矢沢洋子、「葛藤も怖さもプレッシャーも背負った方いい」

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父・矢沢永吉の名を背負って立つ初めてのステージ。自ら決断した第一歩は“洋子”コールで始まった。フロアからは「おかえり」の声が飛ぶ。黒の革ジャン、真っ赤な唇、“ロックシンガー”としての矢沢洋子が始動した。

◆矢沢洋子ライブ画像

ファーストアルバム『YOKO YAZAWA』の発売を記念したライブは9月1日、渋谷BOXXで開かれた。会場入り口まであふれた客は200人。午後8時半の開演に合わせ、所属するGARURU RECORDSのUstreamチャンネルで生放送された映像は総計800人が目にした。

「おかえり」と温かく迎えられた舞台だが、重圧から来る緊張もあったはず。揺らぐ気持ちが声に表われたときは、こちらが身を乗り出し支えたくなるくらいの思いに駆られた。スカッとした表情で声を放てば、客も身体を揺らし応える。不安定な声のときは客も不安げ。思いは客に伝わる。当たり前のことを痛感した1時間だった。

中盤に披露した「月光」は、相手を愛おしく思うあまり切なくなってしまうラブソング。実体験や友人の恋愛話を参考にしたという歌詞は<傷ついたって 嫌いになんかなれない><少しだけでもいいから 傍(そば)にいて>と、恋する気持ちがまっすぐ綴られている。聴き手が「会いたい」と思う相手が浮かぶような言葉に200人の心が揺れる。歌い切った彼女を大きな拍手が包み込んだ。安堵の表情で会場を見つめた瞳に24歳の素顔が見えた。

矢沢洋子は、ギターの大西克巳とデュオthe generousで、2008年10月にデビュー。「現実でやっていることと、やりたいことの間にギャップがある」と活動を休止し、進む道はどこか自問自答した。彼女に差した光は、信頼すべき父の背だったのだろう。10年2月、yoko名をやめ、「矢沢」の名を背負うことを決意。「本名は葛藤も怖さもあるが、プレッシャーも背負ってやった方いい。やってやるぜという思い」なのだとステージでファンに告白した。

8月25日に発売したばかりの1枚目のアルバム『YOKO YAZAWA』は「ずっとずっとやりたかった音楽を届けることができた」と自信を見せる。粗削りだが、キラリと光る何かを感じる。あるメディアのインタビューで、日本武道館などのステージに立つ父を見ていた幼少期「幼稚園のころは、男の人は大人になるとみんなステージに立つものだって思っていた」と話していた。

親の七光りなどと揶揄されることもあるだろうが、2世でなければ生まれない感情もある。小細工はいらない。美しく飾った言葉も不要だ。60歳を過ぎてまだなおエンジン全開の父の背を追い、唯一無二の存在へ。洋子のエンジンも加速していく。

取材・文●西村綾乃

<1st ALBUM『YOKO YAZAWA』発売記念ミニライブ>
2010年9月11日
@タワーレコード新宿店 7Fイベントスペース
午後1時~

<MINAMI WHEEL 2010>
2010年11月14日
@大阪・ミナミエリアライブハウス
※出演場所は未定
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