいのは、だからと言って決してシンプルすぎるというわけではない。贅肉は削ぎ落とされているのだが、聴けば聴くほど至るところにフックが隠されているのだ。それも、一筋縄ではいかない…。普通ではないのだ。ここに、栄喜の言う“当たり前に作るのものに対して疑問を持つ”部分が見え隠れする。そして、一筋縄どころか数十本の縄があっても足らないんじゃないかと思わせるプレイを浴びせてくれるのがK-A-Zを中心としたバック陣だ。ギター・ソロもふんだんに入っていると思いきや、とにかくバッキングが凄まじい。そこは、サード・アルバムまでにやっていたDETROXのスタイルを継承しているのだが、さらに難しくなっている部分も感じられる。
なのに、全体的には複雑に聴こえさせない…。
このバックにして、このメロディを乗せさせる栄喜の妙技が見事なのかもしれない。K-A-Zをして、“天才”と言わしてしまうその妙技。
「そういうの、超うまいんだよ!天才的!栄喜がソロ名義でやっていた時から、それは思っていたんだけど」──K-A-Z。
うれしいことに、方向性こそ違えど、ここにもシャム・シェイドを感じてしまう部分が見え隠れする。時には変拍子を使ったバックと歌…シャム・シェイドのファンなら思わずニヤリとしてしまうはずだろう。
超絶なバック陣がDETROXらしく思う存分にプレイしているのに、それを複雑に感じさせない栄喜ならではのメロディ。当たり前に作ることに疑問を感じているからこそ到達したDETROXのサウンドは、素晴らしき幻影を求めるファンにも、新しいものを求めるファンにも、納得させる説得力がある。『DETROX V』の中で、きっとそれを確認できるはずだ。
また、もうすぐ<DETROX TOUR “V”2011>と題したライブツアーが始まる。このアルバムを耳にして、ライブで体感してみるのが本当のDETROXの存在理由があることを感じて欲しい。
ライター:「We ROCK」より